第73話 夜の蝶に出逢いて
夕方、リズと共に屋敷に戻った俺はひとりで街に出ることにした。
行く先は王都でも端の方――――強いて言えば、あまり治安のよろしくないとされる地域だ。
どう考えても面倒事の種にしかならないので、女性陣を連れて行くことはできない。
とはいえ、征十郎に会いに行くと告げた時点で、彼女たちもそのあたりの事情を察したのか納得をしてくれた。
もっとも、出がけにハンナとリズからは「まっすぐ帰ってきてくださいね」と強めに念押しをされてしまったが。
どうにも信用がない。暗い昔が邪魔をするというヤツだ。
「兄さん、うちにはいい子がいっぱいいるよ!」
「いえいえ、こちらにはあなた様のお戻りを待っている従順な娘たちが……」
「なんの、うちなら多少の――――」
夕闇が迫り次第に夜の街へと顔を変えていく中、俺の姿を見咎めた客引きの男たちが次々に声をかけてくる。
普通に考えれば、俺も一夜の恋人を探しに来た客に見えるのだろう。
どう見ても
このような場所で客を捕まえようとしているのもあって、彼らの見た目は渡世人――――荒くれ者という感じの匂いを漂わせているが、自分が生きていくため仕事に矜持があるのか物腰は思いのほか柔らかだった。
国は変わってもそういうところは変わらないのだなと俺は内心で感心する。
やはりこういう場所には、どこに行っても似たような規律のようなものがあるのかもしれない。
「また今度寄らせてもらうよ。それよりも、俺みたいな恰好をした男を見かけなかったか?」
社交辞令を交えつつやんわりと断ると、一瞬だけ客じゃないのかと軽い失望の色が客引きの表情に浮かぶ。
しかし、その後に続いた問いかけで、男たちの顏がどこか納得のいったものへと変わったのを俺は見逃さなかった。
「あぁ、セイの旦那ですか。あの人ならたぶん――――」
ひとりの男が思い当たるフシを口にするのを見て、俺は内心で呆れかけていた。
……見た目で目立つどころか、名前までしっかり覚えられているじゃないか。
色街で男を探しているなんて話を出せばどんな軽口を叩かれるかわかったものじゃないと思っていたが、すでに征十郎はこの街で名が売れているらしい。
「そうか。悪いが探していてね。案内を頼めないか」
「へい、旦那の知り合いであればよろこんで」
先ほどと比べても、ずいぶんと客引きの腰が低くなっている。
征十郎の名前を出しただけでこうなるとは、いったい何をしたのかと思わなくもない。まぁ、だいたいの想像はついているが。
アイツも古都の
余所でも同じことをするくらい、なんてことはないのだろう。
「ここになりまさぁ」
そうして案内を頼んだ客引きの男に連れられてしばらく歩くと、征十郎がいると思われる娼館に辿り着いた。
最上級の店ではなさそうだが、通りに面していて立地はいい。
小奇麗な外観をしていることからも、この辺りでは上等な店なのだろう。
「すまないな。これは手間賃と、次に案内してもらうためのぶんだ」
案内してくれた駄賃としていくらか多めに握らせると、男は顔を大きくほころばせた。
「こんなに……! ありがとうございます、旦那!」
人相こそ良くないが、どこか人好きのする笑みだった。
あのまま道だけを聞いてひとりで歩けば、またぞろ客引きなりが声をかけてくるのは明白だ。
この街の人間に案内をさせればそうはならないだろうと踏んだが、やはりそれで正解だった。
ならば礼のひとつもはずんでやらねばなるまい。
「それで美味い酒でも飲んでくれ」
「へい! 次も声をかけてくださいよ!」
曖昧に微笑み、はっきりとした返事は返さずに俺は男と別れる。
あっさりと引き下がった時点で、向こうも義理で口にしたとわかっていて言っているのだ。
「お客さんかい?」
静かに扉を開けて店の中に入ると、受付の方から女の声がかけられた。
わざわざ問いかけてくるということは、“そういう風”には見られていないということだ。
漂ってくるのは紫煙と香水の混ざった匂い。
そちらへ視線を向けると、受付に座った女が煙管をくゆらせている姿が目に映る。
おそらく、この店の主人なのだろう。
赤みがかかった巻き髪にやや鋭く見える水色の瞳。
男をその気にさせる部分の肉付きは良いが、全体的な印象としては
年の頃は三十を越えてはいないと思うが、娼婦として考えれば少し高めだ。
品は良いものの肩と胸元の大きく開いた扇情的な白のドレスを纏っているあたり、もしかするとこの主人は娼婦上がりなのかもしれない。
そんな美女がこちらを見て、余裕のある落ち着いた表情を浮かべていた。
はっきり言って、俺好みの年上だ。
「残念ながらそれはまたの機会だな。この店に、俺みたいな恰好の男がいないか?」
「うちは男と逢引する店じゃないよ」
本心から残念だと思いながら口を開くと、女主人からは冗談交じりに何の用だと問いかけられた。
いきなり胡乱げな視線を投げかけてこないあたり、さすがというべきか客商売を心得ているようだ。
それに、即座に否定をしなかったということは、すくなくともこちらの話を聞く気はあるわけだ。
「……だろうな。セイに伝えてくれ。ジュウベエが来たと言えばわかる」
小さく笑みを浮かべて返すと、女主人は奥にいた護衛と思われる男を見て目配せをする。
一瞬「いいのか?」という表情を浮かべたが、女主人がそのままなにも言わずにいると男は黙って奥へと引っ込んでいく。
「あんた、あの人の知り合いなのかい?」
「ああ。古い、な」
俺は簡潔に答える。
女主人の言葉からは、こちらの関係について深く詮索しようという気配がなかった。
時間を潰すための世間話のようなものだろう。
「なるほど。どうりで似たような雰囲気をしてると感じたわけだね」
ひとりで納得したように頷く女主人。
もしかすると、そのように感じられたからこそ、征十郎がいないと真っ向から否定しなかったのかもしれない。
「それは恰好の話じゃなくてか?」
そう言って俺が両方の袖を手で軽く摘まんで広げてみせると、女主人は小さく笑みを浮かべる。
「見た目の話じゃないよ。雰囲気っていうのかねぇ……。なんというか女の勘だよ」
「そうか。なら、そいつは信じるしかないな」
俺は迷うことなく断言した。
「あら、どうしてだい?」
当然のことながら訊き返される。
「いい女の勘は信用するようにしているんだ」
「まぁ、お上手だこと」
女主人は小さく笑って受け流すが、その際浮かべた表情を見るに案外満更でもなさそうだ。
「信じてくれてないようだな。まぁ、次来た時は是非とも指名させてもらうよ」
「まったく、若い子なら他にたくさんいるってのに……。あまり年増をからかうもんじゃないよ」
「からかってなんかいないさ」
そこまで会話を交わしたところで奥から人のやって来る気配がした。
「兄者、ここまで来られたのですか? 使いを寄越してくれたら俺の方から出向いたのに……」
護衛の男に連れられるようにして征十郎がやって来た。
「うちの連中をここに寄越すわけにもいかんだろう。それに、男同士で話す方がなにかと気も楽だ」
「違いない。……カサンドラ、ちょっと部屋を用意してくれないか」
俺と征十郎はいたずらを思いついた子どものように笑い合う。
「まったく……。わかったよ、布団は要らないんだろう?」
「冗談言ってろ」
からかう女主人――――カサンドラに向けて征十郎は軽口で返すが、たがいの間に漂う雰囲気は悪いものではなかった。
この街に来て長くないはずなのだが、もう勝手知ったる付き合いになっているらしい。
「そんなに仲がいいなんて、なんだか妬けちゃうねぇ。あ、セイ。途中でほっぽり出したコの面倒はまたみておくんだよ。花代の話じゃなくてね」
「わかってる。ちゃんとフォローはするさ」
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