第72話 赤き血の香り


 率直に言って、どういう金の使い方をしているのかと思った。


 本来、木の板が張られているはずの廊下には、どうみても高そうな絨毯が敷かれており、歩けば靴裏が立てるであろう足音を柔らかく包み込んでくれる。


 俺が今歩いているのは、リズが明日から通うことになっている学園の廊下だ。


 板張りに裸足で歩いていた身としては、子どもの教育にずいぶんと大層なことだとは思う。

 とはいえ、相手が貴族から果ては継承順位が低いとはいえ王族までもがいるとなれば、預かる側も気を抜けないのだろう。

 国の要人となって次世代を担う可能性がある者たちに、なるべく快適な学園生活を送って貰おうとしているのは俺にも想像ができる。


 それよりも、問題なのはどうして俺がそこに同行しているかだ。


「……なぁ、リズ。俺の護衛役ってのは、あくまでも建前みたいなものだったよな?」


 早くも退屈になってきた俺は、俺の先を歩くリズへと声をかける。


 基本的に、リズが学園に通う期間は、よほどのことがない限り俺は自由に行動して構わないことになっている。

 だからこそ、冒険者としてノウレジアこちらに移籍の手続きをしたのだ。


「そうだな。あくまでも、父上との間で交わした依頼のために便宜的に用意した肩書きだとはわたしも理解している」


 俺の遠回しな抗議を受けても、リズから戻ってくる言葉にはまるで澱みがない。

 こちらを振り返ることなく先を進んでいるあたり、この場で俺を解放する気はなさそうだ。


「じゃあ、なんで俺が学園こんなところまで付き添って来ているんだ?」


 めげずに俺は不満を口にしてみる。


 こうしてリズに駆り出されなければ、ちょっとした鍛錬がてら近くの魔物を狩りに行こうと思っていたのだ。

 魔物を狩るなりなんなりして、そろそろ本格的に身体を動かしたかったというところで捕まったので欲求不満気味なのだ。


「何かあった時のために、護衛対象がいる場所の内部構造を把握しておくのも必要な役目なのではないかな?」


 不満を漏らしていた俺にリズから放たれたのは、まさにぐうの音も出ない正論だった。


「むぅ……」


 さすがにこれには反論のしようがない。


「それとも、ジュウベエ殿。いっそわたしの従者として一緒に入学するか? 聞くところによれば、そういう例も存在しているようだから今からでもねじ込めるが……?」


 「どうする?」と問いかけてくるリズだが、俺に向ける表情はその言葉には反してからかうようなものだった。


「……よしてくれ、俺が悪かった」


 小さく息を吐き出しながら俺は答える。


 これが大真面目で言っているのだとしたら目も当てられないが、リズがそこまでする気もないのはわかっていた。

 まぁ、だからこそリズは俺にきちんと付き合ってくれと言っているわけだが。


 これ以上、我儘を言うのはさすがに格好が悪い。


「いくらなんでも、この齢になって若い連中に交じっていく気力も勇気も持ってはいないよ。案内を続けてくれ」


 軽く両手を上げて俺は降参の意を示すと、リズは満足そうに微笑んだ。


「そうか。ならよかった」


 リズの声の調子がわずかに高くなる。

 男だらけの環境に長くいたからか、喋り方から武骨な印象を受けることは避けられないが、それでもこのように感情を露わにすれば年相応のものになる。


 こちらのほうが可愛らしいと思ったが、本人はあまり喜びそうにないので黙っておくことにした。






 ~~~ ~~~ ~~~







 そうして廊下を進んで行くと、ほどなくして廊下は絨毯張りから木の板へと変わる。

 どうやら、職員や校長がいる区画のみがあのような造りになっているらしい。


 なるほど、俺の考えすぎだったか。


 結局のところ、貴賓が訪れる可能性のある場所だけを、ああして豪奢な造りにしていたのだ。


 学園の生徒には王族もいるが、それだけに留まらず比較的裕福な平民も在席しているという。

 そんな社会格差がすさまじい共同体の中でなんでもかんでも豪華にするのでは、いくら金があっても足りないのだろう。


 実際、様々な人間と共同で生活を送らせることが目的なのだから、豪奢な建物で暮らしたければ王侯貴族は自分の居城や屋敷――――国許から出なければいいのだ。


 思ったよりも“まとも”なところなのかもしれないな……。


 そんなことを考えていると、向こう側から一人の少女が歩いてくるのが見えた。


 顔が見える距離まで近づいたところで、俺は思わず息を呑みそうになる。


 磨き上げられた白磁のような肌に、絹糸のような純白の髪の毛。

 そして、双眸に宿るくれないの瞳。


 それはひどく美しい――――いや、まるで人間とは思えない美貌を持った少女だった。

 吸い込まれそうに美しい顔立ちをしているのだが、前を歩くリズにはそれを気にした様子はまるでない。


 白子アルビノか――――?


 先天的に色素が薄いのかと不思議に思うも、あまり見つめているのは失礼にあたるため、俺はそっと視線を逸らす。


 ……いや、


 幾つかの違和感を覚えながら、ついに俺はその少女とすれ違う。


 その時、ふっとわずかに漂う血の匂いを感じたような気がした。


「――――血の匂いがするのぅ、おぬしも」


 同時に、少女ようにも、あるいは老女のようにも感じられる声が俺の耳朶を打った。


 囁きかけるような大きさであるにもかかわらず、それは甘い響きを伴って脳髄へと直接染み込んでくる。

 まるで、不可視の手となって意識を直接撫侵蝕されるような感覚だった。


 この感覚には覚えがある。

 魔王ザイナードと戦った時――――魔王の意識に乗っ取られかけた時と同じものだ。


せ返るような血の匂い……。何百、それとも何千? 人の身でありながら人魔問わずどれだけの血を吸ってきたものか……」


 脳内に直接広がってくる声がもたらす奇妙な感覚。

 このままでは身体の自由が利かなくなると本能が警告を発してくる。


 二度も同じ目に遭ってたまるか……!


 その深いな感覚を斬り払うように意識へと気を巡らせると、脳内に蠢いていたもやのようなものが瞬く間に消えていく。

 

「ふふふ、この程度のまやかしは効かぬか。邪竜の気配を感じて来てみれば……面白い男を見つけたものじゃ」


「なん――――」


「そう急くでない。じきにまた会える……」


 すぅっと遠のいていく少女の声。

 慌てて振り向くが、そこには無人の廊下が存在するのみで俺たちの他には誰の姿も存在してはいなかった。


「ジュウベエ殿? どうかされたのか?」


 俺の数歩先を進んでいたリズが、立ち止まってこちらを振り返っていた。


 リズが言うには一瞬立ち止まっていただけらしいが、それでは体感時間と現実で過ぎた時間との間に誤差が生じているということになる。


「今……誰かとすれ違わなかったか?」


「いや? 特にそのような人間は見かけなかったし、気配も感じられなかったが……」


 俺の言葉を受けたリズは怪訝そうに眉を顰める。


「そうか、なら気のせいだな……。すこし呆けていたのかもしれない」


 気付いていない人間にこれ以上言っても不審に思われるだけだと、俺は適当に誤魔化した。


 いくらなんでも、アレが白昼夢や幻の類ということはあるまい。

 だが、それにしてはこちらへの敵意――――鬼気や殺気のようなものはまったく感じられなかった。


 ただの興味だとでも言うのか……?


 あまりに不足している情報が俺の中に困惑の感情を生み出す。


「……? 変なジュウベエ殿だな。まぁ、わたしに付き合わせても退屈なだけだろうし、早めに切り上げるとしようか」


「……いや、少し気が変わった。できるだけしっかりと案内してくれ。に迷子になるんじゃ、ちょっと格好がつかないからな」


「ふふふ、それじゃあ守られる側としては期待しておかねばならないな」


 俺の申し出に、リズは幾分か機嫌が良くなったように見えた。


 そんな中、俺の腰では狂四郎の鍔が小さく震えていた。

 コイツがここまで反応するということは、やはりあれは実在の何かだ。


 もしかすると、この学園には俺が思った以上にが潜んでいるのかもしれない。


 言葉にこそ出しはしないが、そんな予感めいた感情が俺の心の内には生まれていた。



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