第71話 解き放たれし者たち


「あらためて紹介をしよう。コイツは由丘征十郎セイジュウロウ・ヨシオカ。俺が八洲にいた頃に付き合いのあった剣士だ」


 いつまでも外にいるものではないと屋敷の応接室へと場所を変えて、俺は女性陣に征十郎を紹介する。


「お初にお目にかかります、セイジュウロウ・ヨシオカと申します。ユキム――――あー、ジュウベエ兄者って言った方が良いんでしたっけ? まぁ、兄者とは舎弟――――いや、古くからの付き合いでしてね」


 なにやら不穏な発言を口にしかけたものの、先ほどギルドで見せた口の悪さからは想像ができないほどの洗練された仕草で頭を下げる征十郎。


 さすがに色男がやるだけあって、かなり絵になる光景だ。

 実際、女性陣は三人とも感心したような表情を浮かべていた。


 こういう時、柔和な顔立ちをしていると得だなと少しだけ羨ましく思ってしまう。


「この大陸の方にはセイジュウロウという名は呼びにくいでしょうから……そうですね、“セイ”とでもお呼びいただければ」


 この整った貌で人好きのするやさしげな笑みを浮かべるだけでなく、さりげなく愛称で呼ばせようとするあたりがじつに抜け目ない。

 過去にこの手法で、コイツはいったい何人の町娘や色街の人間を篭絡してきたことか……。


「しかし、まさかお前が大陸に渡っているとはな……」


 ようやく世間話ができると俺は遠慮なく口を開く。

 八洲でつるんでいた頃は、当分外に出るつもりはないと言っていたはずなのだがいったいどういう心変わりだろうか?


夜刀神ヤトガミのタマなし連中が幕府を建てて以降、剣で身を立てる世ではなくなりましたからね。つまらなくなって出てきてしまいました。そう簡単には仕官もできないみたいですし、そんな人間は結構いるみたいですよ」


 長く続いた戦が終わり、太平の世になった――――。


 こういえば聞こえはいいが、実際のところは八洲を手中に収めた夜刀神家が自分たちの幕府を存続させるために可能な限り戦いの要素を排除した世界ともいえる。

 かつての敵である外様将家からは徹底的に武力を削ぎ落し、また味方であったはずの譜代からも力をじわりじわりと奪いつつ、幕府の屋台骨を揺るがす危険性を潰していくのだ。


 まさに、幼少期からあちらこちらに人質へと出され、成人してからも今度は同盟であちらこちらにつき、天下を取る寸前の最後の最後ですら戦でも(俺に)殺されかけるという、戦国の世において並々ならぬ艱難辛苦を味わった“大御所”永秀ナガヒデの臆病なまでの生き残り策とさえいえよう。


「そうか……。そう考えると、さっさと出て行ったのは正解だったかもしれんな」


 あの地で出会った人々との記憶――――幾分かの未練にもにた感情が表に出ないよう、俺は小さく肩を竦めてみせる。


 まぁ、あれこれと難癖をつけられて腹を切らされるのは御免だったし、遅かれ早かれこうなっていたことだろう。

 人や魔のものどもを斬ることは多々あっても、自分を斬るような趣味など持ち合わせてはいないのだから。


「兄者を狙っている連中も、少なからぬ数が八洲を出たと聞いていますよ。武芸者としての名を上げるでも、あなたを恨んでいる将家への仕官のツテを作るでも……まぁ、兄者は相当な有名人ですからねぇ……」


 その報せに思わず表情が緩みそうになる。

 漏れ出た俺のオーラにあてられたのか、視線の隅でリズが小さく身震いをしたのがわかった。


 《源流がんりゅう》、《絶識坊ぜつしきぼう》、《紅蓮縛鎖ぐれんばくさ》……異能や武芸を磨き上げ、人の身でありながら巷間に“魔人”と呼ばれるような人間はあの地にはまだまだ多く存在していた。


「八洲にいたら戦えなかった連中と死合えるというなら、それもまたくらいにはなりそうだな」


 戦国の世が生んでしまった規格外の武芸者バケモノたち。

 あくまでも将軍家の安定を願う“大御所”永秀は、彼らからも生きる場所をなくそうとしたのだ。


 “死合禁令”――――武家の仇討を除き、武芸者の立ち合いや侍の決闘をいかなる場合にも認めぬとしたそれは、戦国を駆け抜けた武芸者たちを時代から取り残させようとした政策であった。

 要するに、「武芸など過去の遺物」としてしまうことで本格的に諸家を骨抜きにしようと考えたわけだ。


 そして、


 つまり、武芸者を根絶させるために、諦めず後進を育てようとする人間に抜け道を作って国外に出してしまおうと考えたわけだ。

 本当にあのクソ狸爺は余計なことばかりに頭が回りやがる。


「だからって、何も言わずに八洲を出ていくのは水臭いと思いますけどねぇ」


 ここにきて征十郎の口から本音がぽろりと漏れ出る。

 それどころか顔に浮かんでいるのも、まるで拗ねているような表情だった。


「いや、言ったら絶対についてくるって言っただろ? ただでさえ剣法けんぽう殿には昔のことで頭が上がらないってのに……」


 そこで俺は征十郎の父親のことを思い出す。


 卜伝師匠に剣を師事する中で出会った古都に住む剣豪の一人で、本当の名前は別にあるらしいが、剣に生きるとかなんとかで“剣法”と名乗っていたはずだ。

 稽古をつけてもらったというよりは、たまに腕を見てくれるくらいの間柄だったが、やはり剣豪と呼ばれるだけのことはあってその腕前は凄まじいの一言に尽きた。


 まぁ、どちらかというと、剣よりも他に色々なことを教えてもらった感じだ。

 多くは語らないが、征十郎を見る限りでは“あの親にしてこの子あり”とだけ述べておく。


「親父のことはいいんですよ。好きにやれと諦めてくれましたし、道場は弟に継がせることになりました」


 征十郎コイツと違って真面目に剣に打ち込んでいた弟のことを思い出す。

 兄貴のせいで苦労するだろうなと思ったら案の定だ。


「そういえば、お前。冒険者になってたんだな」


 傍らの太刀にはめられた鍔の認識票を見ながら問いかける。


「ええ、路銀稼ぎに。道中、魔物を狩って売って、ついでに山賊なんかも狩ってましたよ」


 その言葉を聞いた三人娘は揃って同じような表情を浮かべる。


「やってることといい、考えかたといい、ジュウベエ殿の弟分というのも頷けるなぁ……」


 なにげにさっきからリズの認識がひどいような気がする。


「しかし、よくも大陸を渡ってくる気になったな。普通は東側だけにするものだと思っていたが」


 俺のような特殊な事情を除けば、あまり奥地に行こうなどとは考えないはずだ。

 だがまぁ、それもまた征十郎らしいといえばらしい。


「そりゃ兄者が東側になんているわけないと踏んでましたからね。……天下原の戦に参加できなかったせいで、俺は兄者に会えずじまいでしたから」


 征十郎――――由丘家は侍の身分ではない。

 八洲の社会階級上は、あくまでも剣の腕に優れた平民でしかなかったのだ。


 だから、彼が仮に天下原の戦いに参加しようとしたとしても、誰の傘下に入るかといった本人の希望が受け入れられることはなかったであろう。


 俺が直接声をかければまた違ったのだろうが、それは望むところではなかった。


「俺の意地に付き合わせる必要はなかった。それだけだ」


「それでも、寂しいものです」


 ふっと笑った征十郎の横顔。

 そこには過日を思い出してか寂寥感が滲んでいた。


 ちらりとリズを見ると、彼女も俺の言いたいことを理解したのか小さく頷いてくれた。


「……どうだ、征十郎。しばらくは俺たちも王都にいるつもりだ。もしなにか特別な依頼を受けているとかでなければ、お前も護衛に加わらないか?」


 率直に提案を投げてみることにした。


 いくらなんでもこのまま別れておしまいというのはいくらなんでも薄情にすぎるし、そもそも征十郎は俺を探して大陸を渡ってきたのだ。

 かつて兄貴分だった身としては、ある程度なんとかしてやりたい気持ちにもなある。


 もちろん、この出会いが本当に偶然かは別途調べる必要もあるが、すくなくとも現状では距離を置く必要性も特に存在してはいないのだ。


「是非とも……と言いたいところですが、ちょっと考えさせてください。いずれにしても、今日のところは用事がありますのでまた後日でよろしいでしょうか?」


「用事? 来たばかりの国でどこへ行くんだ?」


 まったく想像ができなかった俺は首を傾げながら訊ねる。


「ええ、ちょっとばかり色街へ花をでに」


 にっこりと笑って征十郎はそう答えた。





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