第70話 龍兄虎弟


 風が唸り声を上げた。


 同時に、高速で放たれた横薙ぎが俺を襲う。

 全身の動きを滑らかに連動させたそれは、信じがたい伸びで刃を対峙する相手へと向けてくる。

 それを太刀――――ではなく、袋竹刀の刀身で受け止めると鈍い音が発生。


 反応こそできたものの、それはとてつもない速度の斬撃だった。


 しかし、そこでひと息つく暇など与えられるはずもない。


 すぐに全身の毛がざわつく感覚を覚えて、左腕を動かすと強烈な衝撃。

 重い一撃によって骨がミシミシと軋む音が生じる。

 発条バネのように跳ね上がった右蹴りが、死角から急襲してきたのだ。


 斬撃を受け止めてからの時間も考えると、はっきり言って完璧な奇襲だった。 


 ……相手が俺でさえなければ。


「……腕を上げたな、征十郎」


 俺は目の前に立つ男――――征十郎に向けて、素直に賛辞の言葉を口にする。


「ええ、すこしでも兄者あなたに追いつきたくてね……」


 返ってきたのは冷静さの中に歓喜を混ぜた声。


「そうか、よくぞ練り上げたな。……では続けよう」


 会話が終わり、ふたたび両者の間に闘気が満ちる。


 必中の蹴りを放ったことで、征十郎の重心はわずかではあるものの前方へと移動していた。

 そこを狙って、俺は視線で征十郎の意識を引き付けておきながら、一気に足払いを仕掛ける。


 鋭い一撃が強襲し、征十郎の身体を横へと回転させるが、それでも俺の動きから瞬時に行動を読んでいた。

 やや後方へ重心を傾けながら受けることでこちらとの間合いを確保しつつ、しかも地面に激突すると思った時には左腕全体のたわみを利用して跳ね起きていたのだ。


 ――――そう来るか!


 そこで征十郎の身体から噴き上がった闘気が俺の肌を刺す。

 驚くべきことに、征十郎は起き上がりながら内側へ身体を回転させ、そのまま後ろ回し蹴りを放ってきた。

 こればかりは俺も予想していなかった。


「うそっ!?」


 曲芸じみた征十郎の動きに、それまで黙って見守っていた観客ギャラリーから驚愕の声が上がる。


 凄まじい筋肉の密度と身体の柔らかさ、それと驚異的な動体視力と反射神経を併せ持つからこそなせる業だった。


 さすがに意表を突かれたが、攻撃が来ることだけは予測していたため、身体を動かすことができたのだ。


 征十郎の踵がこちらの側頭部へと伸びてくるのを上半身を傾けて回避しつつ、そのまま後方へ流れて一度体勢を立て直す。


 あそこで足払いが決まっていれば、そのままトドメに袋竹刀を振り下ろすだけだったが、それを受け流されたとなれば話は大きく変わってくる。

 体勢を立て直した俺は、迷わず前方へと身を投げ出すように動き、右足が地面に触れたと感じた次の瞬間には腕が動いていた。


 しかし、征十郎の立て直しもまた素早かった。


 腰を軽く沈めて後方へ飛び退きながら、無理に反撃を狙おうとはせず袋竹刀の刀身に左手を添える。


 俺の踏み込みからの小手を狙った一撃を、征十郎はあえて脱力することで無理なく受け止めた。

 こちらの加えた力のまま後方へと飛ぶと、静かな着地と同時に袋竹刀を正眼に構える。

 ……ダメージらしきものは、ほとんど見受けられなかった。


 両者の間合いがふたたび開き、そこに静寂が訪れる。


「――――こんなところか?」


「ええ」


 二人の間で交わされる短い言葉。

 そして、それを合図としたように、たがいの間に漂っていた空気が弛緩した。


「それで、すこしは満足したか?」


「おかげさまで。しかし、あの連撃とそこからの反撃カウンターまで受け止めて見せますか」


 俺の問いかけに、構えを解いて苦い笑いを浮かべる征十郎。


 自分では一撃くらいは入れられると確信していたのだろう。

 飄々とした表情の中にも、わずかながら悔しさが滲み出ていた。


 足を一歩踏み出した時点から、瞬く間に最高速まで加速した征十郎の動き。

 それは、この大陸に来てから今までに相手をした敵と比較しても、間違いなく最速に類するものだった。


「昔よりもずっと速くなっている。だが、剣士を相手にする場合、最後に体術で決めにくる可能性が高いと踏んでいたからな」


 俺がこのように対処できたのも、征十郎が斬撃の後に攻撃を仕掛けてくること、そこから予想地点を絞ったからにすぎない。


 あとは――――これまでの戦いで培ってきた“勘”だ。


「……なぁ、わかっていたからって、あの斬撃は防げるものなのか?」


 そんな俺の耳に飛び込んでくる言葉。

 観客となっていたリズが、同じく俺たちの戦いを見守っていたハンナとイレーヌに向かって問いかけたのだ。


 そう、ここは冒険者ギルドの前ではなく、リズのために用意された屋敷の裏庭である。


 ギルドで冒険者に絡まれた征十郎と、それに出くわした俺がなぜこんなことになっているかといえば、残った連中を早々にぶちのめし、ギルドで移籍の手続きを済ませたところで征十郎が「ひさしぶりに手合わせをしたい」と口にしたためだ。


 当然のことながら、あれ以上の騒動をギルドの前で続けるわけにもいかず待ったがかかった。

 そして「冒険者とのケンカについては不問にするから、これ以上の厄介事は勘弁してくれ」とギルド職員が必死で懇願してきたこともあって、立ち合いは流れるかに思われた。

 ところが、今度はその場にいたリズが征十郎の剣を見たいと言い出したため、そのまま屋敷へと戻って今に至る……というわけだ。


「普通は無理ですね。最初の斬撃にしても速すぎて、征十郎様が動いたと理解する前に斬られます」


「あと、一撃目を受けられても、続くあの蹴りで肋骨を砕かれて吹き飛ばされるわね」


 リズの疑問に対してきっぱりと断言するイレーヌとハンナ。

 彼女たちも体術には相当優れているが、今の動きを見た限り征十郎には今一歩及ばないと思われる。


「やっぱり、そうなのか……」


 忍娘二人からの言葉を受け、リズは納得したようにつぶやく。


 なんだろう、どうも軽く化物扱いされているようで釈然としないのだが。





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