第69話 見た目は玲瓏、中身は……


「ナ、ナニ……シ、シゴ……」


 俺の傍らで下品極まりない言葉の意味を理解したらしいリズが口をパクパクとさせる。

 それと同時に、ただでさえ真っ赤になっていた顏色が先ほどよりもさらに赤さを増していく。


 ……誰だ、このお嬢様におかしな言葉を吹き込んでくれやがったバカは。


 そんなことを考えていると、建物の中から一人の男が静かに歩み出てくる。


「いつまで寝てやがるんだ、ヒゲ野郎。そこは娼館のベッドじゃねぇぞ」


 総髪にした肩ほどまでの焦げ茶混じりの黒髪を後ろに流し、横から見える線の細い目鼻立ちは一見すると優男風だがその中に幾分かの鋭さを湛えた瞳を持っている。

 身に纏っているのは白地に八洲に伝わる伝説の獣――――龍の模様が黒く染め抜かれた着物。

 見た目は派手だが、ずいぶんと仕立てがいい。よほど腕のいい染物屋で誂えたに違いない。


 はて、染物屋……? なにか引っ掛かるような……?


「……なんだ、気絶してやがるのか。どこまでも情けねぇ野郎だな」


 かすかな違和感を覚えつつも、男が腰に差した大小の刀へと目を向けると、そちらも明らかに旧い時代に造られた業物の類だった。

 もしも箔付のために持っているのでなければ、あれが閃くだけで辺りに血の花が舞うことは想像に難くない。

 事実、太刀の鍔には三級冒険者の証が静かに揺れているが、立ち振る舞い――――足の運びは明らかに三級のそれではなかった。


 この男、相当に使うな……。


「せっかく狭い島口を飛び出て、大陸まで“あの人”を追いかけてきたっていうのに、これじゃ暇つぶしにもなりゃしない……」


 肩透かしを食らったのか、文句を吐きながら深く溜め息を吐きだす総髪の優男。

 もはやひっくり返ったヒゲ面の男からは、完全に興味を失ったようだ。


 そして、男の浮かべる不敵にしか見えない仕草によって、俺の頭の中で謎の欠片がすべて揃う。


 思い出した――――!


「ちょっと待て」


 そう、俺は目の前の人物をよく知っていた。


「ん?」


 俺の声を受けてこちらを振り返る優男。

 まるではじめてそこに人がいることに気がついたというような様子だった。


 その仕草すらも記憶に残ったままのものだった。


「お前……もしかして征十郎せいじゅうろうか?」


「――――って、ま、まさか、雪叢兄者ッ!?」


 こちらを見た優男の双眸が驚愕に大きく見開かれる。


 それは思わぬ人間との邂逅だった。


 由丘よしおか征十郎せいじゅうろう


 俺が八洲の古都にいた頃、交流のあった剣士のひとりだ。

 元々は本業染物屋・副業剣術道場という変わった経歴を持つ優れた剣士の息子であったが、過去に実家を飛び出して何年か大陸東側で武者修行をしたこともある変わり者だ。


 そして、その時にどうも変な影響を受けたらしく、聞いての通り死ぬほど口が悪い。


「おっと、その名前をいうのはナシだ。ちょっとばかり事情が複雑でな」


 思わぬ再会への驚きを覚えつつも、すぐに俺は口元に人差し指を持っていく。

 こちらの表情からなんとなく事情を察したのか、征十郎も追求しようとはせずすぐに口を閉じた。


「それにしても、髪なんか伸ばしやがって。まるで気がつかなかったぞ」


 そこからさらに会話を続けようとするが――――


「テメェ、よくもやってくれたな、このヨソモンがよぉっ!!」


 俺たちの再会の会話は生じた叫び声によって打ち消される。


 ギルド内部から出てくる人相の悪い男たちの群れ。

 怒りの形にゆがめているとはいえ、どいつもこいつも似たような面構えをしている。


 もちろん褒めてなどいない。

 考えなしな性格が共通していると言っているだけだ。


「……ん? なんだテメェらは。コイツの知り合いか?」


 顎髭だけを伸ばした男がこちらに向けて言葉を放つ。


 征十郎のそばにいた――――というよりも同じような恰好をしていたからだろう。俺とリズに対しても、男たちからの敵意のこもった視線が向けられる。


 いちいち目くじらを立てて出てくるということは、こいつらは地面でひっくり返っているヒゲ面の仲間なのだろう。

 仲間を余所者にやられたから出てきたのかとも考えたがその線は薄そうだ。

 もしそれなりの地位と実力を持っていれば、行動も比例して慎重になるはずだ。


 そもそも、昼間からギルドでたむろしている人間が、冒険者としてまともに活動しているとも思いにくい。


「あぁ、古い知り合いでな。今そこで感動の再会をしたばかりだ」


 俺は素直に答える。


 まともに相手をすれば面倒事に巻き込まれるのはわかっていたが、こうなった時点で、もはやなにをしても結果はさして変わることもあるまい。

 だいたい、雰囲気で生きているような連中に道理だの理屈だのは通じるはずがないのだ。


「そうかい。……なら、ついでにお前にも責任を取ってもらおうじゃねぇか」


 案の定ともいえそうなくらい使い古された台詞が放たれ、俺は思わず噴き出してしまいそうになる。


「……なぜ俺が? これからギルドで移籍の手続きをしなくてはいけないんだが」


 後にしてくれないかと告げて先へ進もうとすると、俺の進行方向に立ち塞がる顎ヒゲの男。


 ……おいおいおい。


 どうやらこちらが態度を荒げないことを怯懦きょうだと受け取ったらしい。

 横ではリズが困ったような、「あちゃー」とでもいいたげな表情を浮かべていた。


「そりゃねぇだろ、兄ちゃん。そこの優男が俺たちの仲間に手ェ出しやがったんだ。見てみろ、当分働けなくなっちまっただろうが」


 投げ飛ばされた時に強めに身体をぶつけたのか、ひっくり返ったままで一向に起きる気配がない。

 仲間がいるなら介抱してやればいいと思うのだが、こちらにちょっかいをかけるのに忙しいのか誰も動こうとはしなかった。


 彼らの友情の程度が知れる心温まる光景だった。


「……俺には単に気絶しているようにしか見えないが。水でもかけたら目を覚ますんじゃないか?」


 なんなら俺が起こしてやってもいい。


「テ、テメェ……。ふざけやがって……。まぁ、いい。もしなんなら……そこの嬢ちゃんを一晩貸してくれたら許してやるぜぇ……?」


 こちらの言葉が侮辱に聞こえたらしく、顎ヒゲは一瞬顔を真っ赤にする。

 だが、すぐにリズに視線を向けると下卑た笑みを強めて口を開いた。


 リズの顏が嫌悪感に大きく歪む。

 その際、腰の剣に手が伸びなかったのは奇跡ともいえるだろう。


 まぁ、それよりも――――


「あ」


 ここでそれまで黙っていた征十郎が唐突に口を開いた。


「なんだ、テメェ。せっかく穏便に片付けてやろうと思ってるのに文句つけるつもりか?」


 この人数だぞと見せつけるように強気の笑みを浮かべる顎ヒゲ。


「いやいやいや。死んだわ、お前」


 気持ちいいほどの笑みを浮かべて征十郎がそう告げた時には、俺の身体はすでに動いていた。


 下方から相手の死角を縫うように跳ねあがった弧拳こけんが、ニヤニヤと笑みを浮かべている顎ヒゲの下顎部に真横から喰らい付いた。


 衝撃によって顎関節が外れ、下顎だけが横にズレていくのを俺の動体視力が捉える。


「ひゃ――――ひゃひゃっ!?」


 次の瞬間、呻き声にもならない音が悲鳴の代わりに発せられる。

 顎を強制的に外されたことで、まともに声が出せなくなったのだ。


 不明瞭な声を出しながら、必死で外れた顎を支えようとする顎ヒゲ。

 もはや完全に戦意は喪失してしまっている。


「どけ」


 軽く手を掲げ、中指を弾いてデコピンを一撃。

 顎を外されたままで直撃を喰らい、勢いのまま後方へ吹き飛んでいく顎ヒゲ。

 こちらは一撃を受けた時点で気絶したのか地面に倒れたまま動かなくなる。


 それまで事態を愉快そうに眺めていた連中の一転した表情――――驚愕の視線が一斉にこちらへと向く。


「や、やりやがった……」


 漏れ出るつぶやき。

 しかし、その声にはまるで覇気が存在していなかった。


 いつの間にか男たちの視線が俺の胸元に集中している。

 ……あぁ、着物に隠れていて証が上手く見えなかったのか。


「二、二級の……」


 遅まきながら、どんな相手にケンカを売ってしまったのか理解したらしい。


「……それで、穏便に解決しないとどうなるんだ?」


 だが、ここで自分から退いてしまっては意味がない。

 今後の活動の拠点がこのギルドになるのであれば、もう少しこいつらの記憶に刻みつけておくべきだろう。


 王都カレジラントの一般冒険者の水準を三級と仮定すれば、ここで多少暴れてもそれ以上の人間が出てくる可能性は低いと見ている。


 ……まぁ、もし出張ってくるというなら、

 

「俺も新入りだが、あまり余所様に迷惑をかけるのは感心しないな」


「な、なんだとコノヤロォォォッ!!」


 退くに退けなくなったのか、ついに一人が襲いかかってくる。


 軽く息を吐き出し、俺は踏み込みと同時に間合いへ侵入。

 放った掌底が防御する暇を与えることさえなく相手の鳩尾にめり込み、そのまま込められた力が身体を吹き飛ばす。

 潰れた蛙のような悲鳴と共に建物の内部へと転がっていく。


 中からはテーブルのひっくり返る音に続いて悲鳴と笑い声が発生。


 あまりいい趣味とは思えないが、事態に加わることなく傍観者に徹している人間からすれば、いい酒の肴ができたくらいに思っていることだろう。


「ク、クソッタレめぇ……っ!!」


 さすがに同業者たちからも見られていることに気づき、ここで逃げては明日からの冒険者生活に支障が出ると理解したのだろう。

 それまで完全に恐れ慄いていた男たちからも次々に殺気が放出される。


 征十郎が嬉々として俺の横に立つ。


 そして、それらを前に俺は口を開く。


「そんなに暇なら相手をしてやる。まとめてかかってこい」






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