第67話 お掃除しましょ


 明くる日、酒精アルコールの余韻を感じながら各々が目覚める中、俺たちは国境付近の街を出てこの度の目的地である王都へと向かう。


 朝の澄んだ空気の中、街道をのんびり進んでいくのだが、昨晩のことにはだれも触れようとしない。

 さすがに三人ともそれぞれに度を過ごした自覚はあるのだろう。


「調子に乗りすぎた調子に乗りすぎたどうしようどうしよう……」


「わたしのイメージがわたしのイメージが……」


 あの忍娘二人でさえこのありさまなのだ。

 とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。


「うぅー……」


 時折聞こえてくるのは、しょぼくれた子犬のような唸り声。


 中でも、特にひどいのがリズだった。

 俺とまるで目を合わせようとはしないし、そもそもなにもしていないはずなのに、朝からずっと顔が真っ赤な状態を維持しているのである。


「あんなことこんなことを……」


 ひょっとしてまだ酒が残っているのかと思ってしまうくらい、リズの言語能力は機能をしていなかった。


 この様子を見るに、自分がやらかした自覚はちゃんと持っているらしい。

 たとえ断片的であっても、大身貴族の令嬢にあるまじき“とんでもないこと”を口走りまくった記憶はしっかりと残っているのだろう。


 とはいえ、さすがの俺もそれを口に出す気にはなれなかった。

 もし言及でもしようものなら、羞恥心のあまり卒倒しかねない勢いだったからだ。


「どうしろというんだ、この空気……」


 自分に過失はほぼないと思うのだが、それでもこの空気を調整コントロールできるのは俺しかいない。


 笑い飛ばそうとするのは――――いや、女人を相手にそれは無神経に過ぎる。見え見えの罠だ。

 となれば、ここは無理にでも話を切り替えるしかない。


 周りには聞こえないように小さく溜め息を吐いて、とりあえず俺はなんでもなさそうに口を開く。


「平和なものだ。このぶんなら、昼すぎには王都に着けそうだな」


「そ、そうですね……」


 当たり障りのない言葉を発したはずなのに、ハンナの返事はなぜか微妙にぎこちない。


「あ、ちょうちょが……」


 イレーヌに至っては完全に向こうの世界を覗きにかかっていた。


 ……これは俺が思っているよりもダメージが深いのかもしれない。

 次はもう少し考えてから酒を飲ませるべきだな。


 俺は心の中で新たな決意を固める。

 とはいえ、呑兵衛の決意ほどアテにならないものはないのだが。 


「まったく、こんないい天気だってのに……」


 なんとも微妙な雰囲気が漂うのとは裏腹に、そこから王都までの道のりはじつに平和なものだった。

 昨日、国境付近であったような想定外の魔物との戦いや、盗賊からの襲撃を受けるでもない。

 順調に……いや、思った以上の調子さで進むことができたのは、まさに皮肉としか言いようがなかった。







~~~ ~~~ ~~~







 昼過ぎ――――太陽が天の頂を通過した頃、俺たちはノウレジア王国の王都カレジラントに辿り着いた。


 門のところで簡単な審査を済ませて大通りを歩けば、様々な人種の行き交う姿が目に映る。

 大陸南部では見かけなかった森人エルフ鍛冶族ドワーフ――――八洲ではそう呼ばれていた“人類に分類されている種族”などの姿もちらほらと見えた。


 やはり、大陸中央に近いだけのことはあるが、交易の要所としての役割の方が大きいのだろう。

 先日まで滞在していたオウレリアの公都オウレンブルグも坂道のある美しい街だったが、規模の上ではこちらが数段上だ。


 実際、海の近くに位置していたオウレンブルグとは異なり、平地に計画的に整備することができたのもあってか、目の前に広がる街並みも八洲の古都に似た様式――――碁盤の目のように整然としていた。


「ん~! やーっと着いた!」


 ハンナが大きく伸びをしながら声を上げる。


 忍の頭領を務めていたハンナが体力的に疲れたということは有り得ないはずだが、目的地に到着したことで気が抜けたのか表情までかすかに緩んでいた。


 たぶん、昨日のあれこれを忘れたい気持ちが叫びになったのだと思っておく。


「俺は王都に入ってからの方が疲れたぞ」


 溜め息が漏れた。


 俺が田舎から出てきた人間にでも見えたのだろうか、なぜかここに来るまでで五回ほどスリに遭ったのだ。


 まぁ、人の財布に手を出そうとする人間の人生背景を勘案してやれる博愛の精神は持ち合わせていないので、老若男女関係なくすべて人差し指をヘシ折らせてもらった。

 反射的に脇差に手が伸びて腕ごと斬り落としそうになる中、一生懸命軌道修正をして指をへし折らねばならない心労を察してもらいたいものだ。


「それにしても、ずいぶん大きなお屋敷ですわね……」


 いつの間にか現世うつしよへと帰還していたイレーヌが目の前の建物を見上げてつぶやく。


 門で指示された通りにやって来たのは、ノウレジアの貴族たちが住む地区からすこしはずれた場所に造られた“迎賓街”だった。


 まぁ、そこまではいい。


「……なんというか、案の定やってくれた感じだなぁ」


 俺の口からもやや呆れ混じりの言葉が漏れ出る。


 元々どういう目的で建てられたのかはしらないが、目の前にあるのはかなりの規模の屋敷だった。

 どう考えてもこの四人だけで住むようなものではない。正直やりすぎだ。


「持て余すだけだから、大きなものは不要だとあらかじめ言っておいたのだが……」


 こちらも忌まわしき記憶から意識を切り替えようとしているのか、リズが大きな溜め息をつく。


「あちら側にも面子というものがありますからね。下手なものを用意しては他の国に笑われるとでも思ったのでしょう」


 イレーヌが補足する。


 単なる客とするにはさすがに身分が高すぎるということだ。

 他国の公女を迎えるということで、ノウレジアも相当に気合を入れて用意したらしい。


「まぁ、足りないよりはマシと考えよう。余った部屋は使わなければいいだけだしな」


 思い思いの言葉を吐き出す女性陣に言葉をかけて、俺たちは屋敷の中に入っていく。

 大きな玄関の扉を開けると、入口部分は吹き抜けとなっており、二階への階段が両側に備えつけられていた。


「……さて、まずは“掃除”が必要だな」


「ええ、いくら用意してもらったとはいえ、


 周りを見渡しながら発した俺の言葉に、イレーヌとハンナは誤解せずに頷く。


 なにも純粋な善意でこんなものを用意しているはずがない。

 国外から来た人間の監視をするための意味も含めてこの屋敷なのだ。


 ハンナとイレーヌは、リズの身の回りの世話をする侍女として、俺にしたって“雇われ冒険者の護衛役”ということでノウレジアには届出もされている。


 だが、それをあちら側が額面通りの意味で受け取ってくれると考えてはいない。


 普通に俺たちを間者として警戒しているはずなので、この屋敷にこちらの会話などを記録する魔道具が設置されている可能性が高い。

 “その対策”をしておかねばならないのだ。


「まぁ、邪魔――――もとい、余計なものは物置に押し込んでおけばいいさ」


 俺は《邪竜の羽織》を脱ぎ、用意した紐で着物をたすき掛けにしよう――――としたところで、脱いだはずの羽織が勝手に紐の形になってするすると結んでくれた。

 また同時に、埃を被らないよう頭には手ぬぐいを巻いて掃除仕様になる。


「なんというか……ジュウベエ殿は家事にまで達者であられるのだな……」


 俺の姿を見たリズはどんな表情を浮かべていいかわからないといった様子だった。

 先般俺の素性を明かしてあるせいで、余計に違和感が強いのだろう。


「あまり格好のいい話じゃないが、なんでも自分らでやらないと、御所を掃除するのに金がかかって仕方なかったからな。あとは剣の修行の一環だよ。剣を振るう時のみならず、あらゆる動きが鍛錬となるらしくてね」


 俺と兄の剣の師である壟墾卜伝つかはらぼくでん

 《剣聖》とも称えられたかの御仁から、俺たちは剣術以外にも様々なものを学ばされ、ついでとばかりに家事全般まで仕込まれ――――もとい、鍛え上げられたのだ。


 当時は、いいように師匠の世話係をやらされているのではと思ったりもしたが、なんというか八洲を離れてからその経験がいかんなく発揮されている気がする。


「そうなのか……。なんだか大変だったのだな」


「……そうでもないさ」


 どんな脳内変換をしたのかしみじみと口を開いたリズに向けて、俺は小さく笑みを浮かべて答える。


 うーん、これでも自分ではわりと自由に生きているつもりなんだがなぁ……。



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