第66話 外堀埋め隊
「ちょっと間を挟もうか」
リーゼロッテについての会話が一区切りついたとエーベルハルトが鈴を鳴らすると、淹れたての紅茶がメイドたちによってすぐに供された。
勧められるままに俺は紅茶を啜る。
……立ち上る湯気に潜む豊かな香りが鼻腔を刺激し、続いて品の良い渋みが舌を撫でていく。
なるほど、最高級茶葉を使っているようだ。
先ほどの食事といい、俺ひとりにずいぶんなもてなしようである。
「……さて、クジョウ殿。今度は私から訊かせてもらいたい」
紅茶の陶杯を受け皿に置いたエーベルハルトは居住まいを正し、俺に正面から視線を向けてくる。
ふたたび空気を読んで退室していく執事とメイドたち。
「急にあらためられるとさすがに身構えてしまうな」
今までの話よりも厄介なものになるのか? とイヤになる。
「先に私が貴殿――――クジョウ殿のことを知っていた理由。その種明かしをしようか」
こちらの警戒を解いておきたいのだろう、エーベルハルトは自ら言葉を紡いでいく。
「一年半ほど前、サントリア王国で“勇者出立の儀式”があっただろう? 実はあの際、私も式に招待されていてね。その時に、偶然だが遠目から貴殿を見かけていたのだよ」
……なるほど、そういうことか。
それを聞けて俺はようやく得心に至る。
「我々には知らされていなかったのでな。すぐ手の者に調べさせた。まさか、そこまでの血統と武を有しているとは想像だにしていなかったが……。いやはや、とんだことをしてくれたものだ、
溜息を漏らすエーベルハルト。
あの時は、ユキムラ・クジョウという存在を各国に知らしめたくなかったのか、なんだかんだと理由をつけて儀式に参列させてくれなかったが、この反応を見るにその理由もわかろうというものだ。
この大陸に八洲の影響力を持ち込みたくないが、個人戦力として見れば破格の存在であること。
もし途中で死ねば最初からいなかったことにして、反対に上手くいった時は貴族の娘でも与えて囲い込んでおけば八洲との繋がりもできて誰も損をしない――――そんな感情が見え見えであった。
当時、故郷を含めて
「そして、魔王討伐のために《聖剣の勇者》と共に旅立ったはずの貴殿が、なぜこのような場所にいるのだ?」
こちらの心底を探るような視線。
さて、ここから俺が放つ言葉ひとつで下手をすれば人類圏が揺れ動く。
……どうせなら大混乱に陥ってもらおうか?
言葉の爆裂魔法を放り込みたくなる衝動を抑えながら、なるべく言葉を選んで俺は口を開く。
「……『戦力にならないから』と勇者一行を追放されましてね」
もちろん、嘘は言っていない。
まぁ、かなり言葉を省いているので、厳密にいえば、「
「いや、それは有り得ないだろう。貴殿の剣の腕を以てしても魔族との戦いにならないというなら、聖剣を持つだけの勇者にできようはずもない」
そのままひとりで魔王を倒しにも行っているから、その見方は正解である。
口には出せないが。
すでにおおよその理由を察しているのか、エーベルハルトは心の底から疑問に思っているような様子ではなかった。
しかし、それを直接訊いてくるわけでもない。
あるいは、言葉として聞いてしまわないようにしているのかもしれない。
「……回りくどいな。結局、あなたはなにが知りたいんだ?」
俺は単刀直入に切り出す。
「欲しいのは情報だ。首魁がどうなったかではない。私が知りたいのは、あくまでもいつ終わるかだ」
エーベルハルトもここにきてまで韜晦するつもりはないのか、はっきりとした口調で核心を口にした。
互いに余計なことを一切口にしないからこそ成立する会話だ。
「要は定期的な“イベント”に過ぎないのだよ、ユキムラ殿。所詮、人類と魔族の戦いなどというものは」
迷わずそう言い切るエーベルハルト。
「精霊神殿は「魔族は地上から消し去るべき種族」などと盛んに言ってはいるが、あれを真に受けている為政者など、神殿本部にすらいはしまい」
一部の狂信者を除いてなとエーベルハルトは続ける。
たしかに、信じているのは盲目的な人間だけだろう。
世の中には、飾り立てられた言葉であっても額面通りにしか受け取ることのできない人間は間違いなく存在している。
「まるで、すべては“その後に備えた準備期間”――――とでも言いたげだな」
「然り。なぜ今まで人類と魔族の戦いが繰り返されながら、敗北した側の種族が滅びなかったか、貴殿はわかるかね?」
エーベルハルトはそう俺に問いかける。
それは人類諸国家の間で表立っては議論されてこなかった言葉だった。
「難しい話じゃない。すぐに人間同士の戦いが始まるからだろう?」
「そうだ。魔族は強力でありながらも絶対数が少なく、元々長期戦には耐えられない。一気に人類を押し込まなければ勝てないように、はじめから決まっているのだ」
まるで、何者かによってそう定められているかのように。
主要軍には魔族がいるが、その他となれば大半は知能の低い魔物で構成されている。
魔族がその数を減らせば、使役される魔物も単なる烏合の衆と化してしまう。
「しかし、人類も人類で問題を抱えている。魔族を消滅させてしまうことで、今度は人間同士の果てなき戦いに突入する可能性があるのだ。それを我々は無意識に回避しようとしている」
「茶番だな」
「そうだ。だが、たとえ茶番であっても我々は生き残らねばならん」
エーベルハルトの瞳には決意にも似た感情が浮かんでいた。
これこそが、臣下に犠牲を出そうとも彼に一連の策を通させたものなのだろう。
国主が死んでも国は続いていく。
しかし、それによって国が終わるようなことがあってはならない。
そうならないように次世代へと繋いでいくことが為政者に与えられた責務だ。
だからこそ、限られた手札しかない中でも、最良と思える札を選んで切っていく。
政に最適解はあっても正解はない。そんな手探りのようなやり方しか存在しないのだ。
「では、リーゼロッテを国外に出そうというのも、その生き残り策のひとつというわけか」
「やはり、なんでも理解されているようで面白くないな」
俺の言葉を受けて、エーベルハルトが不満そうな表情を浮かべる。
「聞き得た情報から考えられることを並べているだけだ」
「それができない者が多いから国が狂っていくのだよ。……さて、それはそれとして、功労者には褒賞を与えなければならぬな。どうする、クジョウ殿。男爵位くらいなら用意することもできるが」
こちらを窺うように話題を変えるエーベルハルト。
すくなくとも、あの件については満足のいく回答を得ることができたということなのだろう。
「爵位なんて身が重くなるだけだ。それに、国に縛りつけられるのは当面御免こうむりたいのでね」
「まぁ、予想通りの答えだったな。欲がないとは違うのだろうが……」
こちらの来歴を知っているエーベルハルトは、元より俺が素直に受け取るとは思っていなかったのか表情を崩すことはなかった。
「人並みの欲求は持っているはずだよ」
俺は嘯いてみせる。
酒も食事も女も戦いも好きだ。むしろ俗物的なくらいだと思っているのだが。
通常の方法で繋ぎ止めることが不可能だとはエーベルハルトもわかっているのだろう。
だが、冒険者としての依頼の報酬とは別で、なにかしらの恩を俺へと売っておきたいに違いない。
要は、将来的によその国に掻っ攫われるような事態を避けておきたいのだ。
俺一人に大層なことをすると思わないでもないが、逆に言えばそれだけ買ってくれていることでもある。
それをこうして態度に出してくれるのは、素直に好ましいと思えた。
「では、貴殿は何を求める? 残念ながら、私は何も受け取らない人間を高潔だと思えるほど善人ではなくてね」
物事を過度に信用しすぎないこと。
それこそが彼が大公の地位を確固たるものにしている所以なのかもしれない。
少しの間考えてから、俺はエーベルハルトの思惑に乗っかるべく笑みを浮かべて答える。
「――――ただ、戦って、生きて、死ぬことができる場所」
一瞬、俺の言葉にエーベルハルトの表情が固まった。
それから、実に愉快なものを見たとでも言わんばかりに表情を笑みの形に歪ませる。
「……なるほど。では、私としてもその舞台を用意しようではないか」
「勿体つけてよく言うよ。どうせ、リーゼロッテについて行けって話なんだろう?」
正直、最初からなんとなく予想はついていた。
でなければ、自分の仕掛けた陰謀について語り合うためだけに俺を呼び出すはずもない。
「もちろん、正式な依頼の形はとらせてもらう。ギルドには功績も報告しなければならん。……しかし、貴殿は本当に伝え聞く通りの《死に狂い》なのだな。冷静な狂気とでもいうべきなのか」
「どうせいつかは死ぬんだから、なるべく好きに死にたいだけだ。大層なものじゃない」
「ならば、そのついでいいから、リーゼロッテに手を出すくらいのことはしてほしいものだな」
おい、自分の娘のアレコレを“ついで”呼ばわりしやがったぞこの親父。
「義父上とは呼びたくないな。しかし、容赦ないまでに
「
まったく、自分と俺が同類だとでも言いたいのか?
ところが、意外なことに俺はエーベルハルトのことが嫌いにはなれないでいた。
だからだろうか、次の言葉が自然と口を衝いて出てきたのは。
「……そういえば、ひとつだけ欲しいものがあった」
「なんだねそれは」
俺の言葉に、エーベルハルトの眉がさも意外そうに動いた。
「さっきのワイン、アレを何本かくれ。報酬をくれると言うなら、それがいい」
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