第64話 ちょいと一杯のつもりで飲んで
俺は内心で頭を抱えていた。
「わらしはな? もっろこう自由に生きらかっらんら。それを父上は……」
しばらく経って、目の前で酒杯を傾けているリズは、もはや完全に呂律が回らなくなっていた。
よくよく考えてみると、こちら――――北の方がエールにしても何にしても濃い
俺は割と平気だが、このエールにはワインとほとんど変わらないだけの酒精が含まれている気がする。
元々、高位貴族出身でエールなんて平民のもの扱いの酒を飲む機会がなかったリズは、美味い美味いと言いながら凄まじい速度で酒杯を干していった。
おそらく、酒飲みとしての素質があったのだろう。ちょっと飲み過ぎているとは思ったが、俺はこれがリズの調子だと誤解してしまった。
たしかに、このエールは酒精の度合いに反して濃厚で、干した果物のような豊かな香りと甘みと苦みの絶妙な調和から飲み口も軽い。
食事として出されたツマミたちも、このエールに負けないほどの味付けがされていた。
内陸部なので魚はなかったが、出された干し肉にしても保存食としての固さではなく適度な歯応えの中に濃縮された旨味が閉じ込められており、それがこのエールとよく合う。
そのせいで、この惨事である。
「ジューベー様ぁ~。ばんばん飲んでますかぁ~?」
「……あぁ、飲んでるぞ。というか、ハンナ、お前は飲み過ぎじゃないか」
ハンナもイレーヌも美味そうに飲むリズの調子に釣られてしまったのか、明らかに酔っぱらっていた。
「もっと飲まなきゃー。ジューベー様の、もっといいとこ見てみたいー」
先ほどまで対面側にいたのだが、ハンナは椅子を俺の隣に動かして、こちらに寄りかかりながら変わらぬ調子で飲み続けている。
表情の筋肉が役割を放棄したのかというほどに緩みきっていた。
「何を言ってるのよ、伴蔵。ジュウベエ様にはもっと強いお酒が必要なのですよ」
一方、反対側に寄りかかるイレーヌの口調も、表面上は普段とさほど変わらないが、よく見れば目がとろんとしていた。
こちらも負けず劣らず出来上がっているな。
「よーし、じゃあ強い酒もってこーい! きゃはははは!」
いったい今の会話のなにが楽しかったのか、突然笑い声を上げ始めるハンナ。
「どうしてこうなった……」
さすがに俺もこうなるとは想像すらしていなかった。
ザイテンにいた頃、何度もふたりと晩酌はしていたが、この様子を見るにハンナもイレーヌも羽目を外し過ぎないよう酒の量を調整していたのだ。
さらに言えば、リズだってここまで飲むとは思っていなかった。
「だが、まぁ……」
酔っ払いを相手にする面倒臭さはあるものの、けっして悪い気分ばかりではなかった。
あの事件の後で、みんな気を張っていたのかもしれない。
様々なしがらみからようやく解放されたところに酒があれば、こうなってしまうのも無理はないか。
そう考えて俺は自分を納得させる。
尚、先ほどまでこちらを殺意半分羨ましさ半分で眺めていた冒険者たちも、彼女たちの飲むとんでもない酒の量を見て早々に部屋へと引っ込んで行ってしまった。
関わったら殺されるとでも思ったのかもしれない。
どうせなら連中に犠牲……もとい、相手をしてもらえばよかったかもしれないという考えすら浮かんでくる。
「こりゃ! ジューベー殿! わらしの話を聞いれおるにょか?」
ますます酔いがひどくなったリズにこっちを見ろと言われた。
「悪い酒だなぁ……」
どうしたものかと、俺は先ほどまでとは別の溜め息を吐き出す。
だが、ここで無理をして彼女たちを止めるような真似はしない。
こういう時、下手に逆らうとより状況が悪化することは経験から学んでいたからだ。
いきなり半裸になって相撲を取り始めるアホどもや、据わった目で悪態をつきながら樽からひたすら酒の汲んでは倒れるまで飲み続ける男。酔っぱらってからの剣舞で振り回した名刀が鴨居にめり込んだり、飾ってあった鎧を両断したりする悪夢のような光景。
それらを俺は目の当たりにしたことがあるのだ。
あの狂った連中を相手にすることに比べれば、これはまだマシなほうである。
……被害が俺に集中していることさえ除けば。
結局、宿の人間もこれ以上は付き合っていられないと逃げ出してしまった。
その際、樽を出してきて勝手に飲めと置いて行ったが、ちゃんと精算させたあたりが抜け目ない。
他の客の眼もなかったので迷惑料だと思って少し多めに払ったら、追加で蒸留酒まで出してきやがった。
これは俺に死ねというのか?
「わらしもにゃ? かつれは兄上の
なにやら急に身の上話を始めたが、リズが話しかけている先にあったのは俺の身体ではなくエールの樽だった。
「そうか、大変だったな」
ともすれば重い話になりそうなのに、不思議と全然雰囲気が重くならない。
まぁ、まともに聞いたら悪い気がしたので、俺は話半分に相槌を打って流す。
「……れも、こうひて外に
リズ本人としては真面目なことを言ってるつもりなのだろうが、呂律が回らないせいで脳内翻訳しなければ何と言っているのかまるでわからない。
「そうか、できれば素面で言ってくれないか。言いたいことがよくわからないから」
「なんらろー」
俺の投げやりな返事にリズの眉が寄る。
だが、相変わらず彼女は俺ではなく樽に向かって会話をしている。
「「ジューベー様ぁー」」
「ぐぇ」
気を抜いたところで、一斉に左右からハンナとイレーヌが抱きついてくる。
異なる種類でありながらも、女性特有のやわらかな感触が両方向から俺に伝わってくる。
「こ・よ・い・はぁー」
「ど・ち・ら・と?」
酔っぱらっているからか欲望まで全開状態となっているふたり。
元々そういうアプローチはしっかり態度に出してくる方だったが、俺をその気にさせたいならもうちょっとこう恥じらいのようなものが欲しいところだ。
「お前らなぁ……」
考えをそのまま口に出すわけにもいかず、呆れた俺は酒杯を一気に飲み干す。
というか、盛ってるところ悪いが、もしこの状態でしたら絶対に揺れで吐くと思うんだが。
とりあえず、自分の性的嗜好の限界値を模索するような真似は御免蒙りたい。
「にゃんだ、そんにゃのうりゃやまけしかりゃんじょ! ごるごんぞーら!」
突然なにごとか叫んだリズは、そのまま力が尽きたようにテーブルへと突っ伏した。
さすがに限界だったらしい。
ところで、最後の言葉はおそらく文脈的には言語道断と言いたかったんじゃなかろうか。
「……はいはい、解散だ解散。もう遅いし、とっとと寝るぞ」
このまま放っておくと、今度はどんな醜態を晒すかわかったものではない。
口が苦い笑みの形に歪むのを感じつつ、俺はハンナとイレーヌを左右にやさしく押して椅子から立ち上がる。
「……まぁ、すこしでも息抜きができたのなら、それでいいんだけどな」
そう言いつつも、俺の酔いはすっかり冷めてしまっていた。
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