第63話 遅れてきた休息


 南ではのどかだった春の風も、北方へとやって来れば若干ながら涼しさを増してくる。

 こちらでは未だ本格的な春の到来となっていないためか、木々は枝につぼみを蓄えたまま満開の花を咲かせるその時をじっと待っていた。


 日中はまだ暖かな陽気だったが、それも日が傾いてくると途端に変わり、吹く風は涼しいどころか寒くすらなってくる。

 昼間晴れ渡っていた反動とばかりに、夜が近付くにつれて急激に冷え込んでくる空気。

 その寒さは公国の比ではない。


 オウレリア大公国の北東に位置するノウレジア王国。

 その国境を越えてしばらく進んだ俺たちは、日暮れが近くなってきたところで近くの街に辿り着いた。


 いいかげん寒さに耐えるのが厳しくなっており、早々に今晩の宿を確保しようと歩みも足早になる。


「うぅ、寒い……。ジュウベエ様、ちょっとくっつかせてください」


「こら、ちょっと伴蔵! うらやま――――みっともないですよ!」


 俺の身体を挟んで、ハンナとイレーヌの漫才が繰り広げられているのを華麗に無視する。

 衣服越しではあるが、左右から押し付けられる柔らかな身体の感触。


 どちらも言い合うのを口実にして俺にくっついているんだが。


「むぅ……」


 なにやら言いたげな視線がリズから注がれる。

 これでもう一人相手にすると疲れるので、こちらも今は気付かないことにしておく。






~~~ ~~~ ~~~






 幸いにして宿はすぐに見つかった。

 寂れた感じとまではいかないが、泊まる人間を選ぶほどの高級さがあるわけでもない……そんなこれといって特徴のない“よくある宿”である。


「……ちょっとギリギリだったが、一応予定通り街に入れてひと安心だな。リズが思った以上に慣れていてくれたから助かった」


「そう言ってもらえると幸いだ。まぁ、昔から討伐で遠征の経験はあったからな。それに、ワガママを言って同行させてもらっておきながら、足手まといになるような情けない姿は見せたくない」


 俺の隣に腰を下ろすリズがこちらの評価に満更でもなさそうに口を開いた。


「そりゃさすがに気負いすぎだぜ」


 宿の中に併設された食堂のテーブルに座り、簡素な食事の皿を前にしてエールの酒杯を傾ける俺たちは四人。

 俺とイレーヌ、ハンナ、そしてリズだ。


「ジュウベエ様はきちんと合わせてくれますし、無茶はされませんからね」


 対面側に座っていたイレーヌがにこやかに微笑む。

 その隣のハンナも口は開いていないが同様の表情を浮かべていた。


 そりゃ自分の歩みを中心にしたら絶対に無理が出る。

 旅の歩みは、基本的に一番遅い人間に合わせるべきだ。


 ……ん。無理といえば、は今頃どうしているんだろうか。


「チッ……!」


 俺の思考を打ち消すように、小さな舌打ちが耳朶に響いた。


 異なるタイプの美女に囲まれていることで、先ほどから俺に向けられている周囲からの視線が痛い。

 見たところ宿の客層は冒険者が多いようで、視線の主たちのガラもはっきり言ってよろしくはない。

 まぁ、目立たないように“そういう宿”を選んだのだから仕方がない。


 しかし、傍から見たらきっと“女を食い物にしている同業者”とでも思われているんだろうなぁ……。

 なぜだかしみじみしてしまう。


「女人に無茶させるような教育は受けていないからな」


 せめて、もうひとり男がいればマシなんだろうが……。

 俺は言葉を返しながら酒杯を呷り、吐き出す息へと混ぜるようにしてひっそりと嘆息する。


「あらあら、さすがはであらせられますわね」


 俺の内心がわかっているのか、イレーヌがからかうように口に出す。

 酒の肴にされるのがわかってはいるが、まぁそこは受け入れるべきだろう。


「よせよ、あんなの取引みたいなものだ。俺の功績というにはさすがに大げさすぎるぞ……」


 こんな調子にもかかわらず、周囲の冒険者たちがちょっかいをかけてこないのは、俺の首元に揺れる金色の輝き――――二級冒険者を示す認識票タグが大きく影響しているのだろう。


 そう、あの次期大公選定という茶番劇の中で、俺が得たもののひとつがコレだ。


 “正体不明の襲撃者”から大公をはじめとした国の主要人物を守り抜いたことを功績として、公国の強い推薦を受けて二階級特進させら――――したのである。

 爵位では重すぎるのと、国に縛られるのは御免だと辞退したため、ここに落ち着いたのだ。

 まぁ、そのように最初から仕向けられていたともいうべきかもしれないが。


「そうは言うが事実だろう。あの場で被害を最小限にできたのはジュウベエ殿がいてこそだ。恩には然るべき報酬が必要だろう?」


 身内のやったことだからか、リズがフォローを入れてくる。


「受け取らないのは礼を失するとはいえ、やり過ぎには変わらんよ。こっちもほとぼりが冷めるのを待たなきゃいけなくなった」


 いきなり二級ともなれば色々と面倒事が増えてくる。


 それがわかっていたからやったのだろうが、エーベルハルトとの面談の中で、ほとんど強引にリズ――――リーゼロッテの護衛を継続させられることになった俺たちは、彼女の“遊学”に合わせる形でノウレジア王国へと活動の拠点を移すことになった。


 この時点で、俺は半ば公国専属となったようなものだ。

 冒険者ギルドのみならず、ハンナとイレーヌそれぞれが籍を置くギルドも何も言ってこなかったあたり、俺たちは完全に公国へ売り飛ばされたらしい。

 まぁ、リズの護衛を引き受けた時点で、俺たちは国に差し出されたようなものなので今さらといったところだ。

 どうせ書類上は「外部協力員として出向」とでもなっているのだろう。

 思うところは多々あるが、いずれにしてもある程度味方をしてくれそうな国の後ろ盾を得られたことは大きい。


 ……まぁ、ここは前向きに考えるべきか。あまり深く考えるとロクなことはない。


 小さく溜め息を吐いて俺は酒杯を傾ける。


「ところで、リズはこういうところの食事は大丈夫なの?」


 微妙になりつつある空気を変えようと思ったのか、ハンナが周囲の人間に聞こえないよう声を小さくして訊ねる。

 いかに騎士として活動していたことはあれど、リズは大公の娘であり高貴ノーブルな身分の出身である。

 公城で出された食事のグレードを考えると、ハンナの言うとおり少しばかり不安になってしまう。


「あぁ、そこは大丈夫だ。討伐で遠征していた時は保存のきくものを中心にしていたし、現地調達することもあった。もちろん、わたしにも味の好みはあるが、そのあたりは理解しているつもりだ」


 笑いながらエールの酒杯を呷るリズ。

 こころなしか顔が紅潮し始めているように見えた。


「それに、こういう空気はけっして嫌いじゃない。城にいたり、騎士たちに囲まれていてはけっしてできなかったことだからな」


 リズは表情を崩して語る。

 出会ってから城を出るまでは見なかった表情だ。

 きっと、彼女なりに身分からくるストレスがあったのだろう。


「まぁ、せっかく自由を謳歌しているんだ。楽しもうじゃないか。おーい、エールの追加を頼む!」


 せっかく皆が気を利かせてくれたので、俺も気持ちを切り替えて酒を飲むことにした。


 ――――これがいけなかった。





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