幕間 ~その頃の勇者たち②~
すべてを飲み込むような獣にも似たの咆吼が山岳地帯の峡谷に鳴り響いた。
大気を震わせんばかりの大音声がその場にいた人間の肌に叩き付けられ、彼らの身を一瞬にして竦ませる。
そんな音の攻撃と共に、目の前へと空を切り裂く唸りを上げて迫る鈍色の物体。
緑色の肌に体表を覆う筋肉――――
「くっ!」
死の一撃を間一髪のところで飛ぶように回避し、少年――――デュラン・ヴィレ・マクシミリアンは彼だけが使うことのできる聖剣 《ゼクシリオン》を構え直す。
「なんで、コイツだけケタ違いに……!」
いったいどうなっているんだ、途中までは上手くいっていたはずなのに……。
この山岳地帯を根城に周囲の村などを荒らし回っていた魔物の群れは、すでにデュランたちの手により壊滅状態となっている。
しかし、その
三メルテンを越える巨躯から繰り出される刃の一撃は高速を極め、大振りだとわかっているにもかかわらず躱すのがデュランには精一杯だった。
サイクロプスが放つ振り下ろしをデュランは地面を転がりながら回避。
「せめて攻撃を引き付ける役目がいなければ……」
まず攻撃を仕掛けることすらできない。
敵の肉体に届けば、かならずや強靭な皮膚だろうが切り裂く《聖剣》の真価が発揮できないでいる。
しかし、引き付ける役目を担っていた人間はもういない。
サントリア王国から新たな前衛として派遣されてきた騎士は、囮になろうとしてサイクロプスの一撃をまともに受け、今は腹部を境に上下に分かたれて岩壁のシミになっている。
重傷でありさえすればルクレツィアの治癒魔法でどうにかなったかもしれないが、即死――――あそこまで原形を留めぬほどに肉体が損壊してしまえばもはやどうにもならない。
そもそも、ルクレツィアがかけた
あの刃に触れることは死への直結を意味していた。
こんな場面でも、嬉々として敵目がけて突っ込んでいく人間の姿が一瞬デュランの脳裏をよぎったが、すぐにその思考をないものとして打ち消した。
「隙を作れなければ、魔法が無駄打ちになる……!」
デュランが懸命に時間を稼いでいる後方の岩陰では、アリエルがミスリル銀の杖を構えて悔しげに唸る。
前衛がやられないように、魔物たちを効率よく仕留めるべく魔法を乱発したせいで、彼女の呼吸は荒いものとなっていた。
この戦いを予想していなかったとはいえ、それでも魔力の消費加減を間違えたのだ。
「アリエル、高位魔法の発動はできないのですか……?」
傍らのルクレツィアが、白皙の可憐な表情をわずかに歪めながらアリエルに問いかけた。
「打てないことはないけれど、ちょっと厳しいわね……。せめてこんな場所でさえなければ……!」
もどかしさが苛立ちとなってアリエルの声に混ざる。
彼女が切り札とする広範囲への魔法攻撃だが、このように周囲を崖に囲まれた狭隘な場所で高位魔法を使えば攻撃範囲に仲間まで入ってしまう。
よしんばそれをクリアしたとしても、今度は生まれた衝撃波によって周囲の崖が崩落を起こす可能性があった。
そうなれば、仮にサイクロプスを倒せたとしても自分たちが生き埋めとなって終わりだ。
「まんまと誘い込まれたわけですね……」
「ええ、まったく。たかが魔物と侮り過ぎたわね」
ルクレツィアの言葉に答えながら、アリエルは右手の杖を握り締める。
かといって威力を加減した魔法では、サイクロプスの武器に阻まれてしまいダメージとはならない。
サイクロプスが握る武器は、その内部にミスリル銀か何かを含んでいるのか、低位魔法を無効化する恐ろしい攻防一体の武器となっていた。
知性もろくにない魔物の群れが相手だと思い、根城となっていた谷の奥へと攻め入ったまではよかったが、勝利目前でサイクロプスが現れたことによりすべてが狂ってしまった。
魔物たちの逃げ場を封じるべくかけたはずの奇襲が、新手の登場によって自身から逃げ場を奪うことになってしまったのだ。
最初は前衛三人でなんとか削り取ろうと戦っていたものの、騎士が殺されたところで一気にリズムが乱れた。
血路を切り開いてくれるだけの前衛がいれば、立て直しとてできるかもしれないけれど……。
この場にいない人間のことを気にしてもどうにもならない。
アリエルは懸命に策を考える。
「ジリアン、まだ復帰できないのか!? ルクレツィア、早く治せ!!」
投げかけられるデュランの怒号。
それを受けたアリエルの顔が大きく歪む。
視線をやや下の方へ向けると、顔を蒼白にして苦痛に顔を歪めているジリアンがルクレツィアの膝を枕に横たわっていた。
サイクロプスが刃と同時に振り回した腕が肩に当たり、骨が砕けていたのだ。
戦士として鍛え上げられた
今はルクレツィアの
折れただけならばまだしも、粉砕となれば治癒に時間がかかる上、治癒魔法が体内の骨を無理矢理繋げていこうとするのでかなりの苦痛を伴うことになる。
「……もう、戻れる……」
魔法の途中であるにもかかわらずジリアンが口を開き、苦痛を堪えながらゆっくり立ち上がろうとする。
「無茶よ、ジリアン!」
思わずアリエルが押し留めようとするが、ジリアンの身体はびくともしない。
神官の腕力では、戦士のそれにはまるでおよばないのだ。
「へ、平気だ……。わたしが行かねば、デュランが攻撃に移れない……。そうなればみんなやられてしまう……」
未だ顔色も回復していない中、ジリアンは精一杯笑ってみせる。
「ダメです、まだ完全には治癒して――――」
「肩は、もう動く……。わたしの復帰が遅れれば遅れるほどに、デュランが窮地に陥る可能性が高くなる。そうなればわたしたちだけじゃアイツは倒せない……!」
“治癒の苦痛”により脂汗が浮かんだジリアンの顔。その瞳には悲壮な覚悟があった。
いざとなれば自分を犠牲にしてでも勝つつもりでいるのだ。
自分たちの目的はデュランに魔王を討たせることである。
そこに彼女たちの生還は絶対条件として定められてはいない。
「待たせた、デュラン!」
駆け出しながらジリアンが叫ぶ。
そこにはもう苦痛の色は見られなくなっていた。
あれでも長くはもたない――――。
デュランとジリアンがサイクロプスを引き付け攻撃のチャンスを探している間に、アリエルは必死で思考を展開しなにか打開策がないかを魔法知識の中から引っ張り出そうとする。
相手の視覚はあの大きな目玉だけ。ならば……!
ひとつの策が思いついたアリエルは、自分の荷物の中から革袋を取り出す。
旅の途中、色々な鉱石や物質を研究していた錬金術師からもらった
子どもに見せたら喜ぶと分けてくれたものだが、もしあの時と同じことができるなら――――。
「ふたりとも、目を瞑って!」
アリエルは叫ぶ。
残った魔力を使って突風を発生させ、革袋をサイクロプスの眼前まで送り込み、そこに一拍遅れて放った高密度の火属性魔法を叩き込む。
その瞬間――――すさまじい閃光が発生した。
サイクロプスの口から悲鳴のような咆吼が漏れ出る。
間近で強烈な閃光と熱を受けたため、サイクロプスの巨大な眼球は白濁――――完全に使い物にならなくなっていた。
しかし、サイクロプスは直前までの記憶と気配を探知しているのか、デュランに向けて剣を振りかぶる。
「デュラン!」
ジリアンが叫ぶ。
「――――ヤツを貫け! ゼクシリオンッ!」
そこでデュランは一切躊躇せず《聖剣》 ゼクシリオンの力を解放。
残ったすべての魔力を注ぎ込むつもりで刀身へと流し込むと、剣がそれに応えるようにデュランに力を与えてくれる。
腰だめに剣を構え、一歩踏み込みながらデュランは《聖剣》を大きく振り抜く。
ゼクシリオンから放たれた一撃がサイクロプスの眼球と脳を貫くと同時に、直前まで肉体へ下されていた命令のままに振り下ろされるサイクロプスの刃。
すさまじい衝撃。
そして、それがデュランの意識が途切れる前に見た最後の光景だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます