第60話 明日へ向ける剣閃
そうして、エーベルハルトとの奇妙な会談が終わった俺は部屋へと戻る。
酔いなど、とっくの昔に覚めていた。
せっかくの美酒を無駄にしたな、とすこしだけ残念に思う気持ちがある。
「――――おかえりなさいませ」
一礼と共に出迎えたイレーヌから、預けていた二振りの太刀を受け取って腰に佩く。
そんな中、イレーヌはなにも訊こうとはしなかった。
同様に、いつもは反応するはずの狂四郎の鍔も、なぜか今回は鳴らずにいる。
もしかすると、なにかしら表情に出てしまっているのかもしれない。
だが、そこで顔に手を持っていくようなみっともない真似はしない。
気を遣わせてしまうとはな……。
どうにも落ち着かない。俺は小さく息を吐く。
「……すこし出てくる」
「かしこまりました。お気をつけて」
視線をリーゼロッテの部屋に向けて告げると、イレーヌは俺の言わんとするところを理解したように小さく頷いてから
ハンナがいない時点でおそらくそうかとは思っていたが、リーゼロッテの気配が隣の部屋にないことも俺は察していた。
おそらくは……と見当をつけて城内を歩く。
「おい、あれ……」
「クラインシュミット卿を破った……」
「あの者が……」
「暗殺者もすべて斬ったとか……」
すれ違う騎士や衛兵。さらには文官などから向けられる視線や話し声が、昨夜を境に異なるものへと変わっていた。
……まぁ、あれだけのことをすればな。
それらを無視して訓練場に行くと、ハンナが入口の隅に立っていた。
「ジュウベエ様……」
こちらの姿を見たハンナは、一瞬だけ驚きの表情を浮かべるが、先ほどのイレーヌと同様になにも訊いてこようとはしない。
優れた忍であるが、それと同じくらいこちらの身を案じてくれているのがわかった。
「話は終わった。……リーゼロッテはどこに?」
「ええ、あちらにおられます」
ハンナの言葉を受けて視線を向けると、訓練場の中央部にはリーゼロッテがひとり据え付けられた鎧を前に剣を構えていた。
「……すまないが、少しの間人払いを頼む」
短く告げた俺は、ハンナの返事を待たずにそちらへと足を進めていく。
「――――ふっ!」
俺の視線の先――――鋭い踏み込みと共に、か細い喉から気合いを放ちリーゼロッテは剣を
そして、生じる鈍い音。
放たれたリーゼロッテの剣閃は、据え付けられた鎧を斬りはしたものの、刀身は鎧の胴体部分に侵入したまま途中で止まっていた。
破邪の剣と呼ばれる業物を以てしての結果が、今のリーゼロッテの内心を如実に表していた。
「肩と腕の力で斬ろうとしているな」
「ジュウベエ殿……」
声をかけると、リーゼロッテはこちらの存在にはじめて気がついたように背後を振り向く。
俺はそのままゆっくりとリーゼロッテに近付いていく。
「……あくまで俺の学んできたものだが、剣の技は“完全なる切断”を望むものではない」
それは会話を始めるにはいささか物々しい切り出し方であった。
俺が本題から入ることを躊躇ったわけでもあるが。
「どのようにして相手より速く、少ない手数、そして短い打ち込みで打ち勝つかが本位となる。だから、鎧を斬ろうとするのではなくその隙間から肉体を負傷させる攻撃が本来は正しい」
弱点を隠そうとするから鎧を纏うわけで、その下を狙える技量が勝負に勝つ上では必須となる。
「しかし、わたしはこの迷いを――――」
「迷いは剣先を鈍らせ、怒りもまた無駄な力となって刃の
リーゼロッテの言葉を遮るように、俺は一歩進み出ていく。
迷い――――やり場のない感情を、剣を通してぶつけようとしているのだろうが、その方法ではかえって心の底に沈む澱みとなってしまうだけだ。
ならば、それを俺が斬るしかない。
「ゆえに感情は不要。生きることに固執するでも死ぬことを忌避するでもなく、ただ剣に己の裡を載せるだけだ」
俺はザイテンで使っていた銘のない太刀を取り出す。
刃先を右へ向けて水平に構えると、そのまま鎧に一度軽く当てる。
悪鬼羅刹を斬らねばならぬのなら、然るべき刀も存在しよう。
だが、己の剣を映すのみであれば、剣閃は道具の良し悪しに左右されるものではなくなる。
リーゼロッテが固唾を飲んで見守る中、俺は刃を構え直して短く息を吐き出す。
「湖面のごとく静かに。そして、このように――――」
滑らせるように足を前に運びながら、太刀をそっと鎧に当てていく。
小さな擦過音が鳴り響いた。
即座に反転し、握りを替えてもう一度。
「――――簡単に斬ることができる」
金属同士の擦れる音を立てながら、切断面から分かれた鎧がゆっくりとずれ落ちていく。
そして、残骸となった金属が地面にぶつかって乾いた音を立てる。
あとには両方の肩口から斜め十字に切断された鎧の下側だけが残っていた。
「す、すごい……」
一瞬のことに、驚愕に目を見開いて硬直しているリーゼロッテ。
今まで散々俺の戦い方は見てきただろうが、このような“基礎的な部分”を見せたことはない。
「八洲の刀特有の鋭利性があってこそかもしれない。だが、大陸の剣とてこれくらいはできるだろう」
一旦言葉を止めて、俺はリーゼロッテを正面から見据える。
「しかし、動かぬ鎧を斬ることにどれだけの意味がある? そもそも、戦いに勝つことこそが肝要であれば、鎧を斬ることにはいささかの価値もない」
目的の前に手段を見誤るなということでもある。
一度戦うと決めたからには、あらゆる場面を想定しながら戦わなければ生き残ることもできはしない。
「今できぬことを悔やむのは結構だ。だが、次にどのような手を打つかまで考えられなければそれは無意味に終わる」
いつの間にか、俺の心も落ち着きを取り戻していた。
「それは、いずれわたしに兄を――――」
「そうじゃない。むしろ、なんのためにエーベルハルト殿が間を置くと言ったか考えてみるといい」
静かに告げて刀を鞘へ仕舞うと鍔が鳴る。
感情が昂りかけていたと気付いたリーゼロッテもそれに倣う。
「この期に及んでもライナルトを次期大公に据えようとしているのは、あくまでも前例踏襲を跳ねのけることが難しいからだ」
なにもリーゼロッテを当て馬にしたからではない。
「とはいえ、ヤツは儀式の場であれだけのことをやらかしている。本来なら即座に廃嫡にするところだが、周辺国の策動を見て先延ばしにしているだけだ。これでひっくり返すだけの土台はできた」
諦めてはいないが、本気で数年あれば矯正できるとはエーベルハルトも考えていないだろう。
だからこそ、やはりもしもの時のために、ライナルトだけではなくリーゼロッテさえも未だ候補から外していないのだ。
「……その間に、わたしに覚悟を決めさせるつもりなのか、父上は」
「半分は正解だろう。だが、退くと言うなら止める気もないだろうさ。事実として、お前はしばらくこの国を離れるように命じられるはずだ」
俺の言葉を受け、リーゼロッテの表情に翳りが差す。
取り乱す気配がないことから、おそらく予想はしていたのだろう。
ここでフォローを間違えれば、リーゼロッテはなにをするかわからない。
自暴自棄になると決まったわけではないが、いずれにしてもこのような表情を浮かべているのを俺は見ていたくなかった。
「……すこし、休もうか」
リーゼロッテを促すと、彼女はなにも言わず俺の後に続く。
「今この時に話すべきかはわからないが、かねてよりの約束を果たそう」
訓練場の隅――――普段は騎士たちが休憩する長椅子へと場所を移した俺は、隣に座らせたリーゼロッテに向けて自分があの地に置いてきた過去を語り始める。
自身の生まれ、そして時代の流れ、果てには兄を失いこの地に流れてきたことを――――。
「……俺は兄を勝たせたかった。べつに兄に褒めてほしかったわけじゃない。自由を許されない将軍家という“籠”の中であっても、たまにでいい、兄弟として酒を酌み交わしたかっただけだ。そして、それを叶えるには勝つしかないと思い込んでいた……」
結果、戦には敗れて兄は死に、その一方で俺はまだ生き永らえている。
「ジュウ――――ユキムラ殿……」
すべて語り終えた時、リーゼロッテの表情は落ち着きを取り戻していた。
似たような境遇の話を持ち出すのは卑怯なことかもしれない。
はっきり言って、同情させようとしているようなものだ。
しかし、俺はここでリーゼロッテに短慮に走るような真似だけはしてほしくなかった。
「俺みたいにはなるな、リーゼロッテ。お前の兄はまだ生きている。なにも殺し合うばかりが戦い方じゃない。その選択肢は、これから見つければいいんだ」
物事に絶対はない。これも単なる詭弁――――気休めに過ぎないと理解はしている。
だが、そのような思いすら抱けず生きることにどれほどの意味があるのか。
結論が出ていないならば、それは可能性が残されているということだ。
夢想論でしかないかもしれない。
しかし、その時間が今のリーゼロッテには必要だと思う。
「もし、この国を離れるというのであれば――――俺もついて行こう」
「それは……?」
いったいなにを言っているのか。
そんな理解が及ばないという揺れる瞳でリーゼロッテは俺を見る。
「お前の身を守る――――それが俺が受けた依頼の内容だろう? ……まぁ、うっかり見落としていたことなんだが、その期限はまだ決められていなかったはずだ」
どちらにせよ、あれだけ大暴れしたらしばらくは俺もこの国にはいられまい。
「ユ、ユキムラ、どの……!」
俺が後頭部を軽く掻いて答えたその瞬間、リーゼロッテの表情が大きく歪んだ。
同時に、身体がこちらを向いたままで固まる。
その行動の意味を俺は誤解しない。
「今は誰もいない。無理はしなくてもいい」
そっと肩に手を回して抱き寄せると、リーゼロッテは俺の胸元へと飛びつくように身体を預けてきた。
そして、小さく聞こえてくる嗚咽。
そちらを見ないよう上を向くと、そこにはイヤになるくらい晴れ渡った空が広がっていた。
だが、俺はその蒼空へと密かに願う。
願わくば、彼女の剣閃がいつか望む未来へと届くようにと――――。
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