第59話 その代償の価値は


 ある覇王は、地方の領主の身から次々に周辺国を飲み込み、八洲を統一する寸前まで駒を進めていた。

 形骸化しつつあった幕府を御輿として担ぎ、あとは西国を手中に収める大武将を倒すだけで、八洲の主要地域を手中におさえられるはずだった。


「……もう少しで太平の世を作れる。雪頼には降りてもらうことになるだろうが、後悔はさせん。なに、禄は用意するし面倒はかけんさ」


 覇王は人好きのする顔で微笑みそう語った。

 俺にとって、彼は兄のような存在だったと思う。


 だが、本当にあと少しというところで、味方の裏切りに遭い彼は命を落とした。

 かの覇王を討った者は、腹心ともいえる存在でありながら、厚遇されることなく心の裡に闇を抱えていたひとりの武将だった。


 記憶が鋭い痛みとなって俺の胸を裂こうとする中、俺はエーベルハルトに意識を向ける。


 “俺の過去の痛み”を今この場でエーベルハルトに語るつもりはなかった。


「……案の定、焦燥感に駆られたライナルトは策を巡らせた。これだけならまだ良かったが、使リーゼロッテを葬り去ろうとした。それがどこぞのアホどもの思惑に乗せられているとも知らずに。しかし、そこでひとつ想定外の事態が発生した」


 自分で言うのもなんだが、


 おそらく、俺がリーゼロッテと出会っていなければ、彼女はあの山で命を落としていたはずだ。

 まぁ、その後この国を含む人類圏がどうなるかについては、単なる推論でしかないので今は論じないでおくが。


 俺の言葉を受けたエーベルハルトはひどく満足気に笑う。

 まるで、この会談の目的がそこにあるとでも言わんばかりに。


「……あぁ、私もそこは本当に想定外の出来事だった。リーゼロッテが生き残ったばかりか、知らずのうちに“最高の切り札”を持って帰ってきたのだからな。もしリーゼロッテがあそこでどのような方法であれライナルトを討っていたとしたら、私はリーゼロッテに大公位を継がせてもいいとさえ思っていた」


 エーベルハルトがリーゼロッテを評する言葉はすでに過去のものとなっていた。


「しかし、現実にはそうはならなかった。実の兄をその手にかけることを決断できなかったリーゼロッテは大公となるための覚悟が足りない」


 エーベルハルトの言葉を俺が引き継いで続けると、彼は小さく頷く。


「……将軍家に名を連ねていた貴殿に言うことではないだろうが、国主というのはいざとなれば国ために肉親だろうがその手にかける覚悟が必要になる。――――だが、今のリーゼロッテにはそれがない」


「たしかにそういう意味で言えば、今のリーゼロッテが大公にふさわしいとは俺も思わない」


 エーベルハルトの言葉に同意する。


「……そのわりには気に入らないようだな」


 こちらの内心を見透かすようにエーベルハルトは言葉を向けてくる。


「俺とてまつりごとについてはそれなりに理解しているつもりだ。だが、それでも親が子ども同士を殺し合わせるという行為に感慨――――不快感を抱かないほど人間をやめているつもりはない」


 不快感を隠そうともせずに俺は言い放つ。


 理解ができることと納得できることはまるで違う。

 俺はエーベルハルトの思考を理解しつつも、そこまで合理的に――――我が子さえ駒として動かそうとする思考に畏怖と嫌悪感の双方を抱いていた。


「ならば、この場で私を殺して国盗りでもしてのけるかね?」


 エーベルハルトの言葉と同時に、黒の騎士がこちらに向けて威圧を放つ。

 気の流れが実体化し、テーブルの上のグラスがわずかに揺れる。


 その気にさせるつもりか?

 ……まったくもって度し難い。


「……いや、やめておこう。がっちり国内をおさえている国主を殺す利点メリットがどこにある? すぐに内乱で泥沼化だ。冗談でも笑えやしない」


 小さく息を吐き、俺はわざとらしく肩を竦めてみせる。

 そのつもりはないという意思表示だ。


 黒の騎士からの圧力が薄れていく。


 ……すこし勿体ないことをしただろうか。


「あんな“茶番”をやってのけたのも、貴族たちからの支持が揺らがないだけの自信があったからだ。あらかじめ起きることを予想――――いや、あらゆる事態を想定した上で切り抜けられると思っていなければ、近衛騎士団をあのように見えない場所に潜ませてはいなかったはずだ」


 ますます愉快そうに俺の話に耳を傾けているエーベルハルト。

 所々に皮肉や嫌味を混ぜようが、この男にとっては料理の香辛料くらいにしかならないのだ。


「それに、ライナルトに暴発させたのも、いよいよとなればどうにでもなると踏んでいたからだろう?」


 あの一瞬でライナルトを制圧した腕前がまぐれなはずもない。


 そもそも、ライナルトとリーゼロッテのふたりに剣の才があるにもかかわらず、その父親であるエーベルハルトにそれがないということは考えにくい。

 ただ、誰もが腕が衰えてしまったと錯覚していただけならば?


 ちょうどそのタイミングで、エーベルハルトの右手の指に嵌る指輪が鈍い輝きを放った。


「“魔力制御の指輪”か……。いや、それであらためて確信できた。本当に誰も彼もがまんまと踊らされたわけだ」


 裏側を理解すればするほどに、この男の思考を並べていくのがイヤになってくる。

 だが、続けていかねば俺の気も晴れない。


「……嫡男ライナルトはこれで本腰を入れて鍛え直すことができるし、外敵を作ることで国内の不安も一旦は先延ばしにできた。それに、国に従わないどころか他国に通じようとしていた暗殺者組織までついでに始末できた。良かったじゃないか。あなたの思った通りの結末に収束できて」


 大きく息を吐き出して、俺は応接椅子に背中を預ける。

 おそらく細かい部分での仕込みはまだまだあるだろうが、全体はこんな流れだろう。


「……そこまでわかっていながら、思ったよりもあっさりと引き下がるのだな」


 俺のあっさりとした反応に、エーベルハルトはさも意外とでも言いたげな表情を向けてくる。

 ……話したがりか? なんだか面倒くさい性格をしているな、この親父。


「この茶番のために、いったいどれだけの人間を巻き込んだと思っているんだ!――――とでも問い質せばよろしいか?」


 ポーズで一瞬怒りを露わにしてみせるが、エーベルハルトの表情は変わらなかった。


「この機に糾弾するとでも思われたかもしれないが、それは俺のやることじゃない。いずれ、すべてを知ったリーゼロッテがしっかり問い質すだろうさ」


 そう言うと、はじめてエーベルハルトは苦々しげに顔をしかめた。

 これは父親としての顏だろう。


「まぁ、これは独り言だが……大公エーベルハルトは、あらゆる可能性を考えた上で、国全体を巻き込むことになる内乱やそれを切っ掛けとして起きる戦で生じる犠牲と、今回の件で生じるそれとを秤にかけたのだろう。俺自身がその立場となったことはないから想像でしか語れないが、すくなくとも為政者とはクソのような選択肢の中からもっともマシなものを選ばなければいけない存在だとは思っている。納得はしていないがな」


「……なんでも理解されているようで、あまり面白みがないな」


 エーベルハルトは無感情な声で小さくつぶやく。


 もしかすると、彼はこの国を巻き込んだ策について、誰かに断罪して欲しかったのだろうか。


 だが、それをするには政の世界で生きる人間を俺は見過ぎている。

 感情の面で納得できなかったりはするが、同時になぜそれを選ばざるを得なかったのかまでわかってしまうからだ。


「なんでもは存じ上げてはおりませぬ。ただ拙者が知り得ることのみなれば」


 口調を変えて皮肉を投げかけると、エーベルハルトも困ったような表情を浮かべるだけだった。


「……クジョウ殿、最後にひとつだけ訊いておきたい。リーゼロッテと討伐に向かった騎士たち。彼らは――――」


「……もし、“あの敵”が解き放たれていれば、この国に多いなる災厄をもたらしたことだろう。それだけは間違いない。そして、未然に食い止めた彼らは、立派に騎士としての役目を果たしたかと」


 俺は断言する。

 結果論に過ぎぬことだが、彼らがあの山に派遣され少しでも時間を稼がなければ、より大きな被害が出ていた可能性は決して少なくないのだ。


「そうか……」


 エーベルハルトは短く言うと、静かに目を閉じた。


 たとえ犠牲が出ることを覚悟していようとも、エーベルハルトは彼らを殺したくてやっているわけではないのだ。

 考え抜いた末に、臣下の者たちに死んでもらうしかないと決断する――――それもまた為政者の役目だった。


「……いずれにしても、しばらくは国内を落ち着ける必要がある。さすがに貴族たちに与えた衝撃もあるからな。……それに、リーゼロッテも気持ちに整理をつけるだけの時間を与えるべきだろう」


 大公としての顔から一瞬だけ、父親の顔に戻るエーベルハルト。


「第二騎士団と第三騎士団は解体、近衛騎士団に組み込む。ライナルトは北方にでも出向いてもらおう。自分をハメようとした国と向き合えば少しは頭も冷えるだろう。そして、リーゼロッテだが――――」


 エーベルハルトは一度そこで言葉を切る。


「あれには少しこの国から離れてもらおうかと思う」



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