第56話 八当剣風帖


 敵集団に向けて強く足を踏み出すと同時に一閃。

 鋭い風切音を上げて旋回した刃が、最前列からこちらに向かってきていた暗殺者の首を刎ね飛ばす。

 どこにでもいそうな中年男性の首が、自分の身に何が起きたか理解できない表情のまま宙に舞う。


 一拍遅れて切断面から間欠泉のように噴き上がる血飛沫の中、自身の得物の間合いへと持ち込むため、こちらへ向かって押し寄せてくる暗殺者たち。


 儀式から続く戦いの連続が、俺の身体の内側に高揚感の炎を揺らめかせていた。

 委ねれば瞬く間に業火となって身体を覆うであろうそれを、柄を握る指の大半から力を抜くことで霧散させていく。


「――――来い」


 短く告げる。


 この身に宿る治癒能力は、超常の者たちを倒してきた中で、もはや人間の範疇を超えんばかりのものとなっている。

 だが、傷を受けるその瞬間に身体はいかんともしがたい隙を生み出す。


 そして、そこを衝かれれば簡単に人は死ぬ。


 いかに血に酔いしれようと、剣の妙技は“脱力柔軟”にある。

 腕力に優れるだけで真の強者となれるのであれば、この世に武は不要なのだ。


 ――――ただ剣を振るうのではなく、切っ先を滑らせるだけ。


 濃密な殺気の漂う中、俺は小さく息を整えながら、一閃した刃を素早く元の位置へと戻す。

 そして、後続を迎え撃つべく正眼に軽く構えて足を低く前へと運んでいく。


 その直後、奥合いから放たれた長槍が弧を描くように左側から強襲。


「……大振りにすぎる」


 相手の放った槍の軌道は、腕力に頼った円運動的を描くもので、大振りになっているせいか速度も遅く、刀身で受け止めるまでもなかった。


 素早くたいを移動させて相手の間合いの内側へと入り込みながら、槍の柄ごと前に出ていた利き腕を切断。

 鮮血と悲鳴が上がる中、そこからさらに手首を返して下からの切り上げ。

 胸骨を横断するように切り裂いて斜め上へと抜けていく。


 続く三人目が放つ上段からの両手剣による振り下しを、身体の軸足を入れ替えながらギリギリの線で回避。

 そのまま刃を水平に滑らせると、相手の鼻から上が消失する。


 ほぼ同時に、首筋を悪寒が走る。


 一旦間合いを稼ごうと後方へ飛んだところへ、こちらを狙っていたいしゆみから放たれた矢が飛んでくる。


 軌道は読んでいた。

 一直線の動きは、あらかじめ予測ができていれば対処は容易に過ぎる。


 高速で飛来した矢を左手で掴み取り、手の中で反転させながら腕全体のしなりを使って投げ返す。

 やじりの表面がぬらりと輝いていたことから、おそらく毒が塗られている。

 隙さえあれば行動力を奪い殺す――――実に暗殺者らしいやり方だ。


「ぎっ!」


 こちらの離れ業に驚愕の表情を浮かべている顔面――――左眼球へと深々と突き刺さる矢。甲高い悲鳴と共に顔が苦悶の形に歪む。

 周囲からの注目が集まる中、そのまま痙攣を繰り返して地面に沈んでいく狙撃者。


 まぁ、鏃に毒が塗ってあろうがなんだろうが、脳にまで達していれば遅かれ早かれ死ぬことに変わりはない。


 そして、俺が矢を投げ返したその一瞬、敵の動きが明らかに鈍った。


「ま、魔王でも相手にしているのか……」


 対峙する暗殺者たちの中から漏れ聞こえてきた狼狽の声。


 魔王?


「――――押し通る!」


 ここぞとばかりに鋭く叫び、俺は相手を胆力で威圧。

 こちらの声を受けて反射的に身体が硬直したのを見届け、そのまま敵の真っ只中へと飛び込んでいく。


 虚を衝かれた男の顔面にめり込む下駄の歯。

 二本線の形に陥没した顔面が血を撒き散らしながら後方へ倒れていく中、腕を引くように後ろへ流れた狂四郎の柄頭が背後に迫っていた人間の喉を破壊する。


 そこから刀を戻すのと同時に左手を柄頭に添え、上段から放った振り下しが風切音と共に年若い男の頭部を斜めに切断。

 返す横薙ぎが年老いた鎌使いの両腕を容赦なく斬り飛ばす。


「シャアッ!!」


 即座に刀を引いて、気合いと共に真っ向に打ち込んでくる女の一撃を躱す。

 そこからは、ただ腕を伸ばすだけの突き。


 刃の切っ先が肺腑まで一瞬で貫き、その中を血で満たして溺れさせる。

 引き抜きながら下段に流れた刃を素早く反転させ、地面を踏みしめながらはらの力で垂直に打ち上げた。


 流れるように躍った刃は、大上段に斧を構えた巨漢の下顎から眉間までを斬り裂き、切断面から勢いよく血飛沫が飛び散る。


 一連の事件で、俺が手練れを斬ってしまいすっかり人材が枯渇しているのか、相手はこちらの刃に触れることすらできず次々に地面へと沈んでいく。


 刀身に付着した血は、狂四郎が血払いはしない。

 逆に、それを見せつけるように前進していくと、相手の放つ恐怖の気配が増大していく。


「どうした、


 ゆっくりと一歩踏み出すと、相手が一歩引いた。

 間合いを保とうとしているのではない。近付けたくない恐怖からの行動だった。


 かくして、俺への包囲網は、俺の草刈り場へと変わる。


 突き出し、旋回する刃によって、誰も彼もが平等に切り刻まれていく。


 俺とイレーヌを除き、この場に動く者がいなくなるまでそう時間はかからなかった。






 ~~~ ~~~ ~~~






 通路の先に見えた扉を力任せに蹴り破る。

 同時に飛来した暗器を狂四郎の刀身で軽く打ち払うと、澄んだ金属音が鳴り響く。


「お、お前は……」


 視線の向こうには、立ちつくす壮年の男がいた。


 こちらに男から向けられる驚愕の表情と震えの混じった声から、俺が何者であるかわかっているようだ。

 まぁ、この国に八洲の人間なんてまずいないはずだ。

 こちらの容貌を見ただけであたりもつけられよう。


 恰幅はともかく、身なりのよさからこの組織の主と判断。

 

 軽く肩を左右に揺らし、骨の鳴る音を聞きながら、俺は部屋の中へと足を踏み入れる。 


「ど、どうしてこの場所がわかった……!」


「残りを全て斬れば、少しは気もおさまるかと思ったが……案外そうでもなかったな」


 頭目の言葉には答えず、小さく落胆の息を漏らして俺は歩みを進めていく。


「くそ! なぜ、たかが雇われに過ぎない貴様がこのような真似をする……!?」


 余計なことをしおってとばかりに憎悪の視線が俺を射抜くが、その程度の殺気ではまるで気にならない。


「お前らのような連中が居るから、世間を知らないが調子に乗った真似をしたんだ。……まぁ、これは俺が暴れるための理由づけだが」


 嘯きながら、俺は抜いたままの狂四郎を軽く振る。


「――――得物を取れ。ここまで来てやったんだ、せめて意地のひとつでも見せてみろ」


 頭目に向けて告げるものの、構えは取らない。

 ただ一刀ですべてを片付ける。


「くっ――――」


 頭目が怯んだ――――と思った瞬間、床に叩き付けられる煙幕玉。

 同時に、新たな殺気が天井部から膨れ上がる。


 俺は構わず前進。

 漂う煙の中、鋭い片手剣の突きが煙幕を切り裂いて伸びてくるが、俺は半身に引いてそれを回避。

 そのまま、片手で握った狂四郎を軽く振るって手首を切り飛ばす。


 頭目の喉が絶叫を上げるのと同時に小さな苦鳴。続いて、なにか重たいものが地面に落下する音が響く。


 晴れていく煙幕の向こうに、小刀が喉笛を貫いて絶命した少年の姿があった。

 護衛くらいは残していると思っていたが案の定か。


 背後を振り向くと、短刀を片手に投擲姿勢のイレーヌ。

 そちらへと小さく笑みを浮かべてから俺は前に向き直る。


 屈みこんで手首を押さえながら唸り声を上げる頭目に、俺は刃の切っ先と視線を向ける。


「“雉も鳴かずば射られまい”という言葉がある。よくもまぁ、一国を相手に阿呆なことをしたものだ」


 答えが返ってくるとは思ってはいなかったが、小さく鼻を鳴らして俺は言葉を投げる。 


「……なにがわかるのだ、貴様に! 我らのような陰で働く者がいるからこそ、この国は今まで繁栄を遂げてこられたのだ。それを潰そうとした大公エーベルハルトに我らの価値を思い知らせようとしただけだ!」


 意外にも頭目は感情をブチ撒けた。

 溜まるに溜まっていたのか追い詰められてヤケになったのかは知らないが、せっかく動機を語ってくれても、それをこの国の人間ではない俺に言われてもどうしようもない。


「……そうか。まぁ、ちゃんと“価値なし”って証明できたじゃないか、おめでとう」


「き、貴様……! 何も知らぬ無頼ぼうけんしゃ風情が知ったような口を……!」


 ふむ、“暗殺者様”は冒険者がお嫌いのようだ。


「……いや、よく知っているさ。ただ、俺たちはその手の者を必要としなかっただけだ」


 暗殺しようにも、刺客がことごとく返り討ちに遭うような連中バケモノばかりだったのだ。

 それこそ、

 忍も暗殺者としてではなく、諜報員として使うに決まっている。


 俺の思わせぶりな言葉に、頭目の目に困惑の色が混じる。


「……だが、上客を裏切って余所になびいた時点で、お前らの運命も決まったようなものだがな」


 これ以上は時間の無駄だ。


 どのみち、あと数刻もすれば、近衛騎士団がここへ乗り込んでくることだろう。

 だから、やられる前に鬱憤晴らしに動いたのだ。


 トドメを刺そうと一歩踏み出そうとしたところで、頭目の目に剣呑な光が宿る。


「――――二度も同じ手は食わん」


 手の内に隠していた寸鉄を投擲。頭目の鳩尾に深くめり込み呼吸が途絶する。

 同時に魔力の乱れが起きて、“自爆”は不発に終わる。


 すぐさま踏み込むと、狂四郎を垂直に振り下ろして首を刎ね飛ばす。

 一瞬だけ浮かび上がった魔力の規模から、この部屋を吹き飛ばすくらいの呪印が施されていたはずだ。


 俺を殺すためというよりも、証拠を隠滅することが目的だったのだろう。

 まぁ、この部屋には“公国の欲しがりそうなもの”が転がっているに違いない。


「……さて、帰るか」


 小さく息を吐き出して俺は振り返る。

 その先にはイレーヌの何か言いたげな表情。


 俺は視線で発言を促す。


「よろしいのですか? ここにあるものを入手すれば公国との交渉が有利になるのでは」


 イレーヌの言わんとすることは理解できた。


 リーゼロッテが敗けた以上、彼女にどのような沙汰が下されるかわからない中では、少しでも俺が不利にならないようにと気を回してくれたわけだ。

 ……あとは、“いざという時”――――公国を敵に回すような事態になった場合のネタとしたいのだろう。


「あとは、おっかないお兄さんたちが片付けてくれることだろうさ」


 俺はそこに気付かないふりをして言葉を返すが、依然としてイレーヌは釈然としない表情を浮かべている。


「ですが――――」



 なおも食い下がろうとするイレーヌの言葉を遮るように、俺は短く言い放つ。


「それに、“余計なこと”をしないのが長生きの秘訣だ。さぁ、早く帰らないとハンナが拗ねるぞ」


 俺は小さく笑って、血の染みひとつ残っていない狂四郎を鞘に納める。

 それを見て、イレーヌはようやくはっとしたような表情を浮かべた。


 俺があえて冗談を交えたことで、自分が焦り過ぎていたことに気が付いたのだ。


「……すみません、ジュウベエ様。出過ぎた真似をいたしました」


 俺の意図に気づいたイレーヌは小さく頭を下げてくる。


「構わんさ」


 そんなイレーヌの肩を抱きかかえるようにして、それから手を伸ばして彼女の頭を軽く撫でる。


 静まり返った地下を通って外に出ると、いつの間にか雨は止んでいた。


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