第55話 今宵の狂四郎は


 折からの湿った風は、夜半になってついに雨を運んできた。


 降りしきる雨粒が石畳の地面を叩く中、八洲傘をさした俺は人気のない公都の街を歩く。

 雨除けに履き替えた下駄が、濡れた石畳に触れて少し湿りながらも樫の木特有の音を立てる。


 そうしてしばらく歩いた末に辿り着いたのは、公都の中でもっとも治安が悪いと囁かれる地区だった。

 雨によってかなり薄まってはいるが、こういった場所特有の“すえた臭い”がわずかに漂っている目抜き通り。

 その一角にある寂れた酒場の扉を俺は静かに開ける。


 来客を知らせる鈴の音を引き連れながら、店の中へと入った俺を出迎えたのは、カウンターの向こうに立つ店主からの胡乱うろんげな視線だった。


「……異国ヨソの人間がこんな時間に何の用だ」


 続いてぶっきらぼうに投げかけられる言葉。

 本当にコイツは客商売をする気があるのかと思うような口調と態度である。


 さて、案の定というべきか、店の中に客は誰もいなかった。

 時間の問題なのかこの雨のせいなのか、それとも店主がこの様子だからか。


 小さく肩を竦めて俺は店主へと近寄っていく。


「なんだ、用件がわかっていないのか。……まぁ、いい。今日は酒を飲みにじゃなくお礼参りに来た」


「……なんだって?」


 俺の言葉を受け、それまで酒瓶を磨いていた店主の動きが一瞬止まる。


 普通なら、発せられるのは酒の注文か、依頼を意味する“合言葉”のはずだ。

 怪訝そうに眉をひそめながらも、店主は瓶を棚に戻してからふたたびこちらに向き直る。


「ここは酒場だ。客なら――――」


? 《深淵の牙》だかなんだかの根城アジトは」


 言葉と同時に狂四郎を引き抜き、そのまま逆袈裟に一閃。


 翻った刃はカウンターの板を易々と切り裂き、その下で短剣を抜いていた腕ごと店主の身体を深々と斬りつける。

 その際、振り抜かれた刃から飛散した血飛沫ちしぶきが、先ほどまで店主が磨いていた酒瓶を赤く染め上げた。


「……暗殺者組織の一員のくせに、殺気を隠すのが下手過ぎるな。もう少しウチの忍を見習うといい」


 すでに事切れていた店主の死体に向けて意味のない言葉を残し、俺は店の奥へと進んでいく。


「いきなり斬ってしまわれたのですか……」


 後から中に入ってきたイレーヌが呆れたように言葉を漏らす。

 城からの尾行がないか離れて警戒しつつ、俺の後から付いて来ていたのだ。


「……どうせ最後には斬るんだ。後でも今でも同じだ」


「そ、そうですか……」


 返答を受けたイレーヌの顔がわずかに引きつる。


「それよりも、扉を閉めて店じまいの札を掲げて来てくれ。このままにしておくよりかはマシだろう」


 ひと騒動起きたばかりだというのに、店の中には俺たちの他にはなんの気配も感じられず、それこそ異様なほどに静まり返っていた。

 イレーヌの情報が間違っていないのなら、これは定番の隠し扉でもあるのだろう。


 どこにあるのかと周囲に視線を向けながら進む中、ふと湧き上がる違和感。

 居住エリアか連れ込み宿か知らないが、二階へと続く階段の裏手側――――なんの変哲もない壁の前で俺は立ち止まる。


 ……空気の流れか?


 肌に触れる風を感じる中、床を見ると何かがこすれたような跡がある。


「……ここか」


 壁を軽く叩いてみると、案の定というべきか異様に軽い手応え。

 この向こう側に空間があるようだ。


「いま鍵開けの忍具を――――」


 ……では、いくとしようか。


 イレーヌがなにかしているのを尻目に、軽く息を吸い込んで蹴りを入れると、破砕音と共に壁の木板が内部へと吹き飛んでいく。

 板が転がり落ちていく音が響く中、その向こう側に隠されていた地下への入口が露わとなった。


「……ジュ、ジュウベエ様、もう少し穏やかに進めることはできないのですか……?」


 取り出した忍具を片手に顔を小さく痙攣させているイレーヌ。

 こちらの無茶を目の当たりにしながら、懸命に堪えようとしているのがわかる。


 だが、今の俺にそんな気持ちの余裕はない。


「無理だな。これでも相当怒りを抑えているんだぞ」


 短く返して足早に階段を降りていくと、酒場の地下には想像以上に広い空間が広がっていた。


 これを作るだけでも、いったいどれだけの時間と金をかけているのやら。


「なんだ、テメェはっ!!」


「よろこべ、遊びに来てやったぞ」


 異常を感じて飛び出してきた小柄な男を刃の一閃で地面へと沈め、俺は狂四郎を下段に構える。

 同時に、奥から近づいてくる複数の足音を聴覚が捉えた。


「貴様、何者――――いや、どこに雇われた者だ!」


 続いて現れた集団が入口となっていた広場を挟んでこちらと対峙。

 同時に誰何すいかの声が投げかけられるが、はっきり言ってどうでもいい。


 いったい俺をどこの刺客と勘違いしているのか知らないが、こちらは単なる“八つ当たり”に来ているのだ。どこもなにもあるわけがない。


「ここで死んでいく連中に、名乗りは要らんだろう」


 俺は淡々と告げて、狂四郎を肩に担ぐように構える。 


「……ふざけたことをぉっ!」


 こちらの挑発に引っかかった長身痩躯の男が、怒りの叫びを上げながら剣を片手に飛びかかってきた。


 俺は一歩踏み出しながら、正面から横薙ぎの一撃を叩き込む。

 空を滑るように喰らいついた太刀の一閃は、相手を胴体の部分から上下に両断。


 仲間が鮮血と内臓を撒き散らす中、刀を振り抜いた俺の右側面から新手の気配は生まれた。

 視線を向けると、片手剣の突きを繰り出す体格の良い男の姿。


 こちらの隙を衝いたと勝利を確信する笑みを浮かべていた。


「死ねっ!」


 上半身をわずかに逸らし、俺は必殺の突きを最小限の動きで回避。

 相手の剣が身体のすぐ近くを通過していく気配を感じながら、すかさず手首を返しつつ丹田の力を使って、掌の中で柄巻をわずかに滑らせる。

 最小限の動きで放たれた刃の切っ先は、相手の鼻部分から内部へずるりと潜り込みつつ脳を破壊して側頭部から抜けた。

 素早く刀を引き戻していく中、鼻から上を失った死体は大きく痙攣。そのまま後方へと倒れていく。


「なっ――――」


 トドメを刺そうと前進してきていた獣人――――頭部から獣の耳を生やした暗殺者が、予想外の事態を受けて急停止。

 種族特有の反射神経を活かし、すぐさま後方へ飛ぼうとする。


 だが、その時には距離を詰めながら掲げた狂四郎の刃が垂直に落下していた。

 刃の間合いから抜け出ることができなかった身体を脳天から股間まで唐竹に叩き割る。


 地下空間に漂い始める血と臓物の臭い。

 視線の先では、十数人の暗殺者たちがこちらを仕留めるべく横に広がっていく。


 各々の顔に浮かぶ感情は驚きと怒り。

 一瞬で三人が殺られたことへの驚愕と、殴り込みをかけてくるような相手に対する敵意が伝わってくる。


「歓迎してくれているところ悪いが、お前ら顔は隠さないでいいのか? 世間様に顔向けできないから隠しているんだろう?」


「……どこまでもふざけた男だ。少々剣が使える程度で、たったふたりで我らを潰すだと? 」


 こちらの軽口に対して憎悪のこもった言葉を返してきたのは、この場のリーダーと思しき壮年の男。

 その周囲で殺気を惜しみなく放出してくる暗殺者たちを眺めながら俺は静かに口を開く。


「いいや、こちらは単なる“付き添い”だ」


「――――なんだと……!!」


 背後に控えるイレーヌを指しながら俺が言葉を放つと、一瞬の沈黙。

 その直後に暗殺者たちの激情が爆発的に増幅していく。


「さぁ、そろそろ参ろうか」


 その“心地良いまでの殺気”を受けながら、俺は口角を歪めて告げる。


「今宵の狂四郎は――――血に飢えている」





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