第54話 “宴”が終わって


「本当にすまなかった、ジュウベエ殿……。このような結末になってしまって……」


 部屋に戻ったリーゼロッテは、開口一番に俺たちへと向かって深く頭を下げた。


「……頭を上げてくれないか。むしろ、あれは早急に事態を――――」


「いや、ジュウベエ殿たちのせいではない。結局は、ああなってしまう前に兄上を斬ってでも止められなかった、わたしの意思の弱さが原因だ……」


 こちらの発言を遮って発したリーゼロッテの言葉に覇気はない。

 あの結末を受けて相当に憔悴しているように感じられた。


 しかし、リーゼロッテの言葉を、俺はあえて否定しなかった。


 ……端的に言ってしまえば、まさしくリーゼロッテの言うとおりなのだろう。


 そもそも、俺はリーゼロッテの家臣ではない。

 ただの冒険者であって、それも“護衛役”として雇われているだけだ。

 俺にとっての最優先事項は、あくまでもリーゼロッテの身を守ることであり、彼女の敵を殺すことは役割を逸脱している。


 だから、俺はこちらから仕掛けることを提案はしなかった。

 第一、それは暗殺者の仕事である。


「いずれにせよ、ジュウベエ殿らはよくやってくれた。わたしからの依頼も達成されている。……あとはわたしの問題だ」


 これ以上、国のまつりごとに俺たちを巻き込みたくないのだろう。

 リーゼロッテの言葉にはこちらの感情を慮ろうとする響きがこめられていた。


 たしかに、“儀式の終了までリーゼロッテを守り切る”という護衛の依頼は達成した。


 しかし、いかに最初から仕組まれていたこととはいえ、彼女を次期大公にすることはできなかったことが、俺の中で小さなおりのようなものとなっていた。


 自分でもわかっている。

 たかが護衛の身でそこまで欲するのは正直身勝手な願いだと。


 国家を率いる者エーベルハルトが仕組んだ権謀術数というとてつもなく大きな力が働いていたのだ。

 ただ剣を振るうだけの身でそれに抗うことは不可能だ。


 理屈ではわかってはいる。

 だが、納得できるものではない。


 さながら、試合に勝って勝負に負けた気分だった。


「兄上の企みによって、私と共に戦ってきた騎士たちが死んだ。わたしは、その怒りを叩き付けるつもりだった」


 不意にリーゼロッテが口を開いた。

 胸中に渦巻く自分の想いを、今は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


「だが、それでもわたしにとってはただひとりの兄なのだ……」


 どうしてもライナルトを憎みきることができなかったのだろう。


 もしも、リーゼロッテも次期大公となるべく手段を選ばぬ覚悟があったなら、あの場でライナルトを斬りにいっていたはずだ。

 リーゼロッテほどの剣の腕があれば、ライナルトとて倒すことは可能であったと俺は思う。


 しかし、リーゼロッテは最後までその決断を下すことができなかった。


「血を分けた人間というのはそういうものだ。理屈でおさえつけられるものじゃない。その中で、立派に戦い抜いたじゃないか」


 俺のかける慰めの言葉にどれほどの価値があるかはわからない。

 どのように言葉をろうそうとも、身内同士での殺し合いは起きてしまったのだ。


 それでも、俺は「次がある」とだけは口にしない。

 身内同士が殺し合わねばならぬような行為を繰り返せと、どうして俺の口から言うことができようか。


 まつりごとは、何よりも濃いはずの血の繋がりさえも容易に破壊する。

 戦国の世は、家臣が主君を殺すことなど日常茶飯事で、親が子を殺し、子が親を殺すことすらそう低くない確率で起こり得る世界だった。


 思えば、俺が兄である雪頼ユキヨリと争うことがなかったのは単なる偶然でしかない。

 なにかの掛け違いで兄ではなく俺を担ごうとする者がいれば、間違いなくそこで争いは生まれていただろう。


 勝敗と言ってしまえばいささか極端だが、物事が決まるには当人の持つ“技量”だけはなく、“天の運”、“時の運”、“人の運”の四つの要素があるという。


 今回の件に関しては、リーゼロッテとライナルトの“技量”を、“天の運”が掻き乱し、そして“時の運”と“人の運”のどちらもが彼らに味方をしなかったのだ。


 だが、俺はそれを語るつもりはない。


 結局、人の生というものは、一人で想い、廻していくしかなく、今はそれぞれが自分自身の感情に整理をつけるしかないのだ。


「いずれにせよ、今はゆっくりと休んだほうがいい」


「……あぁ、そうさせてもらう」


 俺の勧めを素直に受け、ゆっくりと立ち上がったリーゼロッテを寝室の前まで送る。


 そうして閉じられる扉。


 しばらくして、部屋の中からかすかな嗚咽おえつが聞こえてきた。


「「ジュウベエ様……」」


「……部屋に戻るぞ」


 ハンナとイレーヌが声をかけてくるが、俺は耳を逸らすようにして踵を返す。


 ……せめて今だけでも、ひとりにしてやるべきだ。


 与えられた隣の部屋へ戻ると、窓辺近くに置かれていた椅子へと腰を下ろす。

 所在ない気分のまま、窓枠近くの壁に腰から外した二振りの刀を立てかける。


 開いた窓から入りこんできた幾ばくか湿り気を帯びた空気が俺の肌を撫でていく。


 雨が近いのだろうか。

 流れ込む風からは、いつもの潮の香りが薄く感じられた。


 ほのかに遠くから聞こえる宴席の声。


「たくましいものだな……」


 ひとりでにつぶやきが漏れた。


 さすがに遠方から来ている人間も多く、あのまま解散というわけにはいかなかったのだろう。

 貴族たちは心中に様々な思いを残しながらも、自分たちの責務を果たすべく社交に励んでいるに違いない。


 おもむろに収納の魔道具から酒の瓶を取り出す。

 瓶の中では、深みのある強い金色の液体が静かに揺れていた。

 この大陸に来て入手したもので、麦から作り錬金術で酒精アルコールを増した後、樽の中で寝かせた蒸留酒だ。


 普段ならばもう少し別の感慨も生まれようものだが、残念ながら今はそんな気分ではなかった。


 栓を抜いて硝子で作られた酒杯に注ぎ入れると、辺りに樽の中で身に纏った深く濃厚でほのかに乳酪バターを思わせる香りが漂う。


 そのまま酒杯を煽ってみるが、なんとも言えぬ気分は晴れないまま。

 いつもなら心を落ち着けてくれるはずの強い酒精も、今はただの熱さとなって喉を滑り下りていくだけだった。


 いや、いつも通りといってもいい。

 誰かの掌で転がされた後は決まって後味が悪い。

 べつにあらゆる企みを退けられるような万能な存在になりたいわけではない。


 だが、見知った者が懊悩する様を見ているしかないのはひどくもどかしい。


「重ねているのか……?」


 我ながら甘い考えだと思う。


 剣を振るうように、一切合切迷いなく進められたらどんなに楽だろうか。


 しかし、


 残っていた酒を呷る。

 それから、小さく、そして長い息を吐き出して、俺はそれ以上考えることをやめた。


 ……まったく、俺らしくもない。


 椅子からゆっくりと立ち上がり、緋緋色金ヒヒイロカネの腕輪の力で体内の酒精を分解する。


 未だ酔いも回ってはいなかったが、酒はやはり酔える時にこそ愉しむものだ。

 またちゃんと飲むからなと内心で詫び、俺は酒瓶を空間収納へ戻す。


「……少し、出かけてくる」


 視線を動かし、それまで黙ったまま俺を見守っていたハンナとイレーヌに声をかける。


「今からですか?」


 ハンナからぎょっとしたような声が返ってきた。


「ハンナは念のため警護を。イレーヌ、ちょっと案内してもらうぞ」


 そこまで言うと、両者の顔にわずかながらも理解の色が生まれる。


「なにをなされるおつもりで――――」


 首を傾げるイレーヌの言葉を遮るように、俺は外していた狂四郎と獅子定宗の鞘を腰に差しながら歯を剥くように答える。


「憂さ晴らしだ」


 チギ――――狂四郎の鍔が小さく鳴いた。


「憂さ晴らし?」


 そう訊き返してくるイレーヌの顔に浮かぶ表情は、自分の想像通りであってほしくないと告げていた。


 もちろん俺は構わず口を開く。


 やはり気がおさまらない。

 狸親爺エーベルハルトはともかくとして、他にうってつけの相手がいるではないか。


「あぁ。あれだけ上等くれやがった連中に、ちょっとをしにな」







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