第57話 お呼びとあらば


「ジュウベエ・ヤギュウ様、大公閣下がお呼びであらせられます」


 明くる日、リーゼロッテとは別に出された朝食を終え、部屋で紅茶を飲みながら寛いでいた俺は呼び出しを受けた。


 ……


「悪いな、太刀を預ける」


「「承知いたしました」」


 狂四郎と獅子定宗をハンナとイレーヌに預けて俺は席を立つ。


 腰から外す際に狂四郎の鍔が小さく鳴った。

 まるで「気張って来い」とでも言わんばかりに。


 大公直属の執事らしき壮年の男からの案内を受けるままに、俺はリーゼロッテの居住する区域よりもさらに高層階へと足を踏み入れる。


 階段を上り終えた俺の目に映るのは壮麗な大理石の床や壁。

 天井から吊り下げられた照明は、魔導灯と同じものを使っているのだろうが、それを包み込む硝子の透明度、さらには加工方法を変えているからなのか。眩いばかりの橙色の光を放っており、それが床や壁に反射して異空間のようになっていた。


 柔らかな緋色の絨毯が敷かれた廊下を通っていくと、所々に立つ黒い鎧に身を包んだ近衛騎士の姿。


 どの騎士にもほとんど隙は見られないが、こちらを見る兜の下の視線には、若干ながら緊張の色があった。

 直接刃を交えることはしていないが、武の心得がある者同士、その立ち振る舞いである程度の力量を読むことができる。


 彼らがこちらをどのように見ているかはわからないが、俺から見た近衛騎士たちはかなりの腕利き揃いであると肌でわかる。

 第二騎士団や第三騎士団の一般的な団員とは明らかに格が違うようだ。


 さらに奥へと進むと、槍を持った騎士二人が歩哨に立つ重厚な造りの扉へと辿り着く。

 あらかじめ連絡がいっているからか、彼らが槍を交差してこちらの行く手を塞ぐようなこともない。

 ノックの後で静かに扉を開けた執事に促され、俺は部屋に入る。


「……よく来てくれた」


 声と共に出迎えたのは、昨晩はじめてその姿を見たこの国の主にして大公エーベルハルトだった。

 あらかじめこちらを待っているとはどういうわけだろうか。普通ならば、上位の者が後から入ってくるはずだが。


 違和感を紛らわせるべく部屋の中に視線をさまよわせると、周囲は驚くほど落ち着いた色に統一されていた。

 箪笥タンスや書棚、絨毯に至るまでを深い茶色ダークブラウンで設えており、国主という権力を誇示する者としては異様にも思えるほどの地味な色使いだった。


 そして、応接椅子ソファーに座ってこちらに視線を向けるエーベルハルトの背後には、壁際で空気と同化するように控える齢三十過ぎほどの騎士がいた。

 依然としてその名は知らないままだが、廊下に立っていた騎士たち以上に立ち振る舞いの隙が見られない。

 いや、むしろひと目で強者とわかるオーラを放っていると言ってもいい。


 軽く目礼だけで済ますが、意識の一部は袖口に仕込んだ暗器に向いていた。

 帯刀はせずに来たものの、身に寸鉄を帯びずは侍ではない。


 そして、相当な使い手が目の前にいるためか、ついつい意識がに向かってしまいそうになる。


「まずは名乗ろう。私はエーベルハルト・デュール・レヴィアス・オーレリアス。この国の大公をやっている」


 あくまでも気張った席ではないと言外に示しているのだろう。

 エーベルハルトの自己紹介は意外にも砕けた口調のものだった。


 だが、額面通りに受け取るわけにはいかない。

 エーベルハルトは、幾重にも重なった思惑に翻弄されることなく“あの儀式”まで乗り切った男だ。

 どのような態度をこちらに見せようとも、けっして侮ってはいけない人間だ。


 そもそも、このような場が設けられること自体、冒険者相手には異常ともいえる対応なのだ。

 この男が意味もなく誰かを呼び出すような真似をするとは思えない。


 ……さて、なにを持ち出してくるのか。


「ジュウベエ・ヤギュウ、仰せにより罷り越しました。大公閣下への拝謁の栄誉に預かり、まこと光栄に存じ上げます」


 警戒を表情に出さないようにするため、早々に頭を深く下げて礼節を保って言葉を返す。


 すると、エーベルハルトはこちらの所作に満足したように頷いてから、俺へ応接椅子に座るように手で促した。

 俺は素直にそれへと従う。


「あらためて、礼を述べるべきだな。我が子たち――――特に、娘リーゼロッテの命を救ってくれた“異邦の勇者”に」


 続いてエーベルハルトの口から発せられたのは、ある種の“社交辞令”だった。

 会話のはじまりとしてはこんなものだろう。


 しかし、そこであえて“勇者”の単語を持ち出した真意がわからない。


「……拙者は依頼を果たしただけにございますれば」


 あやしげな誘いには乗らず、俺はまず相手の様子を見るべく淡々と社交辞令を返す。


「それでも、あれは私の大事な娘だ」


 エーベルハルトが言葉を重ねる。


 不思議なことに、その語気には真剣な響きが混じっていた。

 を考えると、それは正直意外な反応といえる。


「……僭越ながら、リーゼロッテ殿の身を真に案じられるのであれば、“あのようなこと”をされない方がよろしかったのでは?」


 こうして会話をするのは初めてのことだが、俺は早速とばかりに嫌味を言っておく。

 それなりに楽しませてもらった部分もあるが、やはり余計なことに巻き込んでくれたお礼はしておくべきである。


 その途端、エーベルハルトの口に笑みが浮かんだ。


「父親としての感情と、国主として振る舞うべき行動は得てして一致しないものだ。貴殿にも覚えがあろう? ジュウベエ・ヤギュウ――――いや、ユキムラ・クジョウ殿」


 やはり先ほどの言葉は探りであった。

 しかも、俺がそれに乗らなかったからか、向こうから切り込んできやがった。


「――――一対一でと呼び出された時から、そんな予感はしておりましたが……」


 大きく息を吐き出しながら、俺は背もたれに背中を預ける。


 けっして驚きがなかったというわけではないが、これは演技だ。

 必要以上に驚いて見せたほうが、向こうも口が軽くなるだろうしな。


「あぁ、口調は好きな時に崩してくれて結構だ。さすがに私も先代バクフの血統に連なる人間に対しては敬意をもって接せざるを得ない」


 名前を知っている以上、俺の素性についても調べはしているか。


 ……しかし、妙だ。

 俺たちが公都に入ってから今に至るまでの日数を考えると、とても大陸の向こう側のことを調べきれるものとは思えない。


 となると――――


 ひとつの可能性に至ろうとしたその時、不意に部屋の扉が叩かれる。

 思考が中断された。


 振り向いた俺の視線の先で、背後に控えていた執事が扉を開けると、メイド服の女たちが配膳台を運んでくる。


「食事がまだなものでな」


 怪訝に思う感情が表に出ていたのか、エーベルハルトが小さく微笑みかけてくる。


「よければだが、貴殿も一緒にどうだね?」


 クロスが敷かれ、ナイフや皿が用意されていくテーブルに視線を送りながら俺を促すエーベルハルト。

 そうは言いつつも、俺の分まで食器が用意されているあたり、最初からそのつもりでいたのだろう。


「あぁ、心配せずとも毒など入っておらぬよ」


 どういった反応をしたものかと逡巡していると、エーベルハルトがあまり笑えない冗談を交えつつ遠慮するなと勧めてきた。


「……それでは、ご相伴にあずかりたく」


 俺はメイドに勧められた椅子へと腰を下ろす。


 そうして、奇妙な食事会が始まった。



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