第52話 ぶつかりあう思惑
戦闘が終わりを告げると同時に、幾度目かになる静寂が広間を支配していた。
チラリと俺は視線を向けてみる。
貴族たちは、ただこちらを注視するだけで声すら上げることもできず石像のように固まっていた。
――――まぁ、政治的な保身だな。
自分たちがこの国の屋台骨を支えているという自負こそあろうものの、儀式が始まってからこの方、起こることすべてが予想外の状況が続いている。
そんな中では、誰もこの先の展開が読めないでいるのだ。
見ていて愉快なものではない。俺は早々に視線を戻す。
「そ、そんな、バカな……」
一方、ライナルトは大きく目を見開く驚愕の表情でこちらを見ていた。
今、彼の口から漏れ出るのは呆然としたつぶやきのみ。
そして、それを皮切りとしたように、遅れて場の空気が変質していく。
この場における最強の男と思われていた《銀剣》ディートフリートが敗れたこと。
それにより、貴族たちから放たれる視線の多くは、いつしかリーゼロッテの勝利を意識したものへと変わりつつあった。
……それでも、まだどちらにつくと明確に表明しないあたりはさすがというべきか。
「……まだだ! まだ私は討ち取られていない!」
その空気を感じ取ったか、ライナルトが剣を握ったままで叫ぶ。
彼を取り巻く騎士たちも今さら諦めることもできないとばかりに、ライナルトの守りを固めようと動く。
「兄上、もうおやめください! これ以上の争いは公国の混乱にしかなりません!」
そこで前に出てきたリーゼロッテが叫ぶ。その声には悲痛がこめられていた。
剣を握ってこそいるものの、彼女はそれをライナルトに向けることができない。
おそらく、これがリーゼロッテの“意志の限界”なのだ。
「……もう勝ったつもりでいるのか、リーゼロッテ! 先に手を出しておきながら貴様が私に道理を説くな!」
「……先に? 兄上、それは何を……」
ライナルトの意味深な言葉を受け、リーゼロッテの口から困惑の言葉が漏れる。
「黙れ、いかに奸計を巡らせようと兄より優れた妹などおらん! 私はそれを証明せねばならぬのだ!」
切り札にも等しい《銀剣》が敗れたことで窮地に追い込まれたライナルトだが、それでもまだ終わっていないとばかりに剣を構えて叫ぶ。
まだ続けるつもり――――いや、実際のところはどうすべきかわからず動けずにいるのか。
一見して、国主であるエーベルハルトの身柄こそおさえているように思えるが、だからと言って貴族たちのいる前で手を出せば、確実にライナルトは“稀代の暴君”として歴史に名を刻まれるだろうし、彼もそのように振る舞いながら国内を治めるしかなくなる。
その
そして、俺の登場によってディートフリートが敗れた以上、残る武力でこの場を制圧することも難しいことも頭の中では理解しているはずだ。
とはいえ、追い詰められたことで錯乱一歩手前の状態にあることが不安定要素となる。
ここらでなんとかしておかないと、さすがにまずいことになりかねない。
チラリと俺はエーベルハルトに目を向けるが、彼は相変わらず無表情のままだ。
謀反を起こされ、そいつの剣が届く範囲に自身の身体があるにもかかわらず。
――――いや、どこか事態の推移を観察しているようにも見える。
まだ動く様子はないか……。それにしたって、どいつもこいつも……。
俺は溜息を吐きたくなる。
いったい、どれだけの思惑がこの広間の中に渦巻いているのだろうか。
部外者の俺にやらせるんじゃないと思いつつ、小さく息を吐き出して俺は覚悟を決める。
「……ごちゃごちゃとやかましいぞ」
表情を切り替え、俺はリーゼロッテの前へと進み出て口を開く。
「……なんだと?」
ライナルトが俺を睨み付ける。
同時に傍らのリーゼロッテからは疑問の視線。
「それだけの矜持があるのなら、なぜ真っ向から駆け抜けて見せない。お前が起こした
「貴様になにが……」
「そんなもの知るか。余人にそう思わせたくなければ、泥に塗れようが何をしようが突き進んでみせるだけだ。生まれの後先なんて理由にするな」
俺の兄である
滅びゆく上條幕府最後の将軍としてなんとか次代に懸命に奔走し、戦い、そして――――あの戦場で散っていった。
討ち取られながらに満足げな表情を浮かべた“首”を、俺は生涯忘れることはできないだろう。
俺には、あのような死に方ができるのだろうか。
そう考えながら、俺は今もこうして生き永らえている。
「どうしても納得ができないなら、その剣で語ったらどうだ。今なら俺が相手をしてやるぞ」
俺がさらに一歩前に出ると、剣を握るライナルトがわずかにたじろぐ。
自身の切り札であったディートフリートに打ち勝った相手と戦うとなれば、さすがのライナルトも躊躇するらしい。
彼を守るようにしていた騎士たちの士気も、ここで俺が前進したことで先ほどまでのそれよりも明らかに低下している。
……さて、つい口走ってしまったがどうしたものだろうか。
これは本来リーゼロッテの戦いであり、一介の
だが、放置していても状況が進むとは思えない。
「ここまでだな……」
リーゼロッテに向けて俺は告げる。
「ジュウベエ殿……」
リーゼロッテの表情に理解の色が浮かぶ。
正直に言おう。
今のリーゼロッテを見ている限り、ライナルトを斬ってまで大公の座を獲りにいく意思があるとは思えなかった。
そもそも、もしも斬る覚悟があったなら、もっと早い段階で俺にそう命じていたであろう。
リーゼロッテなりに覚悟を決めたつもりであっても、それはあくまでも兄ライナルトと対峙するためのものであり、命の奪い合いにまで足を踏み入れるものではなかったのだ。
そうなると、ライナルトに今回の謀反を断念させることが現状における最善の選択肢だと考えられる。
さすがに貴族たちのいる前で斬ってしまうとまずいが、本当に必要であるならば一発ぶん殴るくらいはしてのけるつもりだ。
「――――っ!」
そんな誰もが次に起こることに気を取られていた極限状態の中、俺の視界の端で何かが動く。
ライナルトを取り巻く騎士のうちの一人が、後方で何やら
――――どこまでも用意周到だな!
その瞬間、俺はほとんど本気で動いていた。
大理石の床を蹴るようにして疾走。一気に前へ向かって距離を詰める。
ディートフリートすらこちらの本気の速度に反応しきれずにいる中、俺は進行方向にいた騎士の顎を繰り出した拳で揺らして意識を刈り取りながら先へ進む。
突然の動きに驚愕の表情を浮かべ、エーベルハルトに向けて剣を振ろうとしたライナルトへと肉薄。
そして、その横を通り過ぎるように踏み込みながら狂四郎を振り下ろした。
手加減抜きで放たれた狂四郎の刃は、両手剣を抱え込むようにして突きを放っていた騎士の身体へと鎧すら関係なく喰らいつく。
潜り込んだ刃は、前傾姿勢をとっていた左肩口から、剣を握る両腕ごと切断しながら下方へと一気に抜ける。
斬られた騎士は、身体に宿った慣性のまま前方へ進もうとするが、勢いを減衰した上半身はずるりと滑るように床へと転がり落ち、遅れて倒れた下半身と共に内容物を盛大に撒き散らした。
「ぐぁっ――――」
そして、ほぼ同時に生じる苦鳴と、落下した剣が床を叩く金属の音。
視線を向けると、ライナルトが地面に仰向けで倒れていた。
その身に外傷らしきものは見受けられない。
投げ飛ばされたことで、ほとんど受け身も取れず背中から床に叩き付けられたのだ。
「――――皆、剣を収めよ。ここまでだ」
ライナルトを見下ろすような形――――相手を投げ飛ばした姿勢から、静かに元の状態へと戻るひとりの男。
それまで事態を静観していたはずのエーベルハルトが動いていたのだ。
突然の出来事に、その場にいた全員の注目が集まっていた。
その中で、間近にいた俺は小さく鼻を鳴らす。
まったく、ここまでしてようやく動いてくれたか……。
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