第46話 伏魔殿に踊るは
流れる音楽を皮切りに、廊下と広間を繋ぐ重々しい両開きの扉がゆっくりと閉じられていく。
「さて、どうなることでしょうか……」
ぽつりとイレーヌが漏らした。
視線を前に向けたまま、唇の動きさえも最小限に抑えた喋り方だ。
「まぁ、ここで何もないと考えるほうがどうかしているわね」
同じように隣のハンナが無感動に返す。
二人の向ける視線の先で、奥から続く赤い絨毯の上を歩く堂々とした姿の壮年の男。
金糸銀糸が縫われた壮麗な衣装を身に纏う彼を先頭として、その三歩程後ろをそれぞれに着飾ったふたりの年若い男女が進んでいく。
順番に、この国の国主でもある大公エーベルハルトと、その嫡子ライナルト、そして息女たるリーゼロッテであった。
三人の姿を見た貴族たちの間から、にわかにざわめきが漏れる。
護衛対象とその敵対者が姿を現したことで、少なからぬ緊張を帯びるハンナとイレーヌ。
続いて視線を向けていたハンナの口から、やや引きつったような声が漏れ出た。
「……ねぇ、イレーヌ。わたしには、なぜか護衛がいないように見えるのだけれど?」
受けた衝撃のせいで、ハンナの脳が事態を理解するのに数瞬の時間を要したほどであった。
「……奇遇ですね、わたしにもそう見えます」
そして、その言葉はすぐそばにいたイレーヌにしか届かなかったものの、同時にこの場にいるすべての人間の代弁でもあった。
まず、奥――――王族の居住エリアに続く扉から出てきたのが三人だけであること。
つまり、護衛の騎士の姿すらないことこそが、会場全体が騒然となっている最大の原因であった。
それぞれが擁する騎士団は、この会場の外の廊下を含む公城の警備役として動員されてしまっているため別だとしても、片腕にも等しい副団長の姿がないどころか、第一騎士団たる大公直属の近衛騎士団すら彼らのそばには控えていなかったのだ。
強いて言うならば、リーゼロッテとライナルトのふたりだけが帯剣をしているが、そもそもその両名は護衛などではなく“今回の主役”である。
「ずいぶんな
「あるいは、そうさせようとしているのか。大公についての情報を積極的に取らなかったのは失敗だったかもしれませんね……」
ふたりの内心に動揺が波紋となって広がっていく。
同じように事前に何の説明もされていなかったことから、会場のざわめきはますます大きくなるばかりだった。
しかし、無理もないことである。
これは誰がどのように見えても異様な光景であったのだから。
「いよいよもってわからなくなってきましたね。鬼が出るか蛇が出るか……」
「どちらにしてもロクなものじゃないわ」
各々の困惑が漂う中、壇上のエーベルハルトは静かに右手を掲げた。
その途端、会場にいた人間が一斉に口を閉ざした。
イレーヌとリーゼロッテもそれに倣う。
耳が痛くなりそうなほど静まり返った空気の中、これから発せられる言葉へ耳を傾けようとする。
「皆、今日はよく集まってくれた。常日頃より各領地を困難の中に治めつつ、この国を支えてくれることをありがたく思う」
続いて、貴族たちを見ながら説明するように口を開くエーベルハルト。
集まった面々に向けて、ある種社交辞令のようなものではあるがねぎらいの言葉を述べていく。
国主であるエーベルハルトが、何の問題もないかのように発言を続けていくことで、貴族たちの間に取り巻いていた困惑の空気も次第に「そんなものか」といった様子で薄れていった。
「――――さて。今回、私は次期大公の座を、嫡子たるライナルトと娘のリーゼロッテの両名で争わせていた」
そして、ついに話題は本題である次期大公選定へと言及される。
エーベルハルトの言葉と共に、彼のすぐ近くに控えるライナルトとリーゼロッテへと会場にいる者たちからの視線が集中。ふたたびざわめきが漏れ始める。
さすがにこの大人数を前にしたからか、両名の眉がやや居心地が悪そうに動く。
やっぱり動揺しているのかしら。
ハンナたちにはリーゼロッテのほうがすこしばかり反応が大きいように見えた。
「これは、近年の我が国のみならず、周辺国を見ても慣例に反することではあった。だが、それぞれが異なる分野においてその才覚を示しており、この国の次なる時代を担う人間を選ぶためには慎重な選定を必要としたのだ」
発表した時には数々の憶測を呼んだ異例の出来事に対し、エーベルハルトはその背景を簡単に説明していく。
「漠然とした勘でしかないけど……なにか“他の狙い”がありそうね。どう考えたって普通のやりかたじゃないわ」
「貴人の考えていることなんて理解できるものではありませんけれどもそこは同意します」
忍娘ふたりの口から、そろって小さな溜め息が吐き出された。
二人からしてみれば、国を巻き込むような厄介事に関わったせいで、主人と仰ぐユキムラとの“スローライフ”を邪魔されているようなものなのだ。
ユキムラ本人は楽しげにしているので表立って文句を言うことはしないが、それでも少しばかりの不満はある。主には個人的な欲求に対する不満だが。
「ライナルトは、北方で魔族と戦い続ける人類連合軍へと加わるべく、戦力を遠隔地に投入できる“新たな体制の軍”――――その整備を続けてきた。これにより、人類国家間での我が国の発言力を高めることができると期待される」
メイド服を着た女二人が心の内に抱く個人的な恨みなど知らないエーベルハルトは言葉を続けていく。
その言葉を聞いていた何人かが、声には出さないものの力強く何度も頷いていた。
おそらく、ライナルトを次期大公として推したい派閥の人間なのだろう。
その顔ぶれとして多いのは、軍に影響力を持っていたり、また領地をさらに広げたいと考えているいわゆる“急進派”の貴族たちであった。
「一方で、リーゼロッテは国内情勢を安定させることを目的として、民の脅威となる賊や魔物を狩りまず国内を豊かにすることを念頭に動いてきた。その結果として、国内の各領地を結ぶ街道は安全性が飛躍的に高まり、物流によって国内はどんどん豊かになろうとしている」
今度は別の人間が反応を示していた。
こちらは、どちらかというと内政を得意とする貴族が多く見受けられた。
リーゼロッテを筆頭とした治安維持活動の恩恵を受け、交易で富を得ようとしているこちらは“守勢派”ともいうべき貴族たちだ。
「いずれもこの国をさらに力強くしていくための将来像を見せてくれたといえよう」
エーベルハルトが自分の子どもふたりがこの半年で進めた施策の成果ともいうべき部分に触れていくことで、会場は無言ではあるものの次第に目に見えぬ熱気へと包まれていく。
どちらを推す貴族たちも、しきりに頷きながら続く決定的な言葉を待っていた。
「そして、それらの成果を踏まえ、今回、私が次期後継者として指名するのは―――――」
その瞬間、会場の中で生じた気配が動いた。
たった今まで役目を終えて沈黙していた楽団の中から、数名がそれぞれが持つ楽器の中へと仕込んでいた片手剣や短剣を手に飛び出してくる。
どこにでもいそうな外見をしていたばかりか、演奏までしてのけていたことで会場を警備する人間も反応が遅れてしまう。
人と人の隙間を縫うように動き、一切脇目もふらず壇上へと迫る男たち。
その手に握られた凶器の群れが、天井から吊るされた豪奢なシャンデリアからの光を受けて不気味に輝く。
目撃した貴族たちの中から悲鳴が上がる。
「……マズいわね、動くわよ!」
「困りました。これじゃ飛び道具が使えませんね……!」
同時にイレーヌとハンナも自分たちの出番が来たとばかりに動き始める。
「何奴か!」
一方、壇上では突然の出来事にリーゼロッテが叫ぶ。
そんな中で、真っ先に動いたのはライナルトだった。
腰に佩いた剣の柄へと手を伸ばすのと同時に軸足へと重心を移動。
そのまま身体を捻って、自分のすぐ横にいたリーゼロッテに対し回し蹴りを繰り出していた。
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