第45話 不揃いの彼女たち


 公城の中心部に作られた宴席用の広間は、多くの人間で賑わっていた。


 広間の隅では、楽団によって会場の雰囲気をひっそりと盛り上げるための穏やかな音楽が奏でられている。


 まだ定刻にはなっていないこともあって、会場に到着した貴族たちは見知った顔を見つけるたびに挨拶や世間話に興じていく。

 領地にこもっていることが多い人間ほど遠隔地にいる貴族とは会う機会も限られるため、そのような光景がそこかしこで繰り広げられていた。


 そして、彼らの声が重なっていくことで、会場の喧騒は次第にその大きさを増し、とうとう背景音楽さえ飲み込もうとしている。


「しかし、すごい人数だな……」


 時折誰かが言葉を漏らす。


「公式行事もそれほど多くないですから余計でしょう」


 答える人間もまた同様に、辺りを見回しながら感心したように言葉を返す。


 世嗣や成人を控えた令嬢のお披露目などを目的として、家族がそろって参加している家などもあるため、ざっと数えても百人以上にもおよぶ貴族たちがこの場に集まっていることになる。


  なによりも驚くべきは、そんな数の人間が一堂に会してもまだかなりの余裕があるだけの広さがこの会場にはあった。


 熟練の職人たちの手によって、一切の段差もなく滑らかな平面に仕上げられた大理石で造られた壁面は、まるで高名な画家がこれから壮大な巨大な絵画を描くために用意されたキャンバスのようにも見えた。

 さらにそこへと数々の銀製品などを置いて装飾とすることで、より一層の優雅さを演出しているのだろう。


 しかし、それらの豪奢な光景に対して感嘆の言葉を漏らす人間はいない。

 この場に集まった人間は、そのほとんどが代々貴族として血統を重ねてきた者たちである。


 それぞれが治める領地の大小や、保有する資産の多寡こそピンからキリまでと格差は存在しているが、それでもこの公城の広間を訪れて田舎者のように間の抜けた声を上げる者はこの場にはいない。


 一方、賑わう人々の群れから少し外れた場所で、目立たないよう壁際に立つふたりの女の姿があった。


「……よくもまぁ、こんな派手なモノを作るものだと感心してしまうわね。たまにしか使わないのに」


 周囲を目立たない程度に見回しながら、“別の意味”で感嘆の言葉を漏らすのは黒髪の女――――ハンナだった。

 メイドらしく無表情を作ってはいるが、彼女を知る者がよくよく見ればつまらなそうな表情に見えることかもしれない。


「……文化の違いというものですよ、伴蔵。この大陸には、軍事力だけではなく財力によっても権勢を誇示する文化がありますから」


 その隣に立つ金色の優美な髪をまとめてメガネをかけたイレーヌは、正面を向いたままで小さな声で言葉を返す。


 ロングドレスに純白のエプロンをつけ、頭にはホワイトブリム。パリッと仕上がったメイドに扮したハンナとイレーヌは、数刻前から会場の中を目立たないように見回っていた。

 新顔だろうかと何度か他のメイドに首を傾げられたりもしたが、変装に慣れている二人の堂に入った仕草によりそれ以上疑われることはなく、普通に会場にまで潜入できているあたりはさすが忍としかいいようがなかった。


「だったら、メイドで参加したのは失敗だったかしらね。あまりこういう地味な恰好は好きではないのだけれども……」


 小さく鼻を鳴らすハンナ。

 普段は活動的で若干目立つような格好を好む彼女は、このような動きにくい上に地味な服装がイヤなのだろう。

 しかし、そうは言っているものの、ハンナが周囲にひしめくドレスのような衣裳を好むかとなるとイレーヌとしては首をかしげてしまう。

 おそらく、本音としては退屈で仕方ないのだろう。


「あまり贅沢をいうものではありませんよ。今のわたしたちは、メインデイッシュの付け合せに添えられたピクルスみたいなものなのですから」


 さすがにイレーヌも嗜めるように言葉を投げかける。

 比喩表現を使ったのは、彼女なりに場の雰囲気を和ませようとしたからだろうか。


「……その心は?」


 イレーヌの言い回しに興味を抱いたわけではないが、暇つぶしくらいのつもりでハンナも言葉を返す。

 貴族たちの自己顕示欲に塗れた世間話に耳を傾けるのにもいい加減うんざりしてきたからだ。


「けっして目立たず、あくまでも貴族しゅやくを引き立てる存在にすぎないけれど、いないとなればそれはそれで困るもの……でしょうか」


 聞かなければよかったとハンナは内心で思った。

 イレーヌは見ての通りおっとりとした容姿と性格をしているが、その特殊な笑いのセンスだけはよくわからない。


「……あまりこちらの漬物ピクルスは好きじゃないわ。それよりも、早くこの依頼を終わらせて、ジュウベエ様お手製の料理が食べたいなぁ……」


 どこか遠くに向けてハンナは視線をさまよわせる。


「まったく、あなたは本当に食べることばかり……」


 自分の冗談に反応しなかったからではないだろうが、イレーヌが呆れたような声を出した。


「あら、文句を言うならべつにイレーヌは参加しなくてもいいのよ? わたし一人で楽しませてもらうから」


「ちょっと、ハンナ……! 誰も食べたくないなんて言ってはないでしょう……!」


 小声ながらもハンナに向けて文句を口にするイレーヌ。


 今はそんなことをしている時ではないのだが、きちんとしておかないと後で調子に乗られても困る。

 思わずいつも牽制で呼んでいる「伴蔵」という名前が出なかったくらいだ。

 彼女たちが主人と認めるジュウベエ――――ユキムラのことになると、さすがにイレーヌも冷静なままではいられなかった。


「……まぁ、それはそうとして、こうして立っているだけで済んだのは良かったわ。これで周りの“面倒を見る”なんてのは御免だし」


 さすがに空気を読んだのか、ハンナは周囲を見ながら話題を変える。


 現在の二人はメイド服に身を包んでいる上、化粧や髪型自体を普段に比べればかなり控えめなものへと変えていた。

 そのため、気合いを入れた化粧をした貴族たちが大半を占めるこの場では彼女たちの美貌も目立ちにくくなっていた。


「あら、貴族に目をかけられれば玉の輿にも乗ることができるのでは?」


「それは愚問よ、イレーヌ。わたしはユキ――――ジュウベエ様一筋だもの。ただ金や地位を持っているだけの男にどれだけの価値があると?」


 ふたたびハンナは小さく鼻を鳴らす。

 実際、そんな相手でいいなら故郷ヤシマに戻ればいくらもいるだろう。


 だが、ハンナはそれを選ばなかった。

 彼女が自分の人生を賭けたのは、遠い昔、まだ少女だった彼女に優しく微笑みかけてくれたひとりの男だった。


「ならば、もっと気張らねばなりませんね」


 イレーヌもハンナの発言に同意するように会場へと視線を向けると、わずかに目を細める。

 今のところ、怪しい人間は周囲には見当たらない。


 まぁ、当然のことだ。

 パッと見た時点で怪しいと思われるような人間を、こんな場所に潜り込ませることはしないだろうから。


「あくまでも目立たないように、ね」


 そして、それについては二人も同様であった。

 けっして目立たず、しかし異変は見逃さず、そして何かあった際にはその障害を速やかに排除する――――それこそが、ユキムラから命じられたことである。


 もっとも、それは彼女たちが持つ忍としての矜持プライドからすれば“当然のこと”であった。


 二人があまり気に召していない地味なスカートの中には、美しいラインを描く脚が隠されているだけではなく、愛用の短刀をはじめとした各種暗器などが収められている。

 それらを吊るすだけでもかなりの重量となるのだが、長い年月をかけて訓練を積んでいるだけのことはあってそんな素振りは一切出てはいなかった。


「――――いよいよ始まるわね」


「ええ……」


 ハンナの言葉とほぼ同時に、楽団がそれまで演奏していた音楽が止まった。

 そして、新たに演奏され始める荘厳なイメージの曲。


 それに続くように、広間の奥――――一段高い場所へと通じる扉が開かれ、内部から出てくる三人の姿。


 貴族たちの間から、にわかにざわめきが漏れる。


 ついに式典が始まった。


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