第44話 朧月夜に血の薫る
雲間から覗く月の光が狂四郎の刀身を一瞬輝かせ、そしてまた雲の中へと消えていく。
再び訪れた薄闇の中、一歩踏み出したところで目の前の襲撃者たちがわずかに身じろいだように見えた。
……あのような発言をしておきながら、こちらが向かってくることに動揺してどうするのか。
まぁ、逆に言えば、すでに痛い目に遭わされているからこその反応ともいえる。
「まだ始まってもいないぞ。さっきまでの威勢はどこへいった?」
挑発するように言いながらも、これ以上の会話に付き合うつもりのない俺は同時に駈け出していた。
まっさきに狙いを定めたのは、こちらの言葉にもっとも動揺を見せた人間。
弱い人間から仕留めたところで……と思うかもしれないが一人は一人だ。
十人のうちの一人を殺ったとなれば、数として響く。
相手が強いか弱いかなど関係なく、数字の上では間違いなくひとりに数えられるのだから。
「怯むな、敵は一人だけだ! 討ち取れ!」
迎え撃てと指示が飛ぶが、すでに俺の間合いだ。
視線の先で、自分に迫る敵に向けて慌てて剣を構えようとしている。
しかし、その時には俺の刀は放たれていた。
横一文字に
激痛と驚愕に見開かれる目を視界に納めつつ、そのまま翻った刃は襲撃者の胸部を斜めに横断するようにして袈裟懸けに切り裂いていく。
傷口から鮮血を噴いて崩れ落ちる一人目を後目に、俺はそのままその場で横に回転し、背後を突こうとしていた二人目を斬撃で牽制。
剣閃は相手の身体を捉えなかったが、それはそれで構わない。
その
そこへ目がけ、俺は左腕の袖口から滑り出した短刀を投擲する。
「げぅっ!?」
手首の返しと腕全体を使って放った短刀は、正確な軌道を描いて相手の首筋に潜り込むように深々と突き刺さった。
一瞬の硬直から、喉に血が詰まったようなくぐもった呻き声を上げて地面に沈んでいく。
そこへ新たな殺気。
死角から迫っていた四人目の放った突きを、俺は軸足を移動させ、身体を半身にして最小限の動きだけで回避。
背後を相手の身体が通過していくところを、その気配を感じ取りながら引き抜いた脇差 《
脇腹から体内に侵入した刃は、鋭利な切れ味を発揮して内臓を蹂躙。
そのまま捻るように引き抜くことで、相手を瞬時にショック死へと追いやる。
同時に、真正面へと伸びた右腕の狂四郎の切っ先が、再度こちらに向けて距離を詰めようとしていた二人目の喉元に喰らいついた。
小さな痙攣と共に沈んでいく身体。
「一対一に持ち込むな! 数が多いのはこちらだ、押し潰せ!」
瞬く間に俺が四人を始末して見せたことで、リーダーらしき人間の叫び声には焦りの色が滲んでいた。
すぐさま指示が飛ぶが、それはあまりに遅い。
俺はすでにお前たちの中へと入り込んでいる。
俺が狂四郎の切っ先を後方へ向けて腰をわずかに落とすのと同時に、それまでこちらの様子を窺っていた相手に動きが生まれた。
かすかに前傾姿勢を作った黒装束たちが、示し合わせたように同時にこちらへと躍りかかってくる。
それぞれが幾多の人間を闇の中で葬り去ってきたであろう暗殺者だ。
だが、ついに俺一人を相手に連携を取り始めた。
「……そうがっつくな」
しかし、普段からやり慣れていない付け焼刃に過ぎないのは動きを見れば一目瞭然。
相手の動作を阻害しないようにという意識が、彼らの踏み込みの甘さとなって如実に現れていた。
味方との戦術的な連携ができなければ、どれだけ優れていようがただの腕自慢となんら変わらない。
これが暗殺者と戦場を潜り抜けてきた者との明確な違いだ。
そして、その違いが生死を分ける。
後方からの援護として二方向から飛んでくる暗器。
立ち止まったまま、俺は命中する軌道を描いていたもののみを斬り払う。
「――――取った!」
勝利を確信する叫び。
動きの止まった俺へ、今が
刺突の姿勢に横薙ぎの斬撃、袈裟懸けの前動作……と攻め方も多種多様だ。
しかし、俺は迷うことなく一歩前に出ながら、握る太刀を高速で旋回させて一気に振り抜く。
流れるような弧を描いた太刀筋は、間近に迫っていた黒装束の首をまとめてふたつ刎ね飛ばし、切断面からの鮮血を辺りに撒き散らす。
それが、一瞬の
噴き出る血飛沫で作られた
その向こう側へと突き出した狂四郎の鋭い切っ先は、進行方向にある血を吸収しながら七人目の喉元に喰らいつく。
刀身が引き抜かれると同時に、その襲撃者は喉元を押さえながら倒れ込むが、逆流した血液により窒息状態となり不明瞭な呻きがこぼれていた。
続く左右からの殺気。
覚悟を決めたと思しき二つの気配が俺へと迫る。
「だが、遅い」
その場で半回転しながら放った狂四郎の刃が、左から迫る男の左脇腹へ侵入。
進行方向にある剣の柄ごと斬り裂いて翻った刃は斜め上方へと抜ける。
ほぼ同時に、空中で順手から逆さへと持ち替えた獅子定宗を掲げ、こちらへと振り下ろされる刃を正面から阻止。
奇襲を成功させたと思った最後の一人は驚愕に目を見開く。
そのまま身体ごと大きな弧を描いて振るわれた狂四郎が、袈裟懸けに肩口から喰らいついて一気に身体を断ち切る。
「剣の、打ち合いすら、でき、ないとは……。ば、バケモノ、か……」
口から血を吐き出しながら頽れるリーダー格の男。
短く漏らしたそれが最期の言葉となった。
いつしか、辺りに漂う血の臭いはむせ返るような濃度となっていた。
「暗殺者相手に言うことじゃないが……せめて
襲撃者たちの持つ剣は、あくまでも片手での扱いやすさに主軸を置いたものだ。
単純に武器と武器とを比較するなら、狂四郎の間合いの方が数十ミリテン長いくらいである。
生死の遣り取りをする戦いにおいてこの差は大きく、それがこの結果を生み出した。
彼我の実力差を考慮せずとも、槍のような長柄の武器で間合いを稼がねば、こちらに刃を届けることはほぼ不可能だったのだ。
「まぁ、今後は受ける依頼はよく吟味することだ。国の依頼なんて大抵が厄介事だからな……」
すでに事切れた亡骸に向けて俺は言葉を投げかけた。
当然ながら、返事はない。
「さて、この調子じゃ中はどうなっていることやら……」
血払いをした狂四郎を鞘に納めながら、俺は元来た道を引き返すことにした。
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