第41話 ただ迎え撃つのみ


「……繰り返しになるかもしれないが、これより六日後が“大公選定の儀”となっている」


 公城の自室に戻ったリーゼロッテは鎧を脱いで部屋着になり、ソファに腰を下ろしてから口を開く。

 鎧姿以外を見るのは何気にこれが初めてだったが、彼女の凛としたイメージに漏れず、比較的ゆったりとした白の羊毛生地の上を着ているものの、下はやや身体の線に沿うようなパンツスタイルとなっていた。


 そこに浮かぶ表情を見るに、どうやら時間の経過と共にかなり落ち着きを取り戻したようだ。


 死霊術師ネクロマンサーからの襲撃を退けた俺たちは、あれからすぐリーゼロッテの安全を確保すべく公城へと戻っていた。

 立て続けの襲撃があるとまでは思っていなかったが、用心に越したことはないだろう。


「今の調子なら――――そこが“本番”になるだろうな」


 リーゼロッテの言葉を受けて、俺は“素の喋り”のまま小さく頷いて見せる。


 死霊術師との戦い以後、俺はこの喋りのままでいる。

 リーゼロッテも「そちらの方がジュウベエ殿らしいな」と笑いながら言っただけで、別段咎めようとはしなかった。

 場さえ弁えてくれれば構わないということだろう。


 ……話を戻す。


 いずれにしても次が正念場となる。

 今までも、決して相手側は手を抜いていたわけではない。

 わずかな隙間さえあれば、リーゼロッテはほぼ確実に命を取られていた。


 ならば、次こそはかならずや全力でかかってくるに違いない。


「……ジュウベエ殿には終盤に護衛となってもらったが、そもそもの期間自体は半年間あったのだ。だが――――」


「その間には何もなかった。それも、今になって思えばこのタイミングに合わせてくるためだったのだろうな……というところか」


 リーゼロッテの言葉を引き継いで語ると、彼女は一瞬だけ驚きの表情を浮かべるもすぐに小さく首肯した。


 油断していたわけはないのだろうが、実際に相手が動きなければこちらはなにをすることもできない。

 どれほど焦燥感に駆られたとしてもライナルト側は雌伏の時として一切の動きを見せず、最高のタイミングで横合いから殴りつけたということになる。

 実際、策は成る寸前までいっていた。


 ならば、それを阻止した俺への恨みは相当なものだろう。


「きっと、“揺さぶり”だったのだろう? 墓地での襲撃も……」


 こちらへと問いかけてくるリーゼロッテ。

 その蒼色の瞳はどこか不安げに揺れていた。


「おそらく、感情を逆撫でして暴発させたかったんだろう。虎口に誘い込もうとしているのは間違いないな」


 俺は迷わず断言した。

 ここで不確かな言葉を言ったところで誰のためにもなりはしない。

 とはいえ、あまり不安を煽るようなことも避けるべきなのだが。


「やはりそうか……。しかし、ジュウベエ殿がいてくれなければ、今頃は……」


 途中で言葉を切るリーゼロッテ。


 無言となった部屋のテーブルの上では、彼女が着替えを行っている間に淹れられた紅茶がほのかに湯気を上げていた。

 仮に必要としてなくても飲んで気を紛らわせるよう、俺は視線でリーゼロッテへと促す。


「逆に考えれば、こちらを短慮に走らせたい程度には焦っているとも見られる。……さて、イレーヌ。報告があるんだったな、頼む」


 ……これ以上続けてもあまり意味のある話ではない。


 流れを変えるべく、俺は傭兵ギルドへと情報を集めに行ったハンナに代わり、新たに護衛へと加わったイレーヌへと視線を送る。

 彼女はゆっくりとした動作で立ち上がり、口を開いて説明を始めた。


「あれから公都でわたしなりの伝手を使って情報を集めましたが、リーゼロッテ様の兄であられますライナルト様が暗殺者集団 《深淵の牙》に依頼を出していたところまでは辿りつけました」


「……この大陸の組織は、どいつもこいつも大仰な名前だな」


 ついつい軽口を叩いて茶化してしまう。


「ジュウベエ様、今は真面目な報告をしているのですが……」


 笑顔で少しだけ首を傾げながらこちらを見るイレーヌ。

 軽く睨まれた俺は、素直に口を閉じて小さく肩を竦める。


 間接的な圧力ではハンナよりもイレーヌの方が数段上だ。

 なまじ包容力のあるキャラだけに、怒った時はそれがそっくりそのまま圧力となって相手を襲うのである。

 普段怒らない人間の怒りは、たとえ片鱗であってもおっかないものなのだ。


「“大公選定の儀”までに何を仕掛けてくるかまではわかりませんが、向こうとしてもそうそう投入できないはずの死霊術師ネクロマンサーまで退けたのです。少なくとも、《深淵の牙》も面子をかけて次は最高レベルの人材を派遣してくることでしょう。事実、そのような動きも聞こえてきております」


 すらすらと、まるで人に物事の道理を教える師のような喋り方をするイレーヌ。

 順序立てて必要なことだけを喋ってくれるので、誰が聞いても理解がおよびやすい。これもある種の才能だろう。


「……ハンナ殿といい、ジュウベエ殿は優秀な配下を持っているのだな」


 ソファに背を預けながらもリーゼロッテは瞠目どうもくしていた。


 公都に着いてからたった二日だ。

 その短期間に、ハンナは襲撃者を容易く仕留め、イレーヌは死霊術師の逃走を阻止した上にこれだけの情報を集めてきた。


 もっとも、イレーヌの場合は彼女自身が元々ザイテンに住んでおり、商業ギルドに勤めていた関係で様々な方面にコネクションがあったというのが大きい側面もあるだろうが。


「配下ではなく、“仲間”というべきかな。本人たちは家臣などと嘯いちゃいるが、あいにくと見ての通り俺は城も領地も爵位も持ってはいなくてね」


 何もないんだぞと小さく両手を振って笑ってみせると、リーゼロッテもそれに倣うかのように表情を崩す。

 少しは気もまぎれただろうか?


 見ればイレーヌもリーゼロッテのほうを見て小さく笑みを浮かべていた。


「大公選定の儀は、貴族の中でも選ばれた者しか参加することはできぬ。仕掛けてくるなら、その会場か……」


「あるいは、その前後に襲撃をかけてくるか――――といったところだろうな」


 バカ正直に襲撃してくるとも思えないが、かといって素直に儀式を終わらせてくれると思うのも楽観的過ぎるだろう。


「本来ならアンデッド討伐に絡めてカタをつけるつもりだったんだろうが、案外アテが外れて焦り始めているのかもしれないな。付け入る隙があるとすればそこだ」


 くだんのアンデッドとの戦闘による被害を受けた状態で、帰り道に襲撃をかけることで盗賊の仕業にでも見せかけて依頼を完遂。

 同じ立場で考えれば、俺もそれくらいのことはするだろう。


 しかし、その必殺の布陣が外されたのだ。どこかで可能性もある。


 まぁ、そうはならなくとも――――敵となるものはすべて叩き斬れば済む。

 そう考えれば実に単純シンプルだ。


「……ジュウベエ殿、ひとつだけ訊いておきたいことがある」


 戦いの予感に胸の中で火が灯るのを感じていると、リーゼロッテが声をかけてきた。


「過去を詮索することが不躾な行為だとは理解している。だが、それでも訊きたい。貴殿はいったい何者なのだ……?」


 ついに“その言葉”がリーゼロッテから放たれた。

 イレーヌもつい反射的にだが、こちらに視線を向けていた。


 それぞれからの視線を受ける中、俺が思ったよりも驚かなかったのは、きっとそんな予感がしていたからだろう。


「正直、このタイミングで訊くべきことではないのかもしれない」


 そう続けるリーゼロッテの言葉には迷いがあった。

 ここでそれを問うことによって、互いの間にある何かが変わってしまうことを恐れるような。


「しかし、故郷を飛び出してきた下級騎士の三男だと言っておられたが、その腕は並みのレベルではなく、くわえて、所作も下級騎士が身につけるもののそれではない。意識して崩そうとしていることもわかってはいるが……」


 ……まぁ、いつか訊かれるとは思っていた。


 そして、しかもそれはイレーヌから指摘されていた部分だ。

 俺は内心で苦笑いを浮かべるしかなかった。


 今までその問いが延ばされていたのも、立て続けに起きた出来事に翻弄されていて、リーゼロッテもそれどころではなかったのだ。

 だが、冷静になってみれば違和感しかなかったはずだ。


「……今の時点で、答えることはできない」


 俺の返答にリーゼロッテの瞳に不安の色が浮かぶ。

 自分が信用されていないと思ったのかもしれない。


「だが、語る気がないってことじゃない。ただ、それは“大公選定の儀”が終わってからではダメだろうか?」


 こちらの情報をこのタイミングで渡すべきではないと判断している。

 おそらく、この一連の騒動が落ち着いたところでまた新たに“動き出すもの”があると俺は見ているからだ。


 ……まぁ、ここらが潮時だろう。


 俺の素性をバカ正直に語る必要性はないかもしれないが、いずれにしてもゼロ回答はありえない。

 依頼が終わった直後にとんずらすることもできるが、それはあまりにも考えなしな判断と言える。


 いくら偽名であっても俺が一度冒険者として登録して活動した実績がある以上、そんなことをすれば公国どころかザイテン参事会、果ては冒険者ギルドまで敵に回すことになる。

 それではハンナやイレーヌにも何らかの害が及ぶし、まさかふたりを連れてどこか別の国へ逃げるとでもいうのだろうか?

 結局はそれをやっても同じことの繰り返しになるだけだ。


 国が本腰を入れて調べれば、俺の素性を掴むことなどそう難しくない。

 しがらみのない大陸に出てきてまっさらな状態に近いからこそ、今回のようなことができたのだ。


 それに、いつかはこうなると思ってもいた。それがたまたま今回だっただけのことだ。


「それは、信じてもいいのだろうか……?」


 縋るような目をリーゼロッテから向けられる。

 まるで今は他に頼るべきものがないと言うかのように。


 それを受けて、俺は腰に佩いた刀の鞘を掴み、リーゼロッテの目の前に掲げるようにして口を開く。


「ああ、騎士の誓いというものは存じないが、この刀と武士の矜持に誓ってかならず」




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