第40話 策動の城


 公城の高層階には、王族とて簡単には入ることのできない大公の居室がある。


 そして、その中では壮年の男がふたり向かい合って座っていた。


「そうか、リーゼロッテが襲撃を受けたか……」


 豪奢な造りのソファに腰を下ろし、軽く足を組んだ男が低めの声でそう静かにつぶやいた。


 エーベルハルト・デュール・レヴィアス・オウレリアス。

 彼こそがこのオウレリア大公国の国主である。


 白いものがそれなりの数混じり始めた金色の髪を後ろに撫でつけており、口元で整えられた見事な髭は、特定の地位にある人間のみに許されし気品にさらなる威厳を与えている。

 また、彫りの深い顔立ちのくっきりとした双眸に宿る蒼色の瞳が、加齢によりやや色褪せてはいるものの、ライナルトとリーゼロッテの血縁であることを雄弁に物語っていた。


「はっ、それも複数回におよんで。アンデッド討伐自体がそもそもの布石だったようでありますが……。これはよほど強い殺意がなければ――――」


 対面に座して神妙な表情を浮かべているのは、ソファが軋みそうなほどに屈強な身体の騎士――――第三騎士団副団長ランベルト。

 彼は領地こそ持たない貴族ではあるものの、この国の伯爵位に叙せられており、その爵位もあって第三騎士団の副団長のみならずリーゼロッテの教育係も務めていたのだった。


「リーゼロッテの才が、ライナルトの本性を暴き出してしまったか。だが、それもまた試練のうちだ。どちらにとってもな……」


 ランベルトの事態を憂慮するような言葉に、エーベルハルトは眉すら動かさずに返す。


「まぁ、討伐の件は別としても、騎士団として団長を守護する役目にまで口を挟みはせぬ。そうした抜け道を探すのも手腕のひとつではあるがな。なにより、卿のところへ頼って来ない寂しさはあるだろうが」


「閣下、そのようなことは……」


「よせよせ、卿がリーゼロッテ側も同然なのは周知の事実だ」


 小さく表情を崩すエーベルハルト。

 なにを隠そう、ランベルトをリーゼロッテの傅役――――教育係にしたのはエーベルハルトであった。


「だが、そうであってもこの先の流ればかりは私にも読めぬ」


 表情を元に戻してエーベルハルトは漏らす。


「と申されますのは……」


「一見すれば、今の状況ではリーゼロッテが不利どころか暗殺されて終わりになりかねなかった。……だが、ヤツの拾ってきた護衛がなにやら面白いようだな?」


 早くも耳に入っているのか……。

 ランベルトはエーベルハルトの有する情報網の多さに感心していた。


「ええ、久しぶりにあれほどの猛者に巡り会いましたが……」


 かすかな驚きさえ、ランベルトは表情に出さないように答える。


じいとしては、あまり気に入らないようだな」


 このように、声色だけでも内心を見透かされてしまうからだ。


「いえ、そういうわけでは……」


 途端に言葉に詰まるランベルト。

 本来このような腹の探り合いは彼の苦手とするところであり、だからこそまつりごとではなく騎士団の道に進んだのだ。


「そのように私の前で遠慮を見せるな、ランベルト。いったい、いつからの付き合いだと思っている」


 口調を柔らかなものにするエーベルハルト。

 若かりし頃――――大公位を継承する前のエーベルハルトとランベルトは、共に肩を並べて戦場を駆けたこともある間柄であった。


「いえ、あの若者は、なんと申しましょうかその……“危うく”感じました。研ぎ澄まされた抜き身の刃のような……」


 リーゼロッテに害をなす存在とまでは思っていない。

 そうであれば、あの模擬戦ではおそらく真剣で戦おうとしたかもしれない。


「そうか……。卿の感じたその感覚は、あながち間違いでもなさそうだがな……」


「それはいったい……?」


 ランベルトの口から疑問の声が漏れる。

 もしやエーベルハルトは何かあの若者の素性を掴んでいるというのだろうか。


「まだ確信をもって語ることはできぬ、許せ。……それよりも今は大公選定の儀だ。まずはあれが終わらぬことには何も進みはせぬ」


 話を変えるエーベルハルト。

 少なくとも、これ以上は異邦の若者について語るつもりはないという意思表示であった。


「……人の親でありながら、このようなことをせざるを得ない私は畜生にも劣る存在だ。だが、国家という体制を存続させるには、情や慣習だけで世継を決めることはできぬ」


 それは自身が過去に通って来た道でもあった。


「閣下……」


「平時ならそれでもよかろう。しかし、数年の間に魔族との戦いも終わり、この大陸は新たなモノを巡り燃え始めるはずだ……。勇者よりも強力な存在を、皆素知らぬ顔抱え込み、口では「人類のために」と言いつつも決して送り出そうとしないのがその証左だ」


 《剛剣》、《火葬剣》、《銀剣》、《黒剣》……二つ名を名乗るにふさわしい騎士を公国は擁しているが、勇者一行の供として送り出そうとした人間はひとりとしていなかった。

 また、それはサントリア王国を除く主要国家でも同様である。


 言ってしまえば、精霊神殿の本部を擁するサントリア王国が舞い上がっているだけなのだ。

 あの国は《聖剣の勇者》を代々輩出し、魔王討伐の功績をもって発言力を有しているが、それはあくまでも平時の話だ。

 いざ魔族の脅威がなくなった日には簡単に飲み込まれるであろう。


 そうならないように、各国は“備えている”。来たるべき日のために。


「リーゼロッテの“意思”が、ライナルトの“覇”に及ばぬならば、リーゼロッテを大公位に据えたところでこの国は別の覇を唱える国に飲み込まれよう。それは身内か敵かだけの差でしかない。……ご苦労だった、ランベルト。下がっていい」


「はっ、失礼致します」


 立ち上がったランベルトは一礼と共に居室を後にした。





~~~ ~~~ ~~~




 ランベルトがいなくなり、ひとりになったエーベルハルトはソファから立ち上がってテラスへと出ていく。


 すぐ近くにある海。

 そこからほのかに漂ってくる潮風を受けながら眼下を見下ろすと、視界に広がる城内の一角で、なにやら足早に歩くリーゼロッテの姿があった。


 そして、彼女の後ろを静かに歩くひとりの男。

 その姿を見て、エーベルハルトの目が細まったかと思った瞬間、今度は逆に大きく見開かれた。


「八洲の男と聞いていたが……。やはりユキムラ・クジョウだったとは……」


 大公が口にしたのは、この大陸では知る者とて限られているはずのユキムラの本当の名前であった。


 《聖剣の勇者》一行出立の際、来賓としてサントリア王国に招かれていたエーデルハルトは偶然目にしていた。

 出立の儀式を終えた後で、明らかに異質な気配を放つ異国の男が《聖剣の勇者》たちと行動を共にしているのを。


 武の嗜みがあったエーベルハルトは、その者の佇まいを見ただけですぐにわかった。


 明らかに尋常な使い手ではないと。


「よもやとは思ったが、あの男がこのような場所にいるとはな……。なんでも気になったことは調べておくものだ……」


 帰国して手の者に探らせたところ、しばらくして名前と八洲から遣わされた人間であることが判明した。


 八洲の地でつい数年前まで三百年にも渡り続いていた幕府バクフという武力階級の立てた政権。

 武士、あるいは侍と呼ばれし支配階級の頂点に君臨する大将軍ダイショウグンなる覇者の実弟であると――――。


 エーデルハルトにとって面白いと感じたのは、ユキムラをはじめとした侍たちが幾多の戦場神話を有していることだった。

 この大陸で言えば貴族・王族と言っても過言ではない者どもが、自ら戦場を駆け抜けることもあるというのだ。


 武力を尊び戦場で散ることを美学とする彼らをこう呼ぶのだという――――《死に狂い》と。


 そして、その中でもユキムラの残したそれは異常の一言に尽きた。

 まさに《死に狂い》体現しているといえよう。


「誇張でなければ、数万の大軍がぶつかる戦の中で“軍団割り”をしてのけただと? 冗談のような男だ」


 さらに、それを単騎で阻止した男までいると聞いた時には、もはやエーベルハルトは笑うしかなかった。

 いったい、ヤツらはどれだけの屍を積み上げた“戦闘民族”なのかと。


「では、そんな男が今この国にいる理由はなんだ」


 勇者一行の壊滅……であれば、その報せはすでに大陸を席巻しており、新たな動きで情報が錯綜しているはずだ。

 そうであれば、ユキムラとてこのようにはしてなどいられまい。


 まさか戦力外通告でもされたか?


 ……いや、


 もし《聖剣の勇者》が担いし聖剣の力を完全解放したとしても、おそらく剣技ではユキムラには到底およびはしないだろう。

 勇者が勇者足り得るのは、誰よりも武勇に優れるからではなく“魔王を滅ぼす”ことの出来る唯一無二とされる力があるからなのだ。

 だからこそ、その刃を魔王の心臓へ到達させるために、隠密行動のような少人数で魔族の領域へと送り込まれている。


 しかし――――


 エーベルハルトには、ひとつ気になっていることがあった。


 最近、「魔族軍の組織的な攻勢が以前よりも減っている」という噂がまことしやかに囁かれていた。


 それらから導き出されることは……


「いや、断片的な情報で推測を語るべきではないな」


 そこでエーベルハルトは考えるのをやめた。


「いずれにせよ、流れが見えなくなってきた。ライナルトは“毒牙”を擁し、リーゼロッテは強力な“鬼札”を手に入れた。ならば、あとは双方どちらがそれを使いこなせるかどうかだ。それこそ、本人の“運”であろうが……」


 テラスから室内へと戻るエーベルハルトの口から漏れ出たつぶやきは、誰に聞かれることもなく虚空へと消えていった。







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