第37話 汝が剣となりて


 いつの間にか、太陽は雲の中へと隠れていた。


 いや、西から流れてきた暗雲が、それを覆い隠してしまったかのようにも思える。


「こんなところにまで襲撃をかけてくるのか……」


 ほんの少しだけ暗くなった視界の中、反射的に太刀の柄に手が伸びていた俺は思わずつぶやく。


 無粋の極みだとは思うが、“仕掛ける時機チャンス”としては最適だろう。

 できる限り護衛がいないところを狙うのは襲撃をかける上での鉄則だ。

 まさしく相手の本気度が見て取れる。


「こ、これは……」


 リーゼロッテも腰に佩いた破邪剣 《オルト・クレル》の柄を握ってこそいるが、何が起こるかわからない状況では動けないでいるようだ。

 そんな俺たちの前で、周囲に蠢いていた魔力の渦がいくつかの流れとなり、大地へと吸い込まれていく。


 “この魔力の流れ”を、俺は過去に見たことがある。

 忌まわしき戦場で……。


外法げほう使いとはな……」


 昔を思い出したせいで湧き上がった感情により、言葉が無意識のうちに口から漏れ出る。


 そして、俺の言葉を呼び水としたかのように、立ち並ぶ墓の地面が盛り上がり、土の中から白骨化したモノの手が外気を求めるように次々に現れ始める。


 死者が眠りし墓の中から這い出して来たのは、肉を失い骨のみとなった騎士たちのむくろ――――スケルトンであった。


「ネ、不死者化魔法ネクロライズだと……! そこまで……そうまでして、兄上はわたしを葬り去りたいというのか……!」


 愕然とした表情のまま、リーゼロッテが歯を軋らせる。


 不死者化魔法ネクロライズとは、外法術士――――この大陸でいうところの死霊術師ネクロマンサーの秘術にして、人類圏ではもっとも忌むべきものとされている魔術だ。

 その名の通り、死体となった者をアンデッドとして使役し戦わせる魔術で、たった一人の術師がいるだけで場所によっては一気に軍団を生み出すことができる反則じみた効力を持つ。


 戦場に高位ネクロマンサーが現れるだけで、戦況を引っくり返した逸話などもあり、仮に本人の戦闘力が高くなかったとしても、決して侮ることのできない存在なのだ。


「“優良顧客”に張り切ってるわけか……」


 俺はリーゼロッテに聞こえぬよう小声でつぶやく。


 どれほど強力なネクロマンサーであろうと、その者が社会的な名声を掴むことはできない。

 それは当然といえば当然で、人間の死体を強制的にアンデッド化させて戦わせる手法に、嫌悪感を抱かない者のほうが少数だ。

 なので、大抵は忌み嫌われ歴史の表舞台に出てくることすらない。


 “魔族の力を使う人類への背信者”と精霊神殿を筆頭に方々で言われているネクロマンサーだが、それでも使い方によっては相手を数で圧倒できる強力な魔法であることに変わりはない。

 そのため、いつの世でも一定の需要が暗殺者組織にあるらしく、彼らに雇われることを生業にする者たちが大陸各地にひっそりと暮らしているらしい。


「これは……仕掛けられていたのでしょうな」


 暗殺者の手勢は、リーゼロッテがここに来ると踏んで、ネクロマンサーを手配した上で罠を張っていたのだろう。

 墓守にでもなりすましておけば、けっして難しい話ではない。


 大勢で来れば何もせずに過ごし、少数であればこれを好機と襲いかかるために――――。


「それ以上に許せぬ……。よくも“この場”を外道の魔術でけがしてくれたな……!」


 噛み合わされた歯の隙間から漏れ出るようなリーゼロッテの声は、湧き上がる赫怒に彩られていた。

 体外へと溢れ出した魔力とオーラの奔流が炎となって顕現しており、俺からすれば初めて見るリーゼロッテの強い怒りの感情であった。


 しかし、これはあまりよくない傾向だ。

 今のリーゼロッテは激情に駆られてしまっている。


 もし、この襲撃の狙いが“純粋な暗殺”だけに留まらないのだとすれば、ここで選ぶ選択によって非常に厄介な事態へと発展する可能性がある。


「兄上がそうまでしようというのなら、たとえ我が同志の骸といえど斬って捨てるのみ」


 コイツらを倒すことができたら、その足で兄を斬りに出向くのだろう。

 それこそ相手の思う壺だ。


「罪なら背負おう。これは……わたしが前に進むための“覚悟”だ……」


 自身を鼓舞するように鞘走りの音を立てて剣を抜いたリーゼロッテ。

 同時に、ミスリル銀で造られた刀身に桔梗ベルフラワーの炎を宿す固有魔術――――《火葬剣》を発動させる。

 破邪のオルト・クレルを正眼に構え、悲壮な決意を表情に宿す。


 しかし、俺はそんなリーゼロッテへと静かに近付いていく。


「――――そのような“覚悟”など必要ない」


 はっきりとそう告げた俺は、そのまま亡者たちに立ち向かおうとしていたリーゼロッテの前へと進み出ていく。

 背中にそそがれる視線。どういうつもりだとでも問いかけたいのだろう。


「言っておくが、が覚悟を決める場所はここじゃない。こんな連中の掌で踊ってやる必要なんぞ皆無だ」


「ジュウベエ……殿……?」


 急に口調を変えた俺に、リーゼロッテは剣を構えたままで困惑の表情を浮かべていた。


「護衛の役目こそ引き受けたが、それは守り手であると同時に俺がお前の剣になるということでもある」


 そうリーゼロッテへと告げて、俺は鞘からゆっくりと狂四郎を引き抜いていく。


「ならば、今ここで振るわれるこの剣は――――“お前の剣”だ」


 刀を軽く振るい、俺は前方を見据える。


 目の前に立ちはだかるのは、永久の眠りから呼び戻されし死者の群れ。

 だが、そこに生前の意思などは微塵も存在していない。


 騎士――――それ以前に剣士としての記憶も残っていないため、こちらの立ち振る舞いから力量差を感じ取り、それに備え剣を振るうことすらできない哀れな屍兵たちである。


 剣をりし者をここまで貶めるとは、まったくもって度し難い。


 もし戦場伝説を作り上げられるだけの力を持つネクロマンサーであれば、もっとも優れた“素体”に全魔力を注ぎ込みつつ周囲の骸までもを吸収し、高位アンデッド化させて“屍装武士”――――この大陸風に言えば、“デスナイト”として蘇らせることができたはずだ。


 戦士たちの記憶の一部を黄泉路より引き戻し、複合化させ新たな疑似人格を形成する最高位の闇の魔術。

 さらに、戦いにおいて無駄と見做される痛覚と疲労をなくしたことで、生前よりも数段強化させることすら可能な“真の不死者化魔法ネクロライズ


 ところが、俺の相手となったのは、それを行使することもできない三下だったのだ。


 ――――まったくもって許しがたい。


「さて、相手にとって不足はありまくりだが――――」


 進み出ていく俺の手の中で、辺りに漂う闇の気配を感じた狂四郎の鍔が歓喜を表すかのように強く鳴りだす。


 しびれを切らせたように襲い掛かってきたスケルトンを、振り下ろした一刀で脳天から股間までを唐竹に叩き割る。


 その一瞬、スケルトンの群れが怯んだように見えた。


「いいぞ、主たる俺が許す。狂四郎、


 俺が“解放”の言葉を発すると、呼応するような甲高い鍔の


 それが、戦いの始まりを告げた。


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