第31話 夜風の中で


 肌を撫でる夜風は、春先を迎えた時候のためまだ涼しく感じられるが、その一方で昼間の戦いで蓄えた“熱”を冷ましてくれるかのように優しげだった。


 公都オーレンブルグが海にほど近い場所に位置しているからか、吹き寄せる風にはほのかに潮の香りが混じっている。

 高台に建てられた城のテラスに出て外の景色を眺めていると、眼下に公都の灯りが輝いて見えた。


 街路に建てられた《魔導灯》と呼ばれる設備の灯りだ。


「夜でもこんなに明るいままなのか。……いい街だな」


 経験のない眺めに刺激された感情が、声となって口から漏れ出る。


 冒険者が持ち帰る《魔石》と呼ばれるマナの結晶体を特殊な処理を施した容器に封じ、見習い魔法使いや見習い神官が魔力を流し込むことで、夜の街には火以外の灯りがもたらされた。

 この魔導灯の発明により、人類圏主要都市を包む夜の闇は部分的ではあるが払われ、人々の活動できる時間が拡大したという。


 ちなみに、この魔導灯に使える規模の魔石となるとかなりの値段で取引されている。

 そのため、より大きな魔石を得るべく、魔物を討伐して名を馳せようとする冒険者たちが後を絶たない。

 言ってみれば、一攫千金を夢見る冒険者たちがこうして世界の発展を支えているわけだ。


「八洲でもかなり進められているようですが、わたしが本土にいた頃はまだ少なかったですね」


 背後から声がかけられた。ハンナのものだ。


「……まぁ、いずれ栄えるさ。信秀のヤツがアホなことをやらない限りはな」


 振りかえらずに語りながら、俺は有能な従兄弟のことを思い出す。

 ただただ先代の嫡男というだけで大将軍位を継いだわけではないアイツのことなら、きっと上手くやってくれることだろう。

 本来なら寝るだけ――――何もできないでいた夜の時間を何かに利用できるとなれば、人類の文明は確実に進歩していくはずだ。

 信秀ならその意味にも気が付くであろう。


 そうでなければ、八洲のあとを任せた意味がない。


「それよりも、“お姫様”の護衛はどうした?」


 ハンナの方を向いて俺は訊ねると、静かに首を振られた。


 いくら護衛とはいえ、嫁入り前の貴族令嬢の寝所を警護する役目を男の俺がやるわけにはいかない。

 そのあたりは、当然のことながら俺も弁えていた。


 仕方がないので同性であるハンナをつけようとしたが、詳しく聞くと護衛役の侍女にやんわり断られてこちらに戻って来たのだという。

 俺の連れだということは説明してあったが、それでもそこは……となると、やはり自分たちの領域に踏み込まれるのは好ましくないらしい。


 まぁ、いずれにせよリーゼロッテの寝所を襲おうと思うなら、廊下かこのテラスを通るしかない。

 なにか異常があればすぐにでも動けるようになっている。


 そのために、俺たちにはリーゼロッテの隣の部屋を与えてもらっていた。


「なるほどなぁ。必要だったのは、外を出歩く際のということだろうか」


 おそらく、「苦境に立たされていても怯みはしない」という対外的なアピールが狙いだろう。

 そこで構わず単独で動こうとしないあたり、ちゃんと現実が見えているわけだ。


「そのために、あの後すぐにジュウベエ様の冒険者としての籍をギルド公国本部に移させたのでしょう? さすがは国家、やることが派手ですね」


 ハンナの言うとおり、実に派手な手並みだった。


 依頼を受けると言ったその流れで、俺は冒険者ギルドザイテン支部から外され、今ではこのオーレンブルグ本部の所属の身となっていた。

 これは大公の命ではなく公女たるリーゼロッテの判断によるものだが、三級程度の冒険者ならさしたる問題もなく移せるらしい。


 まぁ、おおかたザイテン支部と同様に、こちらの冒険者ギルドも三級冒険者をひとり差し出して恩を売れるなら安いものと判断したに違いない。


 こうなってくると、俺の派遣も期間限定で済むかどうか死ぬほど不安になってくる。


「やることが派手なのは結構だが、俺としてはこの国の“騎士サマ”との軋轢の方が気になるよ。揉めるのが目に見えている」


「あぁ……」


 俺の困ったようなつぶやきに、ハンナも意を察したような声を漏らす。


 俺の身分はあくまでも三級の冒険者だ。

 貴族階級の子弟――――主に次男や三男などが務める騎士団の人間が、こちらと円滑な人間関係を築いてくれるとは思えない。


 まぁ、そういうものは、戦乱の世で「使えるものは何でも使う」くらいの考えを持つ傑物でも現れない限りは無理であろう。

 あの《悪鬼羅刹》と呼ばれたひとりの覇王のような――――。


「……しかし、ジュウベエ様。この依頼、本当に受けてよろしかったのですか?」


 不意にハンナが傍に来て静かに問いかけてくる。

 一応、余所に声が聞こえないように配慮しているらしい。


「よかったとは?」


 問いに問いを返すのは好みのやりかたではないが、ハンナの質問の真意が知りたかった。


「いえ、せっかくジュウベエ様は命じられた役目を果たし自由の身となられたというのに、なぜこのように国の大事に関わるようなことを選ばれたのかと……」


 しばし考えるも、浮かんだ理由は短いものだった。


「そうだな……。


 俺が口を開いた途端、ハンナの表情が軽くひきつった。

 さすがに乱暴すぎる答えだと思い、俺は小さく笑いながら補足のために再度口を開く。


「一年ほどザイテンで暮らしてみたが、やはり俺はスローライフのんびり生きるのには向かないようだな。結局、以前と同様に戦いから離れることができないでいる」


 まぁ、要するに


 なんだかんだと戦いに関することばかりを選ぼうとしてしまうし、だからといってまともな人間としての生活が送れないことを嘆くわけでもない。

……いや、本来なら嘆くべきなのかもしれないが。


「だったら、いっそ開き直ってみるのも悪くはないと思ったわけだよ」


 狂四郎の柄頭に軽く手を置きながら笑ってみると、ハンナの顔が少しだけ曇る。

 少し自嘲気味だっただろうか?


「そんな顔をするな。俺は俺で楽しんでいる」


 それから俺はハンナの肩に軽く手を置く。

 掌を通してハンナの身体のぬくもりが伝わってくる。


「もし心配ばかりかけてしまっているなら、そこは申し訳ないと思うけどな」


「そんなことはありません。ですが――――」


 ハンナの両手が瞬時に動き、素早く身体と共に背後へと翻る。


 ほぼ同時にくぐもったような小さな呻き声。

 テラスの隅で黒装束の人間が二人。放たれた短刀によって身体を貫かれて地面に沈んでいた。


「こうして、二人だけで過ごす時間を邪魔をされるのは不愉快ですね」


「違いない」


 ハンナのやや不機嫌な言葉に、俺は笑うしかない。


 俺が刺客を退けたのは事実だが、ハンナを戦力として認識していない可能性がある。

 俺さえ回避できればいいくらいに思っていたとしたら、それは大きな間違いだ。

 いずれにせよ、忍の元頭領を怒らせるとはなんとも不幸な連中だ。


 しかし、早速新たな暗殺者を差し向けてくるとは、なんともまぁ熱心なことである。


 あるいは、俺たちが刺客を撃退したことで相手のプライドに火を点けてしまったかだ。


「俺の分くらい、残しておいてくれても良かったんだがな」


 ハンナには任せていたものの、俺は俺で狂四郎の柄へと手を伸ばしていた。


「わたしの投擲も躱せないような者に、ジュウベエ様の手を煩わせるまでもありません」


 まぁ、ハンナの言う通りだ。

 どういうつもりであの程度の人間を送り込んできたかは知らないが、あれでは退屈しのぎにもなりはしない。


「……他にはもう付近に気配はありませんね。おそらく、今晩の襲撃は終わりでしょう……」


 刺客が現れたことで人を呼びに行こうとしたハンナだが、すぐに立ち止まってこちらを振り向く。

 黒い髪を夜風が撫で、どこかハンナを煽情的に見せた。


「……どうした?」


 こちらの問いにハンナは答えず、俺の耳元へそっと顔を寄せて口を開く。

 

「もしよろしければ今晩は……」


 ハンナの熱っぽい言葉が俺の耳朶を撫でてく。


「……ああ、わかった。後でな」


 俺も昼の戦いによる昂揚感がまだ身体の内側に残っていた。


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