第29話 ミッドナイトブルーの殺意
リーゼロッテ帰還の報を受け、公都オウレンブルグはにわかに騒がしくなっていた。
西の辺境ザイテン近くに“偶然現れた”凶悪なアンデッドの討伐に成功したことを称賛するものと、その代償として彼女が擁する騎士団の戦力を少なからず失ってしまったことに対する衝撃だ。
それらが混ざり合って街じゅうを駆け廻り、貴族・平民問わず様々な憶測を呼んでいた。
平時であれば、その報とてこれほどまでに大きな反応を生むことはなかったはずだ。
では、なぜこのようなことになっているのか。
それは、リーゼロッテが実の兄と“次期大公位を賭けた政争”の渦中にあったことが大きな要因であろう。
残された期間はおよそ一週間。
公都の中では、表裏を問わず様々な動きがあちこちで起こっていた。
~~~ ~~~ ~~~
「なぜ失敗したのだ!」
公城内は男子の王族に割り当てられた区画の一室では、ひとりの男が怒りの声を上げていた。
今にも額へと血管が浮き出んばかりの怒りを見せているのは、ライナルト・レヴィア・オウレリアス。
このオウレリア大公国を治める大公エーベルハルトの嫡男である。
現在の表情こそ怒りに歪んでいて苛烈な印象を受けるが、それでも彼が有するは色素の薄い金色の髪に、夜の闇のような深青の瞳。それと、細い線が描く鼻筋と輪郭は美しく、誰が見ても目を引かんばかりの秀麗な容貌を持っていた。
身長は一.七メルテンを越えるが、ユキムラの一.八メルテンにまでは及ばない。
それでもこの大陸の平均よりはずっと高かった。
細身ではあるが長い年月をかけて鍛え上げられた肉体が、上等な仕立ての服を下から押し上げている。
それが飾りなどではなく、実用的な筋肉であるのは誰の目にも明らかであった。
今でこそ帯剣はしていないが、剣の腕とてこの国で並ぶ者がいないと称されていた。
……ほんの数年前までは。
「例のアンデッドの情報を得るために、我らの手駒からどれだけの犠牲を払ったと思っている! アンデッドと聞けば飛んでいくあの呑気な連中におあつらえ向けだと罠を張ったのだぞ!」
現大公の世継たるライナルトは、この大陸に存在する諸国家の慣習と同じように、何もしなくとも次期大公の道がつけられているはずだった。
もちろん、だからといってライナルトがそのための努力を惜しんだことは一度とてない。
では、なぜこのようなことになっていしまったのか。
それは、突如として才覚を現した“ひとりの人間”――――実の妹リーゼロッテの存在がすべてを変えてしまったからであった。
切っ掛けは些細なことであったかもしれない。
だが、ゆっくりと全身に回った感情という猛毒が、彼の心に拭いようのない深い闇が生じさせたのかもしれない。
「はっ、例のアンデッド討伐に向かわれたリーゼロッテ様陣営の騎士団は壊滅しましたが、当人はかろうじて生き残っておられたようでして……」
一方、ライナルトに向かって終始恐縮したように報告を続けている男。
彼の名はテオバルド・レヴァ・パレンツァン。
公国の北部地方――――帝国との国境近くに領地を持つパレンツァン伯爵家の嫡男にあたる青年で、ライナルトの派閥の取りまとめ役をしていた。
彼の見た目には、ライナルトのような女性の目を引きつけるような特徴があるわけでもなく、あくまでも平均的な外見を有しており、全体を見ても中肉中背と十人並み。
たまたま計画の立案などに人よりも優れた点があるということから、ライナルトの副官的な立場に潜り込むことができたに過ぎない。
いわば幸運により地位を得ることができた人間だった。
だからこそ、テオバルドは自身の地位を離すまいと必死に頭を働かせていた。
残念ながら、現在それは思ったような成果を上げてはくれていないが。
「強力なレイスであれば、まとめて葬り去ることもできると思ったのですが……」
ちなみに、アンデッドの情報をリーゼロッテの派閥へと流したのは彼の発案によるものだった。
とはいっても、公国の領土内に手勢をばら撒いて、“帰還しなかった場所”をより詳細に調べただけに過ぎない。それだけでも数名が帰って来ず、少なからぬ犠牲を強いられたのだ。
しかし、だからこそ彼は自分の見つけたアンデッドの正体をレイスか何かだと思い込み、実際には“イルナシド・テラ・アルメナラン”という古の帝が復活しかけたことを知らなかった。
必然的に、下手をすれば公国が滅びていたかもしれないことさえも。
「その報告はもう先日受けている! だからこそ、“連中”を新たに雇ったのではないか!たった一人を殺すことなど訳はないと思ったが、それでも必ず仕留められるようにわざわざ専門の刺客を差し向けたのだろうが!」
激昂するライナルトの言葉に、テオバルドは肩を小さくするしかない。
彼の主人はこうして怒り始めるとなかなか感情を落ちつけられない癖があった。
そもそもの発端は、ライナルトが何者かによって襲われたことにある。
暗殺者こそ退けたものの、それを境にしてライナルトはリーゼロッテを排斥しようと動き出したのだ。
明らかに焦りからの悪手である。
それでも、テオバルドはライナルトの派閥から離脱することはできなかった。
もしそんなことをすれば、数日のうちに彼は公都南部の河口あたりにでも浮かぶことになるだろう。
テオバルドは主人の暗部とでもいうべきことに関わりすぎていた。
「それが……ザイテンから護衛役として同道していた冒険者に退けられたようでして……」
「“ヤツら”がたかが冒険者相手に負けたというのか!? いったいどんな凄腕の冒険者を派遣してきたというのだ?」
にわかにライナルトの顏に焦りにも似た驚愕の色が浮かび上がる。
「いえ、名の通った人間とは聞き及んでおりません。つい先日三級に昇格したばかりのヤシマ人としか……」
「ヤシマ? 聞かぬ名の国だな……」
「大陸の東端から海を隔てた場所にある島国です。そこからザイテンへと流れ着いて、たった一年で三級まで駆け上がってきた、ある意味では凄腕ということまではわかっているのですが……」
すぐに情報を収集するようテオバルドの伝手を使って動いているが、現時点では何の成果も上がって来てはいなかった。
「大陸の外だと? そのような未開の地の蛮族に負けたとは情けない連中だ……!」
ライナルトは
結果からすれば、まんまと出し抜かれたようなものだ。
加えて、彼からすれば大陸外の国など未開の地でしかない。
そんな国の蛮族に自分の策が台無しにされたというのは到底我慢ならないものだった。
「いずれにせよ、あの女が大公になることだけは絶対に阻止せねばならぬ。女の分際で大公位を継ぐなど、この数百年続いた大公国の歴史に泥を塗ることになるのだぞ!」
義憤に駆られたとばかりにライナルトは怒りをあらわにするが、それは自分だけが大公候補に選ばれなかったことに対するある種の“逆恨み”であることには気づいていない。
いや、無意識の中で気付かないようにしているのだった。
自分よりも優れていると方々から評された才媛リーゼロッテ。
これだけでさえ彼のプライドからすれば許しがたいのというのに、大公候補にまで上げてくる父親の思いがライナルトには理解できなかった。
そんなドス黒い感情ばかりが、心の奥底に
「再度、手勢を手配しろ。今度はこの城の中だろうが関係なく片を付ける。父上が決めた期限まであと一週間しかないのだ。騎士団を失ったことが
その冒険者とて、あくまでも公都へ戻るための護衛に過ぎないはずだ。
これから先、城内にいては手勢を失ったリーゼロッテはまともな護衛さえいないはずだ。
ならば、事故に見せかけて殺す方法はいくらでもある。
少なくとも“ヤツら”はそれだけの手管を有している。
「はっ、直ちに――――」
そう答えてデオバルドは足早に部屋を退室する。
彼自身が動かねばならないのと、一刻も早くこの寿命を縮めかねないストレスの場から立ち去りたかったからに違いない。
そうしてライナルト以外誰もいなくなった部屋で、彼はひとり窓辺へと向かう。
「生きてさえ帰って来なければ、これ以上苦しむこともなかったであろうに……」
その細く鋭い弧を描く口唇から漏れ出る言葉に、もはや肉親に向けるべき情は含まれていない。
窓から公都の街並みを眺めるライナルト。そのミッドナイトブルーの瞳には、仄暗い感情が宿されていた。
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