第3章~公都騒乱~

第26話 忍び寄る気配


 西から吹いてくる春の風が肌に心地いい。

 生命をやさしく包み込むような穏やかな日差しは、俺の身体をゆっくりと温めてくれる。


 世界のどこかでは、こうしている今も凄惨な戦いが起きているなんて想像できなくなるような天気だ。

 あるいは、天にとっては地上の醜い争いそんなものなど関係ないのだろう。


「すまないな、ジュウベエ殿。こちらの事情に巻き込んでしまって」


 公都オレリアンブルグへと続く街道を歩く中、俺の数歩後ろを進むリーゼロッテが不意に口を開くとこちらに向けて話しかけてきた。

 護衛役の依頼は晴れて継続となったわけだが、リーゼロッテとしては半ば強制してしまったことに対する負い目があるのだろう。


「……なに、構いませぬ。ギルドからの指名依頼となれば否応もないものです」


 そして、話しかけられた俺は、振り返りながらきわめて事務的に返事をする。


 旅は道連れとも言うし、親しげに話しかけたいとは思うのだが、それにしたって何かしらの切っ掛けがないと貴族相手では藪蛇になりかねない。


 それとも、まさか「そうですね、おかげで大変な目に遭っています」なんて返すわけにもいかない。


「そ、そうか……」


 しかし、そんな俺の言葉を受けたリーゼロッテの表情が微妙に曇った。


 おっと、少し対応が硬かっただろうか? べつに他意はないのだが、こうなってしまうと少し困る。


 あらためて依頼人となったことでリーゼロッテを意識して見ることになったが、女性にしては高い一.七メルテン近い身長に、装飾の施された騎士鎧に身を包む均整の取れた細身の身体からは、高貴なる血族に身を連ねる気品のようなものが感じられる。

 それに加えて、絹糸を丁寧に梳いたような色素の薄い金色の髪の毛と、流麗な弧を描く眉と深い空を思わせる蒼色の瞳が、リーゼロッテを姫騎士と呼ぶに相応しいものへと仕上げていた。


「……気にしているわけではありませぬよ。御身が悪いわけではないのですから」


 いささか事務的に答え過ぎたかと反省し、少し言い方を変えてみる。


 今回、リーゼロッテの護衛役を引き受けることになった件は、とっくの昔に仕方のないものとして俺の中で片をつけてある。

 もしそこにリーゼロッテの思惑が絡んでいるとしても、それは彼女が安全に公都まで戻りたいから俺を選んだ程度であって、してやられたとか思うほどのものではない。


 むしろ、あのハゲボルドーたちが仕組んだことだ。本当に面倒ごとに巻き込んでくれる……。


 俺から言わせれば、今回の件はザイテンの参事会が、これを機に公国中枢に恩を売ろうと色気を出したようなものだ。

 すでに“あのふたり”を中心に、各ギルドがそれぞれの思惑によって動いているはずだ。


 そんな中、冒険者ギルドがより高位の凄腕を派遣しなかったのは、ザイテンの守護役兼切り札を使いたくなかったからだろうか。

 見知った人間の方がリーゼロッテもありがたがるのはもっともだが、どちらかいえば「少ない労力で上手くいけば儲けもの」くらいの感覚でやったのだと俺は思う。

 傭兵ギルドや商業ギルドと比べると、冒険者ギルドが国に恩を売ったところで図ってもらえる便宜などたかが知れていると、上記で述べた理由も含め総合的に判断したのだろう。


 いいように使われているのが見え見えなので釈然としない気持ちもあったが、さすがに俺とて一年間冒険者をやって培ってきた信用を、個人的な感情で吹き飛ばすほど考えなしではなかった。


「それに、これも何かの“えにし”というものでしょう」


「……エニシ?」


 聞き慣れない言葉に、リーゼロッテは小さく首をかしげる。


「拙者の故郷である八洲ヤシマでは、人と人との新たな出会いやつながりを“縁”と呼んで意味を持たせているのです」


 なるべく表情をやわらかくして俺は言葉を発していく。


「なるほど……。人同士の関係を大事にされるのだな」


 リーゼロッテは表情を和らげ、それから感心したようにしみじみと頷く。


「まぁ、そんな言葉があるくせに、狭い島国の中で数百年も飽きもせず殺し合いを繰り広げてきたのですがね」


「え、エニシとはいったい……」


 俺が肩を竦めながら言うと、途端にひきつった表情になるリーゼロッテ。

 ころころと表情が変わるので見ていてちょっと面白い。


「そのような世情なので、昨日まで敵だった者が味方となることもあります。その逆もまた然り」


 八洲にいた頃の光景が脳裏に浮かんでくる。


 つい先日酒を酌み交わした人間と戦うことなどザラだった。

 しかし、それが戦国の倣いであった。


「とはいえ、たとえ敵となり刃を交えることになろうとも、すでに互いの間に存在する絆により、憎悪だけの殺し合いにならずに済んでいることもあるのですよ」


 そうは言ったものの、あくまでもこれは個人の感想だ。


 武家に生まれたというだけで徳に篤い人間になれるのなら、八洲はもっと平和な国であっただろう。

 あくまでも八洲で培ったもののひとつとして、“縁”という言葉を使っただけだ。

 大陸の風習だとか慣習だとかに対してどうこう難癖をつけたいわけではない。


「まぁ、これは我が国独特の感覚なのでしょうがね」


 社会階級をとって見ても、大陸の貴族・騎士という構成は八洲の公家・武家に近いものがあるが、その詳細や勢力比率はまるで異なるものとなっている。


 いささか極端な物言いにはなるが、大陸が国王を中心とした上で貴族同士のまつりごとを中心に動くのだとすれば、八洲は権威だけの存在になってしまった朝廷・公家を形式的には重んじつつも、実際には武家同士の勢力争いによって国内の情勢は変化するようになっていた。

 これを見るに、八洲は武家が大陸の貴族・騎士両方の性質を兼ね備えている上、各自の裁量権がかなり高くなっているといえよう。


 だからこそ、戦と謀略が隣り合わせという奇妙な関係が成り立っていたのだ。


 まぁ、それもこれも島国という外敵に脅かされる心配のきわめて少ない地理的な条件があったからこそできたのだろうが。


「わたしにはよくわからない感覚だ。血を分けた身内同士でも隙あらば蹴落とそうとするような世界では……」


 なにか当人の中に触れるものがあったのか、俺の故郷の話を聞いて軽く伏せられるリーゼロッテの視線。


「それもまた貴族の宿命……と済ませるには、いささか業が深いですな」


 前を向いて適当な相槌を打つが、さすがに内心では困り果てていた。


 く、暗い……。コレはワケありなんてレベルじゃないぞ。


 もちろん、俺とて武家の出だ。身内での当主争いなんて腐るほど聞いている。


 しかし、この大陸でのそれがどういうものかまでは聞き及んでいない。


 いや、それ以前に――――このまま公都までついて行くのはいいとしても、なんだか一緒にいる俺までこの国の政治に巻き込まれそうな気配がビンビンなんだが。


 気を紛らわせようと周囲に視線を送ると、いつの間にか俺たちは人気のない場所に差し掛かっていた。


 ちょうど街と街の間くらいを歩いているのだろう。

 元より辺境であるザイテンに向かう人間が少ないこともあって、この辺りが一番人が少ない所になると聞いたことがある。


「どのような言葉で飾ろうとも、しょせんは血塗られた忌まわしきものだ。しかし、それを誰も断ち切ることができないでいる……」


 ここらで話を切り上げようと間接的に仕向けたのだが、思い悩んでいる様子のリーゼロッテはそれに気付いてはくれなかった。


 おいおい。この調子で進んで行くなら、俺はこの先どんな話題を振ればいいんだ?

 いっそ料理の話でもしろということか? ……冗談にもならない。上級貴族の娘が自分で料理などするわけもないのだから。


 だが、まぁ――――


「……ジュウベエ殿?」


 ふと立ち止まった俺に向けて、不思議そうに声をかけてくるリーゼロッテ。


 それに構わず、俺は腰に佩いた狂四郎に手を伸ばす。

 そのまま背後を振り向き、鯉口を切って抜刀。太刀を一閃させる。


「ぐぶっ……」


 高速で放たれた刃は、リーゼロッテの背後から忍び寄っていた黒衣の右腕を切断しながら側頭部へと水平に喰らい付き、そのままの勢いで半ばまで両断していた。


 小さい痙攣とともに黒衣は瞬時に絶命。

 また、腕までも斬り飛ばしたことにより、リーゼロッテに振り下されるべく握られていた短剣が腕ごと地面に転がり落ちる。


「なっ――――」


 一方、俺の放った刃が顔のすぐ近くに存在しているため、リーゼロッテは驚愕に固まったまま顔色を蒼白にさせていた。


「どうやら、御身の帰還を望まぬ手合いがおるようですな……!」


 短く告げ、俺は相手の頭部に埋まったままの刀を引き抜きながら、リーゼロッテを守るように彼女の背後へと身体を割り込ませる。

 そして、彼女が剣を抜いて振り向くよりも早く、飛んできた複数の短剣をすべて太刀を振るって弾き飛ばす。


 前方へと向ける俺の視線の先には、こちらへと迫り来る者たちの姿があった。

 先ほどの襲撃者と同じく黒衣に身を包み、顔を隠した人間が三人。

 それぞれが手に緩く湾曲した片手剣を握っていた。


「ちょうどいい」


 辛気臭い空気の中を歩くのにも退屈しかけていた頃だ。


 チリン――――。


 俺と同じことを感じていたのか、握り締める狂四郎の鍔が激発前の空気の中、小さく涼やかに鳴り響いた。




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