第24話 ワケありのふたり


 戦いの終わりを示すように、イルナシドの纏っていた黒衣がずるりと地面に落ちる。

 その下から現れたのは、白い肌に白銀の髪、深紅の瞳を持った美丈夫の姿だった。


 これが本来の古代のみかどたるイルナシドの姿なのだろうか。

 いや、そもそもその身体自体が微妙に


「……礼を言わねばならぬな。そちのおかげで、この世への執着から千年ぶりに解放された」


 声までもが、先ほどまでの闇の奥底から這い出てくるようなものから、透き通るようなものへと変わっていた。

 おそらくではあるが、イルナシドを斬った《傀伝斬おおでんた》の持つ神通力によって、不死者アンデッドとなった際に汚染されていた魂までもが浄化されたようだ。


「……邪竜の衣は使うがいい。貴様なら使いこなすすべもわかるであろう」


 その言葉に従うように、地面にあった衣がふわりと風に乗るようにして俺の方へ流れてくる。

 《傀伝斬》を握ったまま慎重に触るが、特に違和感もなにもない。

 邪竜の血を浴びたなどと言うからどんなものかと思ったが、これ自体には《魔剣》のような呪いの力は備わってはいないようだ。


 そう思っていると黒衣は形を変え、羽織となって俺の着物を構成し始める。


「ふむ、そちを主人として認めたようだ。その衣は、持ち主の魔力を感知すると持ち主の思念の一部を読み取って自ずから最適な形へと変化する」


 自らの使っていた品を譲り渡せたことで、満足そうな微笑みを浮かべるイルナシド。


「我はもう消えるしかないが……。“あの日”を境に、この大陸で眠りについている者は多い……」


「……あの日?」


 謎めいたイルナシドの言葉に、俺は鸚鵡返しに訊ねる。


。今までは何かの“強大な力”が世界を覆い、蓋をしていたようだが、一年ほど前にその頸木の片割れが突如として外れたことで我は目覚めた」


 理解するにはあまりにも抽象的なイルナシドの言葉に、俺はまさかと考えを巡らせる。


 蓋? 片割れ? しかも一年前? まさかゆうしゃまおうの二対の存在か……?


 もしや俺が“魔王そのもの”を消滅させてしまったことでそのバランスが崩れたということか?


 ……いやいや、待て待て。

 まだ慌てて結論を出す時期ではないし、そうと断言するにはあまりにも情報が足りていない。


「だが、そちの持つ力とそのほむらのような気迫なら、“ヤツら”とて滅ぼすことすら成し遂げるかもしれぬ。あの人智を超えしことわりの外にいる者どもを――――」


 こちらの内心の動揺具合など素知らぬ様子で満足気に微笑んだイルナシドは、謎めいた言葉を残して完全な光の粒子となって空へと昇っていった。


 その光の残滓を眺める俺は、己の内側から湧き上がる新たな感情を覚えていた。


 そうか、こんな化物がまだ他にもいてくれるのか……。


 背筋を雷のように駆け巡る怖気にも似た感覚。


 あぁ、それは素敵だ。


「そんな……。あの化物を滅ぼすなんて……」


 イルナシドの消え去った場所を見つめる俺の耳に、呆然と放たれたつぶやきが届く。


 視線を動かすと、ハンナの傍らに座り込んだ女騎士が呆然とこちらを見つめていた。

 俺は《傀伝斬おおでんた》をそっと隠し、狂四郎と脇差を回収してからゆっくりと女騎士のもとへと近付いていく。

 代わりとなる太刀は何本か空間収納の中に用意してあるため、仮に女騎士から問い質されても《傀伝斬》を出さずに済む。

 なので、平静を心がけて歩み寄って行く。


「名のある御方とお見受け致す」


 貴人を相手に見下げるような形はまずいとの判断から、すぐ近くでゆっくりと片膝をつく。


「拙者はジュウベエ・ヤギュウ。冒険者ギルドの依頼を受けこの山に盗賊を討伐に来た折、御身が戦っていることに気付き、助太刀させていただいた」


 あの距離での会話なら俺の本名の名乗りも聞こえていなかっただろうと、俺はしれっと偽名を口にする。

 まぁ、冒険者としての身分はちゃんと存在しているので、これでも完全な嘘ではない。


「え、ああ――――いや、失礼。見苦しいところを見せてしまった。わたしはリーゼロッテ。この国の大公の――――いえ、騎士を務めておる者だ」


 なにやら一瞬言い澱んだ女騎士――――リーゼロッテ。


 姓すら名乗らないあたりなんとなくワケありな雰囲気だが、俺も素性を詮索されたくはない身なので、あえてこの場で追求するような真似はやめにしておいた。

 いずれにせよ、初対面でやっていいようなことではないだろう。


「貴殿の助太刀、とてもありがた――――いや、感謝している」


 それに、平民相手の口調も慣れていない様子だった。

 今までは同行していた騎士たちが代わりに応対していた可能性がある。

 本人は必死に隠そうとはしているが、おそらくこの娘は相当に身分が高い。


「では、リーゼロッテ殿。我々はザイテンまで戻る予定でありますが――――」


 途中で言葉を切って、言外に「どうする?」と訊ねる。


 仮に相手が騎士爵なりなんなりの身内だろうが、貴族は貴族だ。

 それが相手となればむやみやたらに明確な言葉にはせず、相手の意思に委ねたほうが無難だろう。


 彼らは迂遠な言い回しを好む――――と言うよりは、直接的な言い方を避ける面倒な生き物だ。

 八洲にいた際も、古都にいた公家衆の相手をした時はずいぶんと疲れたものだ。

 先ほど「御身の窮地を見て助太刀した」と言わなかったのもその経験があったためだ。相手を侮っていると思われたくもないしな。


 それに、俺がイルナシドと斃したことについても、未だ触れないようにしている。

 あまりにも扱いが難しいと思ったからだ。


「そうだな……。まことに申し訳ないが、同行させていただけるだろうか。わたしも冒険者ギルドの者と話さねばならないことがあるゆえ」


 リーゼロッテも、なるべく舐められないように言葉を選んでいるのが見て取れたる。

 冒険者が相手だからだろうか。

 まぁ、こればかりは「俺はそんな者ではない」と言葉で説くよりも、今後の言動で納得させるしかなかろう。


「承知致した。なにゆえ作法も知らぬ無骨者ゆえ、ご無礼などありましたらばご容赦いただきたい」


 軽く一礼しながら言うと、途端にリーゼロッテは恐縮したような表情になるが、すぐに表情を引き締める。


「た、助けてくれた相手に対して、そのような恩知らずな真似はせぬ。それにジュウベエ殿は平民にしてはずいぶんと作法が――――」


 少しだけ心外だと言いたげな口調になるリーゼロッテ。

 後半部は途中で失言と判断したのか言葉を止めてしまったが、こちらが貴人と接する機会のある身分の出だと察した可能性がある。


 ふむ、口調を固くしているだけで、意外と繊細なのかもしれない。


 リーゼロッテがゆっくりと立ち上がるのを確認してから、俺も静かに立ち上がってハンナのほうを見る。


「ハンナ、まずは道中の安全を見てきてくれないか。心配はないと思うが、人数が少ないこの状況で戦闘になるようなことはなるべく避けたい」


「……承知致しました」


 一瞬だけ「よろしいので?」という顔を浮かべたが、俺が静かに頷くと短い返事を伴ってハンナの姿が消える。

 先にザイテンに戻らせるという手もあったが、やはり同性が近くにいた方がリーゼロッテも安心するはずだ。


 それに、どう転んでもちょっとした騒ぎは起こるだろう。


「……あ、あの者は?」


 人間離れした身体能力を見せて去っていったハンナを見て、リーゼロッテは目を丸くしていた。

 そりゃまぁ、あんなものを見せられれば驚くか。


「あー、故郷にいた時の古い馴染みです。まぁ、こちらの大陸に来てからたまたま再会したのですがね」


 余計な情報は混ぜずに平然と返すが、決して嘘は言っていなかった。

 ただ、それをリーゼロッテが素直に信じてくれるかはわからない。


「そうか……。この世間も狭いのだな……」


 なにやら考えつつも、今の精神状態ではそれだけ返すのがやっととばかりにつぶやくリーゼロッテ。

 言葉の上でこそそう言ってはいるが、たったこれだけの説明で彼女が完全に納得した様子はない。

 追々訊かれる可能性もあるが、まぁとりあえず今を凌げればいい。どうせ彼女とも短い付き合いだろうしな。


「……それでは、すまないがジュウベエ殿。ザイテンまでの護衛役をお願いできるだろうか?」


 まぁ、それでも表面上だけでも信じようとはしてくれたらしい。


 ならば、俺もそれに応えよう。


「ええ、無事に御身を送り届けてみせましょう」



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