第22話 魍魎跋扈


「……待たせたな」


「なに、我が味わった永き眠りに比べれば些事さじである。……それよりも、我に勝利すると言ったように聞こえたが?」


 短く声を投げかけると、俺の前に悠然と立つ黒衣の不死者が、わずかに首を傾げながら言葉を放つ。


 深い澱みの底から這いあがってくるような声が、不快感となって俺の耳にまとわりつく。


 肌にチクチクと無数の針が刺さるような感覚。

 それは、目の前の不死者から発せられている魔力の圧力だった。


「――――のみならず、


 大気に作用していると錯覚させる圧倒的な鬼気を前に、狂四郎を霞上段に構えながら俺は不敵に断言する。


 そうだ。このような敵を前にして挑まず、なにが侍、なにが《死に狂い》か――――。


 不思議なことに、が、俺の身体を歓喜に震わせてくれる。


 なんと喜ばしいことであろうか。こんなにも世界は“未知”に溢れている。


「おもしろい。だが、我に傷を与えた程度で、そのような思い上がりを見せる蛮族は誅さねばならぬな」


 黒衣の下で緑の鬼火が揺らめきながら輝きを増した。


 わらったのだ。


「俺を蛮族と侮ったヤツは、大半が後悔するハメになっている。まぁ、だいたいはあの世でだがな」


「ならば、


 より一層の揺らめきを見せた燐火。

 相手がになったと俺の唇が歪んだ瞬間、黒衣が膨れ上がった。


 黒衣の内側から放たれる闇の火炎。空を斬り裂いて漆黒の火球が俺に迫る。


「闇の魔法か……!」


 それを俺は横に飛んで回避。

 しばらくして、着弾した背後の森で火球に秘められた魔力が解放され、大規模な爆発が生じていた。


 大気の震える感覚が肌に衝撃となって伝わってくる。 


 詠唱――――予備動作なしで放ったにもかかわらず、不死者の放った魔法は魔王が見せたそれにも劣らぬ破壊力を秘めていた。

 真正面から撃ち合ったとしたら、勇者一行の火力担当たるアリエルとて瞬時に飲み込まれかねない。


「まったく、どこから出て来たんだか……」


 どうして、こんなにも強力にして凶悪な存在がこのような辺境にいるのか。


 気にはなるが、今考えても意味がない。

 ……


「ほざいたわりには動きが遅いではないか、蛮族よ」


 声が耳朶を打った直後、弾かれたように上空に目を向けると飛び上がった黒衣の姿がそこにはあった。

 白皙の手には今しがた放たれたものと同じ黒の火球。


 もう一撃! こちらが本命か!


 全力で後方へと飛ぶが、すぐ近くの地面で生じた爆発の余波に巻き込まれ、後退ではなく荒れ狂う破壊のエネルギーに身体が吹き飛ばされる。

 同時に巻き上げられる土砂。

 咄嗟に交差させた両腕で、飛んでくる凶器と化した小石や木の枝などから顔面を守る。


 腕に突き刺さる感覚と痛み。

 だが、そんなものに気を取られてはいられない。


 悪寒を覚え背後に視線を向けると、俺が飛んで行く先に巨大な木の幹。

 このままの勢いで衝突すれば、ほぼ間違いなく背骨が砕けてしまう。


「さすがにこれで死ぬのは無様に過ぎるな」


 身体の中にオーラを巡らせ部分的に放出することで、空中で姿勢を強引に変えることができ、疑似的な三次元機動を取ることが可能な技が忍術の極意の中に存在している。

 しかし、これは体術とは違って感覚的な調整が非常に難しく、下手をすれば自分で後頭部を地面に打ち付けるダイナミック自殺が行える。


 慎重に体勢を制御しつつ、左手で脇差を抜きながら幹に垂直に着地。

 同時に脇差を突き立てながら膝をたわめ衝撃を可能な限り殺すが、さすがに受け流しきれず足がわずかに痺れる。


「やってくれるな……」


 脇差の峰を足場にしながら前方に視線を向けると、黒衣の裾をはためかせてこちらに接近する不死者の姿。


 ――――仕留めに来るか。


 そのまま今度は足を一気に伸ばすことで大樹の幹を蹴り、前進の力へと変え空中へと飛び出していく。


 黒衣の中から現れた両腕が掲げられ、その十の指に宿る小型の火球がこちらへと目がけて高速で飛んでくる。


 なるほど、こちらの間合いまで詰められるのを嫌がっているのか。


 大地の力じゅうりょくに引かれるままに地面へと着地し、そのままの勢いで不死者へと向かって俺は腰を落としながら駆け抜ける。


 押し寄せる闇の炎の群れに対し、俺は前方へ飛び、地を転がり、または獣のような姿勢となって強引に回避。

 そのまま黒衣へと向かって距離を詰めていく。


 強制的に身体の姿勢を変えなければ、この数の火炎は避けられない。

 あまりにも無茶な動きに、全身の筋繊維が抗議の悲鳴を上げるが、今は聞こえないことにする。


 そして、回避しきれぬものを握り締めた《蝕身狂四郎》で迎撃。


 この妖刀が持つ“魂を喰らう”という呪われた力は、言い換えればその生命力や魔力を喰らう力を持つということでもある。

 つまり、対象を斬ることでそこに内包された魔力を吸い取ることができる……はずだ。


 あとは狂四郎あいぼうに賭けるしかない。


 俺が回避した先で待ち受けていたかのように迫る火球。

 そこへ俺は真正面から迷わず突き進み、踏み込みと同時に唐竹に叩き斬る。


「愚かな……」


 黒衣の声が聞こえる。

 しかし、同時に火炎に凝縮された魔力が解放されると思ったところで狂四郎の刀身に吸い込まれていった。


「なんだと……?」


 チギ、チギギ――――。


 魔力を喰らうことができて満足そうではあるが、微妙に鍔鳴りの音が悪い。

 まるで俺に無茶をするなと言っているようだった。


「だが、無茶をせねばヤツは倒せない」


 狂四郎にそう告げて、俺は驚愕に反応が遅れていた不死者の間合いへと侵入する。


 上段からの袈裟懸けと見せかけつつも、両腕の関節をすべて使って軌道を変化。下段から強襲させるように振り抜いた刃が黒衣へと強襲。


「……無駄だ」


 しかし、刃は不可視の壁へ衝突し進撃を阻まれた。

 斬撃にこめられた衝撃によって魔力が一部分解され、青い光を虚空に散らしていく。


 こんな戦いの場には勿体ない美しさである。


 ギチギチギチギチ――――狂四郎が激しく鳴き、障壁を喰らい始める。


 だが、ここから追撃を入れるには勢いが足りないと判断し、俺は後退。


 名残惜しそうにする狂四郎の鍔鳴りに口元が歪む。よっぽどコイツの方がイカレている。


「――――なんとも冗談のような動きをする男だ。そちは獣か?」


「野蛮人と呼ぶのは結構だが、獣にまでなった覚えはない。これでもきちんと人間に育てられている」


 “死に狂い”のだがな――――とは内心で付け加える。


 “彼ら”ならどんな顔をするだろうか。

 この戦い、八洲にあっても天災級の魔物・魔人が復活でもしなければ味わえない規模のものだ。

 そんな戦いを俺が独占していることを知れば、“彼ら”はさぞや悔しがることだろう。


「そうか、人の身でよくぞそこまで練り上げた。 その素晴らしき覇気、今度こそ我が糧としてくれよう」


 愉快そうに笑う声を皮切りとして、不死者を包む黒衣が変形。

 九つの巨大な竜の奔流となって襲い掛かってくる。


「いけない! あの衣は生命を――――!」


 極大の悪寒。それと同時に女騎士の鋭い警告が耳に届く。


 そして間髪容れず、ギチギチ――――と狂四郎からも強い警告。


「悪いが、男にくれてやるほど安い命じゃないのでな!」


 触れれば生命を吸い取るという竜のあぎとが、上下左右から俺に向かって襲い掛かる。


 なんとも芸が細かい。

  

 素早く目だけを動かして、それぞれが描くであろう軌道を予測。

 足の運びだけで安全地帯を見つけ出し、そこに一瞬だけ身を置きながら刀を振るい、竜の首を斬り落として沈黙させていく。


 この自在の攻撃を前に、動きを止めることはできない。


 一見しただけでは勘違いしてしまいがちだが、黒衣コイツは生命体などではない。

 強いて言うなら、敵を追い続けるように設定された魔法がそれらしい動きをしているだけだ。

 これが黒衣本体の持つ不死者アンデッドとしての能力と組み合わさったことで、形を変えて対象を喰らい尽くすまで襲いかかってくる呪われた衣となっている。


 だが、生物のように振舞うことで、対峙した者は斬れば殺せると錯覚してしまうのだろう。


終焉チェックだ」


 不死者の言葉と同時に、足元に違和感。

 そして、急激にこちらへと目がけて伸びて来る殺気。


 それは完全なる死角からの奇襲だった。





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