第21話 不死の帝


「――――何者だ」


 黒衣の闇の中で、緑の鬼火が感情の発露を表すように小さく揺らめく。


 左腕が緩やかに円を描いたと思った次の瞬間には、そこに刺さっていたはずの短刀が不死者の手へと握られていた。


「……むっ?」


 不意に黒衣から発せられた声。それによって短刀を破壊しようとした手が固まる。


 いつの間にか枯れ木のような色から。そこから、“白い光の粒子”が流れ出ていた。


 他者から吸い込んだ“生命そのもの”のエネルギーが、傷口から血液の代わりに漏れ出ているのだ。


「この不死の身体イモータルに傷をつける武器だと……?」


 自身の傷口に視線を送る黒衣の不死者――――イルナシドの声色が、それまでの余裕を湛えていたものから、若干の驚きを含むものへと変化する。


「一度死んでいるわりには、ずいぶんと生きている者に対して熱烈な求愛をするのだな」


 よく通る言葉と共に、森の中から悠然と姿を現したのは異国の男だった。


 身長は一.八メルテンほど。

 すらりとした長身に、細く引き締まった体躯。茄皮紫色の着物に元青色の袴を穿いた異国の装束に身を包み、腰には緩く湾曲した細身の剣を大小二本差している。

 後頭部で無造作に束ねた漆黒の黒髪が、吹き寄せる風にたなびいており、それが武骨な印象を与える風貌にどこかこの場では異様にさえ見える風雅さを与えていた。

 目鼻立ちは細いが、力強い曲線を描く眉毛が真下に備わる黒檀エボニーの瞳の鋭さをより高めている。


 後方には同じ人種――――仲間なのか、消炭色の装束に身を包んだ女を従えていた。

 もちろん、忍の装束に関する細かい色の違いまではリーゼロッテにはわからず、黒ずくめとしか認識されてはない。


「……無礼な」


 リーゼロッテを“喰らう”ところを邪魔されたからか、はたまた自身を傷つけたからか。

 イルナシドは短い言葉を伴い、引き抜いてあった短刀を男目がけて無造作に投げ返す。


 その何気ない動作からは想像できないほどの高速で飛翔した短刀が、現れた男の頭部へと迫る。


「ほぅ……」


 感心したような声を上げるイルナシド。

 緑の鬼火が見据える先で、異国の男はイルナシドの放った短刀を、掲げた腕の人差し指と中指で挟み込んで受け止めていた。


「ご挨拶だな。……だが、


 にやりと不敵に笑って、短刀を仕舞う異国の男。


「永き眠りより放たれ、これより地上へと新たなる帝国を作らんとする我が“食事”の邪魔をするとは。まことに不敬である」


 イルナシドの声には邪魔をされた不快感がわずかに滲み出ていたが、それ以上に眼前の男に対する興味がその感情を上回っていた。


「それは失礼。だが、あいにくと人間を喰らう者の嗜好を理解できるほど、特殊且つ高尚な趣味は持ち合わせておらなんでな」


 静かに言い切るや否や、男が動く。


 大地を蹴るような踏み込みからの前進で一気に間合いを詰め、次いで流星のような斬撃がイルナシド目がけて襲い掛かる。


「先ほどのお返しだ」


 身体ごと叩き付けるような、それでいて流麗な太刀筋は黒衣の身体に深々と喰らいつく――――かに思えた。


 しかし、イルナシドはその刃から我が身を遠ざけるようにして後方へと大きく跳躍。


「攻撃を、避けた――――」


 間一髪で、自身の間近にまで迫っていた死神の抱擁から逃れられたリーゼロッテは、小さいながらも驚愕の言葉を漏らしていた。


 


「ご無事にございますか」 


 音もなく歩み寄ってきた影。

 男が連れていた黒装束の女に、リーゼロッテは優しく抱え起こされる。


 この状況下にあっても怯みを一切見せない素早い身のこなし。

 それらの動きから、すぐに彼女が只者ではないとリーゼロッテは理解するが、それでもあの黒衣の不死者の前には小さな存在に思えてしまった。


「ハンナはそこにいてくれ」


「承知いたしました、ジュウベエ様」


 男――――ジュウベエが、ハンナと呼ばれた女に短く指示を出し、受けた側は小さな一礼で返す。


 それから、静かにジュウベエはリーゼロッテの方を向く。

 周囲――――空気を変質させんばかりの鬼気を放つイルナシドを警戒しつつも、鷹のように鋭い黒瞳が正面からを彼女を見据えた。


「あなたは……?」


「ただの通りすがりだ。もう少し早く駆けつけられればよかったんだが……」


 みずから名乗ろうとはせず、後半部もリーゼロッテの耳にかすかに聞こえるような声だった。

 しかし、ジュウベエが放ったそれに、わずかではあったが悔恨の念が滲んでいたのをリーゼロッテの耳は聞き漏らさなかった。


 周りに散らばる鎧や剣。それを見ただけで、男は何があったかすべて理解したのだ。


 でも、いくら助けに来てくれたのだとしても……。


「き、危険だ……。すぐにここから逃げるんだ……! あのアンデッドは――――」


 震える声ながらも、なんとか貴族としての矜持を総動員させ、リーゼロッテはジュウベエに警告する。


「まぁ、俺の受けた仕事じゃあないが……。あの不死者アンデッド、別に俺が斬ってしまっても構わないのだろう?」


 しかし、ジュウベエはそれが聞こえなかったのか予想外の言葉を口にする。


「……え?」


 リーゼロッテの目が点になった瞬間だった。


「いや、俺があのアンデッドを討伐しても構わないのか、と訊いたんだが」


 自分の言葉が聞こえなかったと思ったのか、声を少し大きくして言い直すジュウベエ。


 いったい何を言っているのかとリーゼロッテは思った。

 これだけの精神が蝕まれるような圧力が渦巻く中、ジュウベエはリーゼロッテを連れて逃げるのではなくと言ってのけたのだ。


 リーゼロッテは、弾かれたようにジュウベエの目を見る。

 そして、その瞳に宿された溢れんばかりの意思の輝きを見て、決して冗談の類で言っているのではないとリーゼロッテは理解した。


「少し待っていろ。


 簡潔にそう告げると、ジュウベエはリーゼロッテに背中を向ける。

 その際、小さな金属の鳴る涼やかな音が聞こえた気がした。


 この人、いったい何者なの……。


 ハンナと呼ばれた女が口にした名前は聞いたものの、それだけでは異国人であることくらいしかわからない。

 いずれにしても、この時リーゼロッテはひどく混乱していた。

 それこそ、彼ら二人を数刻前にザイテンの街で見かけていたことすら思い出せないほどに。


「あの方なら大丈夫です。ジュウベエ様なら――――」


 そんなリーゼロッテを勇気づけるかのように語りかけてくるハンナ。

 実際のところは、ジュウベエという呼び名すら実は偽名なのだが、初めて会ったリーゼロッテがそれを知るはずもない。


 そして、視線を送る先にある背中は何も語らない。


 ……鋭い刃物のようだけれど温かなオーラ


 イルナシドが放つ不死の王としての圧倒的なまでの鬼気。

 それへと逆らうようにして、ゆっくりと広がっていくジュウベエの力強い覇気がリーゼロッテのもとへも届く。


 それによって、決壊寸前となっていたリーゼロッテの精神は、いつの間にか最悪の状態から抜け出していた。


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