第20話 彼岸より来たりて
「ふむ、この程度の威圧で動けなくなるか。しばらく眠っているうちに人の世はひどく退屈になったようだな。もう少し歯応えのある者はおらぬのか……」
自身に何らダメージらしきものを与えることのできない騎士たちを前にして、黒衣の声に落胆の色が滲む。
それは騎士たちにとっては彼らの矜持を侮辱されたにも等しい言葉であったが、リーゼロッテたちは完全に気圧されていて言い返すことすらできなかった。
――――なぜ? なぜ、こんな化物がこの辺境の山に?
同時に、彼らの思考はそれだけに支配されていた。
騎士として魔物の討伐に派遣されるからには、騎士団の誰もが腕には相当の自信を持っている。
事実、これまでに幾度も《火葬剣》リーゼロッテを筆頭に、数多くの脅威となる魔物を駆逐することで、このオウレリア大公国を“人ならざるものたち”の脅威から守り抜いてきた。
冒険者や傭兵などには負けぬ公国の“真の守護者”として。
だが、今回相手にしようとしている黒衣の不死者はなにもかもが違った。
死そのものが形となったような濃密な威圧感に、対峙する者たちの心中には深い絶望が生まれていた。
魔族とてここまでの鬼気を放つことはないだろうと。
「ふむ、思ったよりもまだ身体が動かぬな。まぁ、あと千人も喰らえば少しは調子も戻ろうぞ。……その前に――――お主らを喰らわせてもらおうか」
静かな宣告と共に、黒衣の気配が膨れ上がった気がした。
瞬間、リーゼロッテたちの肌が押し寄せた恐怖に激しく粟立つ。
「ここはお逃げください、リーゼロッテ様! あなた様をこのような場所で死なせるわけには参りません!」
騎士たちは、残された気力を振り絞りリーゼロッテを守るように前に出ると、同時に不退転の悲壮な覚悟を決めた。
騎士としての忠義――――我が身に代えてでも守らねばならぬ存在を思い出したのだ。
「しかし――――!」
「あなた様はこの国の次代を担うお方です! ここは我々が……!」
いかに勝ち目がなく騎士としての名誉を汚されようとも、彼らはその役目においてリーゼロッテを失うわけにはいかなかった。
もしそうなればこの大公国は終わる。
「ダメです、フォルクハルト! 相手が悪すぎる! ここは退きなさ――――」
リーゼロッテが止める間もなくフォルクハルトと呼ばれた年嵩の騎士を筆頭に全員が、一斉に剣を構え魔法を展開し黒衣目がけて突撃を開始。
「
黒衣の一部が翻り、生き物のように蠢く。
次の瞬間、伸びた黒衣は形を変え、九つの首の小さな竜となり向かってくる騎士たちへと迫っていった。
「こんなものがぁぁぁっ!!」
裂帛の気合を放ち、フォルクハルトは長年鍛え上げてきた剛剣を振るう。
薄い布状の形から竜となった黒衣は、流星のように放たれた剣によって容易く断ち切られ勢いを失って地面に落ちていく。
「怯むな、見かけ倒しだ! ただの蛇も同然! 一気に押し切れ!」
歴戦の騎士が示した戦果と鼓舞せんとする言葉を受け、騎士たちの表情にかすかながらも希望の意思が宿る。
そして、それぞれが自身へ迫る竜の首を研ぎ澄まされた技量によって仕留めていく。
剣による一撃や魔法の直撃を受けた竜の胴体が地面へ落下。
小さくのたうつと、そのまま動かなくなる。
「ふむ、いい気迫だ。しかし、見かけ倒しと断ずるにはあまりに早計であるぞ」
愉快そうな声色で震える黒衣の不死者。
そう告げた次の瞬間、斬りかかる寸前であった騎士たちの動きが止まっていた。
「ば、ばかな……。こ、んな……」
絞り出すような呻き声が漏れ出るが、すぐに言葉が出なくなる。
「み、皆……」
リーゼロッテの表情が固まる。
黒衣の不死者へ斬りかかろうとしたところで、騎士たちは全身を足元から突如として発生した漆黒の槍によって貫かれて絶命していた。
そして、そこから吸い出されていく
「遥かな
生命そのものを吸いつくされた騎士たちの身体が、人としての形を保てなくなり崩壊を始める。
身に着けていた鎧や剣だけが持ち主の消滅により地面へ落下。金属の音を響かせながらあたりへと散らばる。
“食事”を終えた黒い槍が元の九つの竜へと変化。そして主の下へと戻っていきながら身体を取り巻く黒衣と同化していく。
「さて、美しき騎士よ。我――――イルナシド・テラ・アルメナランの復活のため、その身を捧げるがいい」
一瞬で、黒衣の不死者がリーゼロッテのすぐ前へと移動していた。
イルナシド・テラ・アルメナラン。
それは、遥か古代にこの大陸で栄えた古帝国を興した初代皇帝の名前であった。
もしこのような状況でなければ、リーゼロッテはその名前を記憶の中から掘り起こすことができたかもしれない。
しかし、眼前に迫る不死者の指への恐怖で思考能力を奪われていた。
「なに、案ずるな。痛みを感じる間もない。すぐに済む」
身体はまるで動かないのに、恐怖のあまり震えが止まらない。
もはや、そこには《火葬剣》と讃えられた姫騎士の姿はなかった。
「や、やめ――――」
リーゼロッテの理性が恐怖に耐え切れず、凄まじい悲鳴を上げようとしたその瞬間、黒衣の不死者の腕に短刀が突き立っていた。
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