第19話 《火葬剣》の女騎士


 完全に嵌められた……!


 鎧に身を包んだ女騎士ことリーゼロッテ・レヴィア・オウレリアスは、額から膨大な汗を流しながら唇を強く噛んだ。

 

 リーゼロッテは、ザイテンが属しているオウレリア大公国の国主にして大公エーベルハルトの娘である。

 齢は十七となるが婚約を交わしてはおらず、この世界の貴族女性としてはいささか年齢が高いいきおくれの部類に入る。


 しかし、それも無理のない話であった。


 リーゼロッテは大公の娘であり、その身分の格に相応しい人間ともなればこの世界でも限られた人間しか存在しない。

 また、それに加えて彼女が有能であることも、婚姻の遅れに拍車をかけていた。

 

 父親である大公の政務を補佐してみればあっという間に一定の成果を上げ、剣を握ればごく短い期間で才能を発揮して公国騎士団の中でもトップクラスの実力を身につけた。

 その挙句、不死者アンデッドに対して極めて高い効果を持ち、並みの魔物でも焼き尽くすことのできる《火葬剣》という固有能力まで発現させた数百年に一度の才媛である。


 いつしか《大公国の守護姫》と呼ばれ、それが彼女の立場をより一層難しくしていた。


 しかし、今リーゼロッテにそれについて思案する余裕は一切ない。


 なぜなら、彼女は人生において最大の危機に見舞われていたからだ。





 はるか向こうには雪を残した山々のいただきが見え、季節の移ろいを感じさせる。

 そして、その手前に位置する山の中腹には小高い丘が存在していた。


 山の中にあるにもかかわらず、その場所は見る者を困惑させる不思議な空間となっている。

 この場所だけがまるで何者かに切り取られたかのように、平原を思わせる高低差のない土地になっていたからだ。


 “平原”の中心には地下へと通じる祠らしきものがぽつんと存在しており、その祠の前に地下より現れた


 ローブのように見える漆黒の衣を纏った人型の存在。

 これがくだんのアンデッドなのだろう。


 陽光の下、吹き付ける爽やかな風がこの特異な草原を撫でていく。


 だが、騎士たちには、それがまるで別の世界で起きている出来事のように感じられた。


 風に静かになびく黒衣。

 その内部に肉体が存在するかもわからない虚無の暗闇が、目深にかけられたフードから覗いている。


 ただそこに立っているだけにもかかわらず、対峙している騎士たちの身体から汗が流れ出てくる。

 ただのひと目でコレが“存在してはいけないもの”であると相対している騎士たちは確信した。


 コイツは世に解き放ってはいけないモノだと――――。


「ぬおぉぉぉっ!」


 己の内に生じた恐怖の感情を払拭するように、鎧を纏った年嵩としかさの騎士が叫んで斬りかかるが、アンデッドに向けた斬撃はまるで効果を為さなかった。

 それどころか、身体を覆う黒衣にさえ傷をつけることもできずに終わる。


 幽体だけのレイスとは異なり実体は存在しているはずなのに、剣は木の枝に引っかかった衣を撫でたような感触しか伝えてこなかったのだ。


「ばかな!?」


 驚愕の呻きを上げながら、壮年の騎士が剣を構えたまま後退してきた。


 あきらかにおかしい。

 剣で斬りつけたにもかかわらず、

 

「……ふむ、不死者アンデッドだからといって、素直に剣を受けるものとでも思ったか?」


 奈落の底から這い上がってきたような声があたりに響き渡った。

 たったそれだけのことで、この場にいた人間は恐慌状態に陥ってしまいそうになる。


 明らかに異常であった。


「……おっと、すまぬな。。これでは久方ぶりの会話すらも楽しむことができぬ」


 笑い声さえもが聞く者の精神に作用するようで、気を強く張っていなければ剣を取り落としてしまいそうになる。


「くっ! 滅びよ、天に逆らう不死の者! “浄化の炎よ”――――」


 得体の知れない恐怖へと呑み込まれそうになる騎士たちを鼓舞するかのように、鋭い叫び声を上げてリーゼロッテが前進。


 すでに抜き払っていた剣――――柄の装飾が美しいミスリル銀で作られた《破邪剣オルト・クレル》を構え、透き通るような輝きを放つ刀身に桔梗色ベルフラワーの炎を纏わせた斬撃を叩き込む。


 世の理に逆らってまで生き永らえんとする邪悪な存在。それを浄化する聖なる炎が、黒衣の不死者を焼き尽くさんと迫る。


 不意に黒衣が大きく揺らめいた気がした。


 風となって叩き付けられたオルト・クレルの刀身が空中で静止。魔力の散乱する深い蒼の輝きが空気中に舞う。


「そんな!? 不死者がコレを障壁で受け止めるだと!?」

 

 リーゼロッテの唇から驚愕の声が漏れる。


 それと同時に極大の悪寒を感じて即座に追撃を断念。後方へと撤退する。


 直後、それまでリーゼロッテのいた空間を黒衣が薙いでいた。

 なぜかはわからないが、大量の冷や汗が背中から噴き出す。


「ふむ、剣士だけかと思えば手妻使いが混じっておるか……」


 黒衣がわずかに震える。笑ったのだ。


 新たな風が吹いた。

 先ほどまでの爽やかな風ではない。禍々しくも粘つくような闇の風だ。


「これなら少しは楽しめそうだ」


 黒衣の不死者がその身に宿す魔力が圧倒的な存在感となって彼らを圧倒していた。


 正体不明の存在に対する恐怖で逃げ出したくなる。


 だが、それはここにいる全員が騎士としての宣誓を行っている以上、矜持プライドが許さなかった。

 そして、早くもそれだけが最後の砦になりつつある。


 いつしか、黒衣の向こう側に隠された暗闇の中に、緑の燐火がふたつ揺らめきながら浮かび上がっていた。


 あれは目だ――――。


 吸い込まれるような緑の炎を見た騎士たちは直感する。


 とんでもない化物と出会ってしまったのだと。


「う、うおおおおおっ!!」


 底知れぬ恐怖に押され一人の騎士が全力で突進する。


「待て! 勝手に動くな!」


 投げかけられる制止を無視して若い騎士は剣を抱えるようにして刺突を放った。

 斬って躱されたのなら接近して剣を叩き込むだけだとばかりに、彼が人生で最高の出来だと感じたほどの一撃を繰り出す。


 黒衣の不死者は剣の刺突を真正面から受けた。


 若き騎士の顔に確信の笑みが浮かぶ。


 しかし、それはすぐに硬直することとなる。


「聖水をかけた渾身の一撃か……。戦士としては悪くない。だが、無意味だ」


 黒衣が静かにつぶやく。


 剣は不死者の肉体に深く突き刺さっている。

 誰がどう見てもたしかに刺さっている。


 だが、剣が何かに潜り込んでいる感触こそ存在するものの、それが致命傷はおろか有効な打撃を与えた感触がまるでなかったのだ。

 すぐに引き抜いて斬撃を叩きこもうと若い騎士は力をこめる。


 しかし――――


「なっ、抜けな――――」


「突きとはこうするものだ」


 繰り出された貫手が騎士の鎧を貫通して背中から抜けていた。


「がっ……」


 一撃で心臓を破壊されており、腕に身体を貫かれた状態でその若い騎士は口から血を吐き絶命していた。


「なんと脆い。いや、


 死体に突き刺さったままの腕。

 その向こう側で放たれた怖気の走る声に郷愁の響きが宿る。


 だが、黒衣の不死者以外、それを感じるだけの余裕のある者は誰もいなかった。


 今や誰一人として動けない。

 悪夢を見させられているような気分だった。


 黒衣の中から土気色の肌を持つ枯れ木のような腕が、はじめてその存在に実体があることを知らしめていた。

 そして、騎士の身体から抜けた腕の表面が脈打っている。

 肌を通して血を吸っているのだ。


「貴様、吸血鬼ヴァンパイアか……!」


と一緒にされては困る」


 ずるりと引き抜かれる腕。

 血を吸い取られた騎士の身体が地面に落下し灰になって消えていく。


「ち、血と一緒に魔力と精気まで……!」


 生命体が肉体を構成しているとされるものすべてを吸い取ったのだ。

 あとには抜け殻さえも残らない。


 吸血でも吸精でもなく、“吸生ライフドレイン”とでも呼ぶべきおぞましい行為。

 だが、それほどの能力を持つアンデッドをリーゼロッテたちは知らなかった。


「そうか、はじめてか? このようなことは」


 黒衣が静かに問う。

 まるで会話そのものを楽しむかのように、声に含まれていた魔力を極限まで薄めているのがわかった。


 遅まきながら、ここでリーゼロッテたちは理解する。


 自分たちは、この怪物の“暇つぶしの道具”にされているのだと――――。



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