第13話 あやうくヒモになるところでした


 さて、ずいぶんと後回しになったが、なぜ本日ようやっと三級に昇格した俺に家と呼ぶ場所があるのか。


 先ほど、三級に昇格することでようやく冒険者でも家が借りられるといったが、それは紛れもない事実である。


 であるならば、その理由は――――


「今帰り申した」


「おかえりなさいませ」


 街のはずれにある大きくも小さくもないこれといって目立たない家。

 そこに辿り着いた俺を家人が軽い一礼と共に出迎える。


「……おや、三級に昇格されたのですか。雪叢様」


 姿勢を戻す際に揺れた金色の髪の毛は、細絹から作られているかのように滑らかな艶のある直線を描き、その下にある柔和な貌はすっきりとした目鼻立ちによってどこか気品を感じさせる。

 双眸にはまるエメラルドの瞳がこちらを見て微笑んでいた。


「……ああ、本日をもってな。これもイレーヌのおかげだ」


 俺は口調を故郷ヤシマ時代のものにして喋っている。


 俺の目の前にいる人物の名は、イレーヌ・香駕カガ・バルディエール。

 彼女はこの街に住む商業ギルドの職員にして、


 もっとも、厳密に言えば現在の八洲を統べる夜刀神家ではなく、先の幕府である上條家に仕えていた忍の一族なのだが。


 八洲は島国といえどけっして国を閉ざしているわけではなく、大陸の情報は遥かな昔から集めようとしていた。

 そのため、移住という形をとりながらも幾つかの忍の家系が数代をかけて大陸へと渡り、役目を果たすべくその土地に暮らし、代を重ねながら溶け込んでいったのだ。

 尚、元を辿ると甲駕コウガという里の有力な家の出身であり、ハンナの出身である伊駕イガとは歴史的に仲が悪い。


「いえ、雪叢様ほどの実力があれば至極当然のことでございましょう」


 ふわりと微笑みを見せるイレーヌ。

 まるで猫科の生き物を思わせる掴みようのない部分を垣間見た気がした。


「世辞は要らんよ。今の俺は一介の冒険者に過ぎぬ。こうして城さえ持たぬ身なればな」


 帯から刀を外して、俺は小さく肩を竦めてみせる。


 こういうと穀潰しのように聞こえそうだが、俺は今現在このイレーヌの家の離れで世話になっている。


 特段いえを持つことにこだわりがあったわけではないのだが、やはり女人にょにんの世話になっているというのは男として少し心苦しさがある。


「そのようなことを……。御身はいまだご健在ではありませんか。わたしにはお住まいを提供するくらいしかできることが……。本来なら母屋をお使いいただくべきところなのに……」


「よしてくれ。そんなことまでされたら俺は街を歩けなくなるぞ……」


 こう気遣われると、どうにも座りの悪さを感じてしまう。


 そう、ザイテンの街に流れ着いた一年前。

 たまたまこの家の前を通りかかった時、玄関にひっそりと掲げられていた上條家じっかの家紋を見て、もしや八洲――――しかも上條家の縁者かと思って扉を叩いたところ、中からイレーヌが出てきたというわけだ。


 当人も上條家が天下原あまがはらの戦いに敗れたことで、十四代続いた幕府の歴史に幕を下ろしたことは知っていたが、代々受けてきた恩は数知れぬとのことからこちらへ住まいを提供してくれようと申し出てきた。


 正直に言って、直前にハンナがついてくるのを受け入れた手前すさまじく気まずかった。


 だが、下手に大陸で担ぎ上げられて八洲に舞い戻って上條家を再興しろと言われるわけでもなく、「ただただ受けたご恩を……」と力説されたことで、もっとも強固に反対するかと思われたハンナも現地協力者を確保できると合理的に考えたらしく納得。


 最終的には「主君はもっとどっしりと構えていてください。女のひとりやふたり八洲でさんざん転がしてきたでしょう? むしろ貴族の娘を落とすくらいでないと困ります」と、本来反対するはずのハンナまでもがイレーヌ側に加わり、ついには俺の女人遍歴まで掘り返されかけるというよくわからない包囲網が形成されたことで俺は折れた。

 ……主に心が。


 もしかして虎穴に飛び込んでしまったんじゃなかろうかと思いつつ、俺はイレーヌの世話になることにしたのだった。

 

「……さて、イレーヌ。いつものことだが、このやり取りはいつまで続けてればいいんだ?」


「あら、雪叢様もノリが悪うございますね。たまにはわたしも遠い故郷やしまの口調でやり取りをしたくなるというのに」


 口調を普段のものに戻した俺にイレーヌはけろりとした表情で答える。


 どうも彼女はこのやり取りを楽しんでいたようだ。

 まぁ、たしかにこの街では八洲を思わせる会話をすることもないだろうからな。

 というか、イレーヌは八洲に出向いたことなどないはずだが……。


「俺はべつに思い出したいものでもないんだが……。そんなにやりたければ、ハンナと好きなだけやってくれないか」


 お前らケンカするほど仲がいいだろと内心で続ける。


「まぁ、わたしと喋っているのに他の女のことを……」


 これにどう返せというのだ。絶対にからかわれているぞ、これ。


 相手の思うとおりにするのもしゃくだと、ここらで話題を変えておくことを選択。


「あとな? 俺のことは重兵衛ジュウベエと呼んでくれと以前から言ってるだろ?」


「あら、これは失礼をいたしました。しかし、隠しきれぬ所作振舞いがそうさせてしまうのですよ、様」


 にこりと微笑むイレーヌの真意はわからない。


 とはいえ、うっかり余所で呼ばれないよう、イレーヌには口を酸っぱくして命じておく。

 “ユキムラ・クジョウ”という名前が意味するところをこの街に住む人間が知るとは思えないが、それでも用心するに越したことはない。


 しかし、そんなに出ているのだろうか? かなり意識して崩しているつもりではいるのだが……。


「そうは言うが、今の俺は素浪人と変わらないはずなんだがなぁ……」


「生まれを容易に隠すことができるのであれば、先の関白殿もああまでしてご威光を求めようとはされなかったでしょう。もっとも、それも見る者が見ればの話です。ですが、これからも冒険者として昇格を狙うのであれば、ゆめゆめお気を付けくださいませ」


 控えめではあるが注意するようにと警告されてしまった。


 なるほど、元は農民の出であった関白殿が最期まで官位にこだわり続けたように、元より位を持った者が諸々を捨てて在野に下ったとしても、それを隠し続けることは難しいと言いたいのだろう。


「……まぁ、善処はするよ。それよりもまずはメシにしよう。ひと仕事してきたら腹が減ってかなわない」


 どうせあとで食いしん坊どもがうるさくなるからな。


「……はい!」


 それまでの表情から一転して笑顔で答えるイレーヌの姿に、俺も自然と相好を崩していた。

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