第9話 あれ? もしかしてついてくんの?


「……まぁ、仮にもしあったとしても、この大陸での国盗りを成功させるなどしてからだろうな。さすがに、俺も今になって信秀の心労を増やすつもりはない」


 小さく笑いながら答える。


 天下原あまがはらまみえた時は首を取ってやる気満々だったが、戦が終われば信秀ともただの従兄弟同士の関係だ。

 少なからず血を分けた人間を相手に殊更敵対する必要もない。


「そ、それでも、国盗りは否定されないのですね……」


 俺の遠慮しない物言いに伴蔵の顔が微妙に引きつっている。


 どうやら冗談とは受け取ってくれなかったようだ。

 まぁ、たしかにまるっきりの冗談として言ったつもりもない。


「経る道が王道であれ覇道であれ、国を手中に収めるというのはおのこたる者、えも言われぬ滾りを覚えるものだろう。無論、その過程で起きる生死をかけた戦いに勝るものではないが」


 そう嘯きながら、俺は追加で運ばれてきた新たな酒に口をつける。

 微妙に伴蔵の眉の皺が深くなった気がした。


「それに、下手に心底を隠しているようでは、わざわざこんなところまでついて来たおぬしも納得してはくれまい?」


 酒杯を軽く掲げながら、俺が何気なく口にした言葉。

 それが放たれた瞬間、店の中の温度が瞬間的に低下した気がした。


「……あれ? 飲み過ぎたかなァ? なんだかよ、急に寒気が……」


「あー、俺もだ……。なんか変だなぁ。まぁ、今日はおとなしく帰るか……。カァちゃんに叱られたくもねぇし……」


 周りを目だけ動かして見ると、よくわからない様子ながらも、それまで飲んでいた酔っ払いたちは怪訝な顔をして席を立っていく。

 突如発生した鬼気が、酒場の中に居心地の悪さとなって現れているせいだ。


 尚、その圧力のようなモノのど真ん中にいる俺は、関係ない顔で酒杯を乾かしていく。

 ただ、せっかく酒を飲んでいるのに気分はよくない。


「……あのな、堅気カタギの衆に迷惑かけるなって教わらなかったのか?」


 三杯目の酒を飲み干しながら、俺は不機嫌な声色を隠さず溜め息を吐き出す。

 はっきり言って、こちらの言葉にいちいち反応し過ぎなのだ。


「気付いておいででしたか……」


 しかし、伴蔵は俺の言葉には答えない。


「当たり前だ。酒場に来たならな、素直に酒を飲め。生真面目に過ぎるからバレるんだぞ」


 追加の酒を注文をしながら、俺は向けて言葉を発する。


 また少しだけ温度が低下した。


 そう、先ほどからこの席の両隣には客が座っていたにもかかわらず、その会話がまるで聞こえてこなかったのだ。

 こういった騒がしい酒場に来ておいて、席の会話が盛り上がっていないというのはおかしい。

 それが自分の両隣ともなればあまりにも異様だ。


 忍たるもの、宿場の飲み屋で情報を仕入れることとて多々あるはずだ。

 彼らとて八洲最高を甲駕コウガと争う伊駕イガの忍である。

 おそらく普段ならそのようにはならないのではないだろうか。


 それが、今回ボロが出てしまったのは、それほどまで俺が警戒されていたからだと思っていいのだろうか?


「それとも、そうまで過敏に反応するのは、俺を始末しに来たからか?」


 あくまでも挑むように、俺は笑って見せる。


 


 俺は周りに何か変な動きがあれば、すぐにでも狂四郎と定宗を抜けるようにはしていた。

 もちろん、コイツらのように辺り構わず殺気を振り撒くような無粋な真似はしていない。


 だが、もしとなれば、鞘走りの一閃で伴蔵の殺害を狙い、仕留められればいいが回避されればそのまま前進――――と見せかけてからの後退で背後の忍を仕留め、前方に集中できるように動く。

 おそらく、そこまでは瞬きの間で足りるだろう。

 あくまでも今は脳内の想定でしかないが、実際にそうなれば、はたしてどのような差を見せてくれるのか。


 そんな愉快なことを考えていると、こちらの思考が伝わったのか、伴蔵の顔が蝋燭の明かりを受けてもわかるほどに蒼白なものとなっていた。


「滅相もございませぬ。いえ、重ね重ねのご無礼をお詫び申し上げます……」


 敵対の意思はないと告げるかのように伴蔵は小さく一礼。

 それから軽く手を掲げると、店の中にあった妙な雰囲気が瞬時に霧散した。


 文字通り、姿からして消え――――いなくなったのだ。


 おいおい、まさか食い逃げじゃないだろうな?


「あれ? お客さん、ちょっとお金……いや、お代は置いてくれ……って、えぇっ!? おやっさん!」


「なんだなんだ……。ちょっ、おまっ、えぇっ!? なんなんだこの金貨はっ!?」


 両隣の席の気配が消えたと思ったら、俺の懸念を払拭するかのように給仕の娘と店主がなにやら叫んでいた。

 どうやら、注文していた分にしては破格の飲み代を、どちらもちゃんと置いて行ったらしい。


「迷惑料か。まぁ、いいんじゃないか? ……それで? 今後、俺を監視する任は誰かに引き継がせるのか?」


 理解を超えた事態に困り果てている店の人間を後目に、俺は小さく口元に笑みを浮かべながら伴蔵へと問いかける。

 「魔王討伐が終わりました。だから、監視はもうしません」となってくれると思うほど俺は楽観的ではない。


 この街に腰を据えることは先ほど伝えてはいた。

 すくなくとも、これで魔王討伐に向かった時のように、頭領たる伴蔵自身が俺を監視する必要もなくなってくるはずだ。


「いえ、雪叢様の監視役は引き続き、


「…………なんだって?」


 思わず素の言葉が出てしまい、酒の杯を持つ手が止まる。


 どういうことかと問いかけるべく視線を向ければ、いつの間にか伴蔵の顔が先ほどまでとは異なるものに変わっていた。


「我が身に与えられた任は、“雪叢様の監視”にございます。その期限は定められておりませぬ」


「いや、だからって、お前自身がやることでは……」


「それにですね……。やはり女人の身ではやはり頭領の役目にも色々と支障が出ておりまして……。実はすでに八洲では四代目伴蔵が……」


 俺がさらに問いかけようとすると、急に伴蔵がそれまでの毅然とした態度から一転してどうにも歯切れの悪い具合――――途中で言葉を止めて顔を俯かせてしまう。

 それまで無表情・無感動であった伴蔵の言葉に、初めて明確な感情を感じさせるものが含まれた瞬間だった。


 そして、俺は俺で伴蔵の言っていることをようやく理解する。


「お前、それは……」


 なぜ頭領が未だに動いているのかと怪訝に思ったが


 若い三代目がいるというのに新たな四代目が存在しているなど、どう考えても真っ当な世代間の交代であるはずがない。

 この大陸に送り込まれた時点で、伴蔵にはもう戻る場所なんてなかったのだ。


 つまり、コイツもある意味では忍を“クビ”になったということか……。


 さすがに脳内を駆け巡ったことが多すぎて、俺は言葉を返すのにもしばしの時間を必要とした。

 考えあぐねるとはまさにこのことだろう。


「あー……。それなら、俺もこう言うか……」


 最終的に俺の口から出たのは小さな溜め息。伴蔵の瞳がこちらの一挙手一投足を注視してくる。


「“好きにしろ、自由だ”」


 それは諦念というか、もはややけくそ気味の言葉だった。


「えっ……」


 まさか受け入れられるとは思っていなかったのだろう。

 伴蔵がはじかれたように顔を上げる。


「よろしいのですか!?」


 若干身を乗り出してくる伴蔵。

 ふたたび香の匂いがかすかに漂ってくる。……ちょっと距離が近い。


「良いも悪いもないんだろう? まぁ、正直な話、


 当人は断られると思っていたのだろうが、どうせ食い下がってくるに違いないのだ。

 この時点で、俺にはもう伴蔵を止める気力は残っていなかった。


 あるいは。

 勇者一行と別れたあとは物騒な刀とさみしく旅をしていただけで、さすがに俺もこのままひとりでは居続けたくなかったのかもしれない。


 やはり、どこかを追い出された人間というだけで甘くなってしまう。


「しかしなぁ……。まさか伴蔵になっているなんて思ってもみなかったぞ」


 今だから言うが、俺と三代目伴蔵の間には実は面識があった。


 先ほどまでは彼女の部下たちがいたため、ともすれば立場を悪くさせかねない余計な発言を避けようとしていたこともあって、対応も余所行きのものにしていたわけだ。


 もちろん、戦いになるとしたら迷わず鯉口は切っていたであろうが。


「拙者――――いえ、わたしも、まさか雪叢様がこのようなことになられるとは……」


 俺のそんな内心など知らない伴蔵の言葉には愁いを帯びた響きが混じっていた。


 現在、八洲を治める夜刀神家。

 そこに仕えている八取一族だが、元々は現在の都ではなく古都と呼ばれし地域の近くを活動の拠点としていた忍一族のひとつでもある。


 そして、俺の実家はその古都にあり、そういった地理的な関係から夜刀神家専属となる前に仕事を依頼したり、修行の一環で里を訪れることも度々あった。

 その際に、俺と伴蔵は出会っていたのだ。


 しかし、考えてみれば人と人の巡り合わせとは不思議なものだ。

 あの時、見習いにしか過ぎなかった忍の少女がこうして今一人前となり、またひとりの女となって俺の前に立っている。


「この世に存在するものすべては諸行無常と相場が決まっている。だが、栄し者が衰えたとしても、ふたたび隆盛しないとは限らない。そんなつもりで生きていれば、また何かしらの機会もあるだろううよ」


 酒杯を傾け俺は笑って見せる。


 今の境遇に後悔を抱いてはいなかった。

 元々、俺は八洲の覇者となるべく戦っていたわけではない。

 あくまでも実家にして兄が当主となった上條家への義理で動いていただけだ。


 まぁ、新しい世界で割と存分に戦えたりもしたしな。


「はい、こうして御身に仕える機会がやって来ただけでもわたしは……」


 …………ん? いやいやいや。ちょっと待て。

 さっきまで俺の監視って言ってたじゃないか。いつの間にか家臣になられてるのだけれど?


 だが――――この盛大に尻尾を振っている子犬のような伴蔵を見ていると、そんな無粋な指摘をするなんてできなかった。


「……言っておくが、ついて来ても給金は出せるかわからんし、楽しいかどうかも知らないぞ」


「はいっ! 構いません!」


 俺の前向きとは言えない言葉を受けても、伴蔵はなぜか満面の笑みを浮かべて返事を寄こしてくる。

 しかし、不思議なことにその笑みを見ていると、なぜかは知らないが俺の気持ちも安らいでくるのだった。


「そうなればもう伴蔵と呼ぶわけにもいかなくなるか……。うーん、そうだな……。いっそ大陸風に“ハンナ”と名乗ったらどうだ?」


 俺の言葉にきょとんとした表情を作る伴蔵。


「ハンナ……。素敵な名前です……!」


 たった今、これから生まれ変わる“新しい自分”を意味する名前。

 それを噛み締めるように伴蔵――――ハンナは本当に小さいが、かつて見た彼女らしい穏やかな笑みを浮かべて目を瞑る。


「それとな、俺のことはジュウベエと呼んでくれ。さすがに当分を名乗る気はないんでな」


「はい――――幾久しくよろしくお願いいたします、ジュウベエ様」


 俺の言葉を受けたハンナは、ふわりとした笑みを浮かべたまま深く一礼をして口を開いた。

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