第5話 誕生、魔王ユキムラ


 手にした《魔剣》を通して流れ込んでくる魔王としての記憶や人類への果てしない憎悪。

 加えて、この極北の地に、はるかな古の時代に神々よって封じられた邪神を崇拝する妄執じみた念。


 それらが俺の脳内で無理矢理追体験のように超高速で映し出されていく。

 その影響で、脳に負荷がかかり神経が焼きつきそうになり、一気に気分が悪くなってくる。


「ぐっ……!」


 ついには平衡感覚まで失い、立っていられなくなり床に膝をついてしまう。

 だが、依然として右手の《魔剣》は俺の手に吸い付いたように離れない。


 それどころか、《魔剣》を発生源として、俺の身体の表面に黒い何かが血管のように広がっていく。


 それに続いて意識に靄もやがかかっていくような感覚。危機感を覚えるがどうしようもない。


「なん、だ、これは……」


(ははは、侮ったな! 残留思念とはいえこの《魔剣》には歴代魔王の意識が蓄積されているのだ……!)


 クソ、さすがに迂闊だった。まさか《魔剣》がだったとは……!

 首の代用品を探すことに気を取られ過ぎた……。こんな時に侍の習性が仇となったか……!


(薄汚い人間ごときがとも思ったが、ザイナードの肉体を滅ぼすほどの力を持つのならばこの際文句は言うまい)


 コイツ、まさか……!


(そうだ。これで貴様が次の魔王となって、その手で人類を滅ぼすのだ……! それを意識の底で何もできず眺めているがいい……!)


 おぞましい“ナニか”が、俺の意識を侵蝕しようとしているのがはっきりとわかる。

 これにやられてしまえば、きっと俺の意識はきっと魔王に乗っ取られてしまうのだろう。


 ――――冗談ではない。この身体、得体の知れない残留思念ごときに易々とくれてやるわけにはいかない。


 身体を乗っ取られること。それは俺が今まで生きて戦ってきたすべての否定になる。


 そんなものを受け入れられるか! 俺はこれから好き勝手させてもらうんだよ!


 それに、もしも世界を敵に回して戦うというのなら、

 他人ごときに


「ぐうぅぅぅぅ……!」


 獣が呻くような声が自分の口から漏れ出ているが、それを止めることはできない。

 下手にそれを止めようものなら、そのまま押し切れらてしまうように感じられた。


 無理やり身体に気を巡らせ、意思の炎を瞬間的に燃やして反撃を試みようとした瞬間、どこかでチリンという音が聞こえた気がした。


「……?」


 その途端、鉛のように重くなりつつあった身体の左手だけが自分の意思で動くようになる。


 そして、同時に左の腰あたりに温かな感覚が生まれていた。

 まるでそこにあるモノが、自身の存在を懸命に訴えかけるかのように。


「魔王のくせに女々しいぞ……。おとなしく、斬られたら死んでおけ……」


 これを最大の好機として、すぐに俺は腰に佩いた《傀伝斬おおでんた》に無事な方の左手を伸ばす。

 柄に触れると、まるで待ち構えていたかのように温かな感覚が急速に指先へと広がってくる。


(な、なんだ! なんだこの不快な気オーラは……!)


 左手の指先から始まった温かな感覚は、次第に勢いを増して俺の身体を激しくも優しい速さで駆け上ってくる。


(なぜこのようなモノを貴様が……!)


 頭の中に蠢く“魔王という概念”の思念が大きく狼狽えたのがわかった。


 俺の左手を通して急速に広がっていく神々しくも清浄たる気オーラ。

 それが俺の意識の中に流れ込み、ついには光の太刀となって俺の手に握られる。


 同時に、意識の中にもかかわらず明瞭に意識できる敵の姿。


(バ、バカな……。や、やめろ! このままでは歴代魔王の思念までもが消えて……!)


 踏み込みと共に放たれた斬撃は、侵入者たる魔王の残留思念を斬り裂く。


 そして、そのまま有無も言わさずバラバラに消し去っていく。

 魔王のものとは思えないような悲鳴が聞こえ、そのまま聞こえなくなった。


「やかましい……! 首取られたのなら素直に死せい……! 未練がましい真似をするな……!」


 人の脳内で好き勝手してくれていた異物に向かって、吐き捨てるように俺は告げる。


(そんな――――)


 そして、そんな俺の言葉をトドメとしたかのように、俺の中に入り込んでいた魔王の思念と思われる意識ものは完全に消滅してそれっきり感じられなくなった。


 直接この手で斬ってやれなかったのが残念だが……。


「終わったか……」


 一山越えた安堵感から地面に倒れ込んだ俺の口から大きな溜め息が出る。

 自分の身体にいつもの感覚がもどっていた。


 後には魔王から受け継いだ記憶の断片と浄化された魔力が身体に残っており、右手に握っていた《魔剣》の禍々しいオーラさえも完全に消えてなくなっている。


 ……これってもしかして、前よりも身体が強化されちまったのか?


 そして、妙に身体の中に力が漲っている。

 いや、それどころか魔王城に斬り込んでから蓄積されていた疲労感までもがすっかり消滅していた。

 これには、俺も首をかしげるしかない。


「まぁ、いずれにしても運が良かった。《傀伝斬コイツ》がいてくれなかったら、さすがに危なかったな……」


 俺は左手で《傀伝斬》の柄を軽く撫でる。

 指が触れるといつもとは違ってほのかな温かさを感じたような気がした。


 やはり、俺のことを守ってくれたらしい。直系ではなくとも主と認めてくれたのだろうか。


「しかし……。まだまだ未熟だな、俺も……」


 結果的には、魔王を倒すどころか“消滅”までさせることができた。


 だが、それは身体能力を極限まで引き出して、さらに《傀伝斬》が持つ神殺しの力で相手の“魔の防御結界”を斬り裂くことができたからに過ぎない。

 それに加えて侵蝕する残留思念という、万が一魔王が討たれた場合に備えた罠さえも仕掛けられていた。


 あそこでいつものきょうしろうを使っていればどうなっていたことか……。


 おそらく、ザイナードを相手に傷を負わせられないまま、魔王城で襲ってくる敵をことごとく斬り捨ててきたことによる体力切れで返り討ちに遭っていた可能性が高い。

 また、仮に魔王を倒せたとしても、《魔剣》の罠を受けて俺が無事で済んだかは……。


 口に出すと出番を奪われた狂四郎がうるさそうなので内心だけに留めておくが。


 ……いや、待てよ。あの時、脳裏に鳴り響いた音は……。


「……まぁ、いいか」


 なんにしても派手に動き回ったら腹が減ったし、どっと疲れた。


「とりあえず、これで故郷への最低限の義理は果たしたわけだし、帰るとするか」


 浄化してただの剣になった《魔剣》を空間収納の魔道具へと放り込む。


 そして、帰るとは言ったものの、今の俺に帰るべき場所はない。

 いずれにしても、この後の身の振り方も含めた細かいことは後で考えよう。


「さてさて、どこへ行こうか、根無し草……」


 そうして、討ち取られたり逃げ出したりでを俺は後にした。



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