第4話 もう魔王戦


 剣と剣がぶつかる甲高い金属音。耳朶を打つそれが、静謐な雰囲気を漂わせた部屋の中に響き渡る。


 凍えるような空気の中で、飛び散る火花が静かな殺意の輝きとなって虚空に浮かんでは儚く消えていく。


「人間の分際にもかかわらず、単身でここまで来たことは褒めてやろう!」


 対峙する者に恐怖を植え付けようとするかのごとく、腹を震わせる声を嬉々として叫びながら大剣を振るう“魔王”ザイナード。

 俺よりも頭ふたつ分高い位置から不敵――――というよりも、自分こそ無敵だと思っていそうな声が降ってくる。


「そうか、ありがとうよ」


 青みがかった肌に筋肉を極限まで凝縮したような強靭な肉体。容貌を形容しようにも異様に過ぎる。

 森の種族エルフのように尖がった耳に、頬に至るまで裂けた唇の向こう側には鮫のような牙が並び、人間の物というよりは爬虫類に近い瞳がこちらを睨みつけている。

 視線に魔力を有しているのか、身体への魔法的な干渉を先ほどから感じている。


 この化物の親玉と、膂力だけで真っ向から対抗するのはあまりにも危険だ。

 適切な間合いを取るべく俺は一時後退。


「逃がすかぁっ!」


 すると、休ませはしないとばかりに、一撃で人間の身体など消滅させられる闇の極大魔法が収束して放たれる。

 高位火竜の熱線並みの密度だ。


 それにしても一撃目の魔法から頭部を狙ってくるあたり、こちらを殺す気満々であることを如実に物語っている。


「たかが、人間ひとりに大袈裟なことを……!」


 だが、それを俺は首の傾きだけで回避。続く本命を横に跳んで躱す。


 見え見えの陽動だ。


 もっと危うげなく回避する方法がないわけではないが、ここで下手に大きな動きを見せれば次の一撃が俺を殺す。


 さすがに相手が相手だけに、ギリギリの攻防になっていた。

 そんな状況にもかかわらず、知らずのうちに昂揚感が俺の身体の内から湧いてきて口元が笑みの形に歪んでくるのを止められない。


「ハハハァッ! 少しはやるな! だが、《聖剣の勇者》でもない貴様にこの私の“闇の結界”を貫くことができると思ったかァッ!!」


 俺の口に浮かぶ笑みに気づいた様子のないザイナードの言葉は喜悦に塗れていた。


 これは戦いが楽しいという雰囲気ではない。

 むしろ、弱者を嬲なぶることに喜びを感じているのだろう。


 ――――だとすれば、あまりにも見くびられ過ぎている。


 確実に勝てる相手と戦うこと。

 それは幾多の兵士を率いる戦場ならいいかもしれないが、このような一騎打ちともなれば武人としてまるで面白くないとは思わないのだろうか?


 ――――いや、自分の道理こだわりを相手に求めるのは間違いか。


「ずいぶんと自信があるようだが――――魔王といえど油断すると死ぬぞ」


 構えた太刀を上段――――から右側にずらし、柄を握る右の手を右耳に近付けるように構える。


 さすがに魔王その者と相対しているだけのことはあって、油断など微塵もできはしない。


 先ほどから何合か打ち合ったことで魔王の剣技には力押しなところがあるとわかったが、それを一気に圧倒的優位にまで押し上げるすさまじいまでの身体能力が弱点を完全にカバーしている。


 だが、デュランが持つ《聖剣》と対をなす《魔剣》や絶大な魔力から放たれる魔法、それと身を守る魔道具に頼り過ぎているため、そこに本人も気が付かない隙が生じる。それは見えた。


 ならば、ここで退く選択肢など存在はしない。俺は迷わず前進を選ぶ。


「人間ごときが我を前にほざいてみせるかァッ!」


 魔王ザイナードの上段から瀑布のように振り下ろされる大剣。


 斬られたものの魂を砕くとまことしやかに囁かれる魔剣の一撃を俺は躱さない。

 刀身を使って相手の刃を滑らせていきながら、俺はそのまま踏み込んで相手の懐へと潜り込むと下方から逆袈裟懸けに斬撃を叩き込むべく太刀をはしらせる。


紫炎衆しえんしゅうの剣技よりも緩慢ノロいわっ!」


 精緻極まる一閃を前にすれば刹那の遅れが死に繋がる――――あの天下を分けた戦場で覚えた圧倒的な死の予感。

 そんな極限の緊張感は、ここには存在しなかった。


「バカめ!」


 俺の言葉をたまたま自分の剣を躱したにすぎぬ世迷い言と受け取ったのか、ザイナードがにやりと笑う。

 その左手に反撃として俺を仕留めるための魔法を収束させるのが見えた。

 周囲に展開されていく闇の力場フィールド

 ザイナードだけが可能とする闇の最上級魔法がこの世界に顕現しかけている。


 本能が警鐘を鳴らし、背筋がゾクリと震える。


 なるほど。この局面でそれを喰らえば、さすがに無事ではいられないかもしれない。


 だが、ここまでやって通じないのであれば何をやっても無駄だ。スパッと死ぬしかあるまい。

 俺は構わずに踏み込みを続け、刃を全力で叩きこむ。


「なんっ」


 その直後に聞こえてきたのはザイナードから放たれた驚愕の叫び。

 それと同時に具現化しつつあった最上級魔法が意味をなさない魔力の塵となって霧散する気配が伝わってくる。


 俺の放った斬撃は、魔王の誇る“闇の結界”を両断し、魔王の右脇腹から喰らいつくと魔剣を振り下ろしかけていた右腕ごと斬り飛ばし、そのまま左肩口へと抜けていた。


 心臓ごと斬るたしかな感触は太刀を通して俺の手に伝わっていた。


 それらに遅れること数瞬。

 ザイナードの魔剣を握っていた右腕が切断面からスライドするように落下し、魔王の間の床へと深く突き刺さる。


「バカな、なぜだ……」


 魔王の口からは理解できないといった呻きが青色の血と共にこぼれ出す。


「いつからお前を殺せるものが《聖剣》だけだと?」


 そう返しながら、俺は右手に握る肉厚の太刀に目を落とす。

 勇者一行と行動を共にしていた時と、この城に斬り込んだ時に使っていた《蝕身狂四郎むしばみきょうしろう》ではない。


「なんだと……!?」


「魔を祓うモノは聖剣それだけではないと、まさか魔王ともあろう者が知らなかったのか?」


 この大陸の単位に直すと、全長六六一ミリテン、反り二七ミリテン。

 三五ミリテンにもおよぶ幅広の元身幅を持ち、茎から刀身の五分の一ほどまで鎬筋に沿って独特の様式のを掻き、同じ年代の刀と比べれば刀身は短く独特のバランスとなっている。


 俺が故郷から密かに持ち出してきた刀の銘は《傀伝斬おおでんた》。

 天下ヤシマに十振りしか並ぶものが存在しないとされた古来より伝わる名刀のひとつだ。


 一説には八洲ヤシマの古の時代、荒ぶる禍津神マガツカミ――――邪神を十柱鎮めたころしたとされる太刀で本家の家宝だったが、バケモノ殺しにもってこいだということから勝手に持ち出すことにした。


 実際に、この太刀はおそらくデュランの《聖剣》よりも多くの人間と魔族の血を吸い、そして今魔王すらも“闇の結界”ごと斬ってのけた。

 邪神さえも斬ったこの太刀なら、さもありなんといったところだ。


 驚愕に固まったまま、魔王が口だけを動かして最期の言葉を放とうとする。


「わ、我が、滅びようとも、すぐに第二第三の魔王が……」


「安心しろ。その時は


 ここで余計なことをされてはかなわないと、俺はふたたび刀を一閃。

 続けて刃をひるがえして縦へ垂直に落とすと、頭頂部から股間までもが両断される。


「悪いが、辞世の句を詠ませてやる暇はやれないのでな」


 そこで各部の接合が切れたかのように、切断面からずるりずるりと滑り出し、重力に引かれたパーツが崩落し始める。

 首のところで切断された上に、縦にまで真っ二つに両断されたザイナードの首がごろりと床に落ちる。

 もうピクリとも動かず、やがてその身から黒い煙が上がると残るモノは白い灰へと変わっていった。


 灰は灰に。塵は塵に――――か。


 精霊神殿が魔族討伐に際してそんなことを言っていたなと、かつての仲間である聖女のことを少しだけ思い出しつつ、俺は刀身に付着した青い血を払い、ゆっくりと刀を鞘に納める。


 そこで俺はふと思い至る。


「首を置いてけとまでは言わないが、灰になられたら討ち取った証明にならんじゃないか……」


 愕然とした。


 せっかく穏便に勇者のパーティーを抜けることができた以上、勝手に魔王を倒したと吹聴して回るつもりはないが、せめて故郷である八洲の親戚などにはその旨を伝えたい。


 討伐から逃げたなんて勘違いされては困るのだ。追手を差し向けられても面倒だしな。


 ――――思えば、この時の俺は予想外の事態に少しばかり焦っていたのかもしれない。


「あ、そうか。この魔剣を持って帰ればいいんだな」


 すさまじく禍々しいオーラの漂うそれを俺は拾い上げる。


 その瞬間、俺の中に何かが流れ込んできた。


(ははは、バカなやつめ! 我が剣を持って行こうなどと考える愚か者がおるとはな!)


 先ほど倒したばかりの魔王の声が脳内に木霊した。



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