47 モデルデビュー

 TGBC(東京ギャルズ&ボーイズコレクション)が開催されている埼玉スーパーアリーナの周囲を一周する数千人の入場待ち行列を撮影するため、報道ヘリがさいたま新都心駅上空を旋回していた。

 パリコレや東コレなど従来のコレクションが、一定期間、開催都市のさまざまな場所でさまざまなショーをゲリラ的に催行するのに対して、TGBCは1会場1日のスケジュールで、複数のプログラムを集中的に開催する単独イベントになっていた。メーン出場者となるモデルの拘束時間は、早朝のスタンバイからフィナーレまで10時間以上にも及んだが、このコレクションに出ることは、少なくとも国内において一流のモデルとして認知されたことを意味していた。国際モデルと国内モデルは、全く異なった基準で選考される。たとえば国内で人気を得やすいハーフは、世界の舞台ではむしろ中途半端だとされて不利な要素になることが多い。日本以外の多くの先進国ではモデルの多民族化が進展し、それぞれの民族のアイデンティティが尊重されているからである。身長の基準も違う。国際モデルでは170センチ以下で活躍できるチャンスはほとんどない。ケイト・モス(170センチジャスト)や異母妹のシャーロット・モス(168センチ)は例外中の例外と言われる。小柄に見えるミランダ・カーですら175センチある。逆に国内モデルは170センチ以上は少なく、160センチ以下でも仕事はある。

 旧来のファッションショーは、デザイナーの新作コレクションが主役で、モデルは尊敬されながらも、あくまでもプレゼンテーションの道具として扱われるが、TGBCではモデルが主役であり、コレクションは道具、デザイナーに至っては不在だった。モデルの人気を高めることによって、そのモデルを起用しているブランドの人気を高め、人気ブランドを取り扱うECサイトやセレクトショップの売上を伸ばすというアライアンスを狙ったセールスプロモーションイベントなのだ。冷静に見れば、参加しているブランドは、デザイナーとしての実績がほとんどないプレス的なCD(クリエイティブディレクター)がプロデュースしているセカンドブランドが多く、国内外のトップブランド(デザイナーズブランド、キャラクターズブランド)からのデザインのパクリも目立っていたが、CDは臆面もなくオリジナルデザインを謳っていた。まだまだデザイン二流国の日本では、アパレルでもジュエリーでも、パクリ(不正競争防止法2条1項3号形態模倣)をはばからないベンチャーが急成長する余地が大きいのである。

 100を超えるブランドの共催となる国内最大級のファッションイベントにもかかわらず、会場はオーソドックスなT型ランウェイとなっており、芸術性の高い驚きの演出はなく、世界3大ショー(パリ、ミラノ、ニューヨーク)を見慣れた者からすれば、ファッションショーもどきのお祭りに過ぎなかったが、多くのファンにとっては、ひいきのモデルを生で見るのが唯一の目的で、演出はどうでもよかった。長大なランウェイを歩くモデルを間近に見られるアリーナ席の熱狂は常軌を逸しており、失神者を出すほどで、最前列席ともなると、チケットが数十万円で転売されていた。アリーナ席の周囲には、お祭りの露店に似た軽食やキャラクターグッズのショップが並んでいた。引き替えてモデルの顔が肉眼ではほとんど見えないスタンド席の後方は、熱気もやや薄れ、花火の見物客のようなのんびりした風情になっていた。

 スタンドの最前列を仕切って設けられた来賓席で、i4の4人と柊山は偶然にも近くに居合わせることになったが、互いを知らなかった。i4の4人はマスターが協賛団体の1つ、ジャパン・ニューアパレル・コンソーシアムの理事になっていたため、同伴者を含めて来賓枠を8席も確保できた。レイナの元キャスト4人がモデルとして出場するとあって、来シーズンのエントリーを狙っている現キャスト4人を同伴しての来場だった。日本に一時帰国した柊山は、負債を抱えて更生会社となったツバサ・エンタープライズを20億円で買収し、美奈美翼をプレジデントからSV(スーパーバイザー)に降格させた。今日はモデルエージェンシーのオーナーとしての来賓だった。隣ではカジュアルなシャツドレス姿の花崎麻美が、ランウェイを行っては戻るモデルたちに見入っていた。

 柊山のお目当ては一人だけだった。会場内にSHIORIのファンはまだそれほど多くはなかったが、他のどんな人気モデルよりも際立って美しいように柊山には見えた。もともと素質があったせいもあるが、柊山の肝入りで大型新人モデルとして強力なプロモーションを展開した結果、発行部数50万部のファッション誌MIMIの専属モデルとなり、深夜枠ではあったが短編ドラマの主役やバラエティ番組のサブMCとして起用され、飲料系のテレビCMも決まり、TGBCでもギャル系、OL系、おとな女子系の3つのブランドから9ルックのオファーを得ていた。デビューと同時にすでに押しも押されぬ一流モデルだった。

 ツバサ・エンタープライズからは彼女を含めて7人のモデルがエントリーしており、エンディング後には打ち上げを予定していたが、柊山は参加しないつもりだった。花崎祐介の名前を捨て、柊山成也の本名に戻ったので、SHIORIは新オーナーが彼女の命の恩人の花崎だとは知らなかった。柊山は彼女がTGBCにデビューし、モデルとして一人前になったら、名乗り出ないままツバサ・エンタープライズを売却するつもりだった。すでに2000万ドル(約25億円)で、シンガポールの投資家から買いが入っていた。花崎一郎の自宅地下室から発見された現金8549万円は、帰国の機会に全額を麻美に相続させる協議書を花崎佑介として作成し、弁護士が彼女の成人後の財産管理のための補助人(民法15条)となるべく、未成年後見人として申立てた。これが花崎の替玉としての最後の仕事になった。これでもうほんとうに花崎とはおさらばするつもりだった。SHIORIの9ルックを含め、ツバサ・エンタープライズの7人のモデルのデモンストレーションをすべて見終え、麻美の手を引いて立ち上がったとき、柊山の眼は嬉しさに腫れ上がっていた。SHIORIにチャンスを与えたのは自分ではない。むしろ新納こそ恩人というべきだ。津波ですべて失い、さらに新納に汚されつくしたからこそ、今の透き通るほどの美しさがあるのだ。ジョーダン・ミラー(アメリカズ・ネクスト・トップモデル20代ウィナー)のように、清純なだけではないぶっちぎりのトップモデルになってほしいと思った。

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