46 再審請求

 「おい、あれ人骨じゃねえか」被災住宅の基礎を掘り起こしていたオペレータの都築志郎は、バックフォー(油圧ショベル)を飛び降りて、コンマ7(0・7立法メートル)のバケットで掬った土砂から覗いた白い異物を確かめた。

 「うそ、見せてみろよ」

 「おい、これマンサツじゃねえか。ガイコツが金握ってんぞ」

 「やべえ、警察呼べよ」他の作業員たちも集まり出した。

 被災地の工事中にご遺体が発見されることは今なお珍しくはなかったが、発見の状況が少し異様だった。古代都市ポンペイで発掘された人骨のように、土砂で埋め尽くされた地下室に、現金と一緒に埋まっていたのだ。警察が検証したところ、旧花崎土木元社長の花崎一郎の自宅跡であり、人骨は同人の屍体だと確認された。海に流されたと考えられていたが、土砂で埋まった秘密の地下室があったのだ。白骨化が著しく進行していたため、死因は不明だったが、津波警報の最中、隠し財産を取りに行っているとき、自宅が津波にさらわれ、地下室に土砂が流入して生き埋めになったのだろうと推定された。土砂の中からバラバラになって発見された現金は数千万円に上った。憎まれ社長ならではの壮絶な往生だった。発見の状況から身元は明らかだったが、遺骨はDNA鑑定も可能な状態だった。

 楢野は故花崎一郎と花崎祐介の血縁関係の有無をDNA鑑定によって証明できるとして、リメイドの敗訴が確定していたHANASAKA株主総会決議不存在確認訴訟の再審請求(民事訴訟法338条1項)を提起した。父子の血縁関係が否定されれば、偽花崎が相続した花崎土木の株式持分33%は相続無効となり、HANASAKAの株主名簿のマルハナ斎儀社への書き換えには重大な瑕疵があり、決議が無効になる可能性が復活するからだ。静岡地裁は証人(松尾未雪)の虚偽の証言が判決の証拠となり(同項7号)、また判決に影響を及ぼすべき重要な事項(花崎祐介の同一性)について判断の遺脱(同項8号)があった可能性を否定できないとして再審を決定し、口頭弁論が再開されることになった。再審理由として楢野が提出した新証拠とは、前証言を翻し花崎祐介が偽者であるという松尾未雪の新陳述書と、彼女がコンドームごと凍結保存しておいたという偽花崎の精液だった。松尾は楢野を裏切ってまで入社した界王堂静岡支社を品行(入社後の風俗店アルバイト)を理由に解雇され、意趣返しに再びリメイドに寝返ったのだ。念の入ったことに精液の採取日の情事の写真まで添えられていた。時機に遅れた証拠の後出しは認められない(民事訴訟法157条1項)のが原則だが、花崎一郎の遺骨とセットで終局判決確定後の新証拠として認められた。神崎も証拠の採用に異議を述べなかった。花崎が偽物であることは知っていたのでDNA鑑定の結果は覚悟せざるをえなかった。仮に親子関係ひいては相続が否定されたとしても、偽花崎は正当な相続人としての外形を有していたことから、持分の善意取得を主張するつもりだったのである。

 地裁は訴外花崎祐介(リメイドの主張によれば偽者)の凍結精液と警察署が保管中の故花崎一郎の遺骨のDNA鑑定を命じた(民事訴訟法215条1項)。1か月後、鑑定書が地裁に提出され、公益財団法人日本DNAセンター検査部長小野田耕三の鑑定人質問(民事訴訟法215条の2第1項)が地裁で行われた。

 「遺骨のサンプルについては劣化が著しかったので、特別な復元処理を行いました。復元は成功し、2つのDNAが親族のものである確率は99・9%以上、親子である確率は98%以上となりました。サンプルは2つに分け、それぞれ別人によって分析しましたが、同じ結果を得ました。2つのDNAは親子のものと断定してまちがいないと考えます」

 小野田の証言に法廷内は一瞬、驚きの沈黙に包まれた。

 「ウソよ、そんなはずないじゃない」傍聴席の松尾が悲鳴を上げた。花崎祐介が偽者である決定的な証拠を提出したつもりが、真逆の結果になったのだ。「誰かがすりかえたのよ。そうに決まってる。本人のはずがないのよ。絶対偽者なのよ」

 「あんたこそ偽彼女でしょう。震災前に花崎と寝たことなんてないんでしょう」被請求人席から神崎春夏がなじった。

 「ババアは引っ込んでろ」

 「なんですってスベタ」

 「被請求人席、傍聴席、静粛に願います」裁判長の君津八千代が2人をいさめた。

 傍聴席からの松尾の発言は証拠にはならなかった。花崎祐介が本物だとすれば、彼女の前証言は正しいことになるので、新陳述書を撤回すれば偽証罪(刑法169条)には問われないが、花崎祐介が偽物だということにこだわれば、良心に反した証言はたとえ事実であっても偽証になる。いずれにせよ、二転三転する彼女の証言が証拠力を有することはもはやありえず、これ以上騒げば法廷侮辱罪(法廷秩序維持法2条)にすらなりかねなかった。

 「ほかに証拠がなければ弁論を終結します」君津裁判長の宣言に、請求人席のリメイド代理人弁護士三井友子は、静かに首を振った。すでに再審請求棄却は確定的だった。


 静岡地裁からの帰り道、楢野莉子は偽花崎が花崎一郎の隠し子だったのかもしれないといまさらに気付いた。それどころか、花崎一郎は偽花崎に殺され、地下室に隠され、津波によって埋まってしまったのかもしれなかった。そうだとすれば津波警報が出ているのに、一番危険な地下室に逃げ込むなんて愚を説明できる。花崎一郎は地下室で死にきれずに息を吹き返し、偽花崎を強盗だと思い、往生際悪く隠し金を探しているさなかに被災したのかもしれない。警察官に職質を受けた偽花崎の上着に血痕が付着していたこととも符合する。静岡にいた本物の祐介まで被災したのは、父が襲われるのを見た麻美が兄に助けを求め、車で自宅に駆け付けたところで津波に飲まれ、地震の後携帯が繋がらなくなって兄を待つしかなかった麻美だけが奇跡的に助かったということなのかもしれない。それなら津波警報の最中、本物の祐介まで自宅にいたことに合点がいく。祐介のトヨタ・プリウスが自宅近くで被災していることも説明できる。考えれば考えるほど、これが真相のように思われた。恐ろしい真相に身の毛がよだつ思いだ。偽花崎が花崎一郎を殺した動機は、きっと捨てられた母の復讐だ。偽花崎に美しい女への憧憬と嫌悪のコンプレックスがあるのは、母への叶わぬ思いの裏返しなのだろう。母が遺書で父の名を明かしたことがきっかけで、花崎一郎への復讐に駆り立てられたのだろう。だが、これがどんなに確からしい推理だとしても証拠がない。現実はミステリーではなく、想像だけで再再審請求は認められない。警察も、今回のDNA鑑定結果に満足しているだろうし、白骨とともに発見された現金の相続人が確定して喜んでいるに違いない。さもないと相続財産管理人(民法952条)の選任など、面倒な手続きが必要だった。これ以上いらぬ替玉詐欺騒ぎを続ければ、かえって楢野自身に嫌疑が向く恐れもあった。悔しいが完敗、偽花崎の完勝だ。しかし、そうなると偽花崎と麻美は異母兄妹ということになる。偽花崎は麻美がほんとうの妹だと知っているのだ。一緒に逃避行を続けている麻美は、偽の兄が実は本当の兄だといつ気付くのだろうか。いずれにせよ彼女には恐ろしい苦悩の未来が待っているだろう。それにしても偽花崎はどうして誰にも名前を明かさないのだろう。誰もまだ知らないどんな罪を背負っているというのだろう。そんなことを思いながら、楢野莉子は静岡駅の新幹線ホームに向かった。このまま京都に帰り、静岡にはもう二度と戻らないつもりだった。

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