41 脱税
お盆休み明けの朝7時、i4の4人の自宅とiBフロンティアの銀座事務所に、一斉に東京国税局査察部の査察が入った。マスターは松濤(渋谷区)の自宅を出て神谷町のカフェに居るところを呼び戻された。スペシャルは青葉台(横浜市青葉区)の自宅で寝ていた。テクノは舞浜(浦安市)の自宅でディズニーランドのシンボルであるシンデレラ城を遠望しながら朝食を食べていた。ジョーカーはお台場(港区)のマンションに前日から帰宅しておらず、赤坂1丁目のアークスフィアホテルで原稿執筆中だったため、妻の栄子が代理で査察に立ち会った。査察官らは捜索令状(国税犯則取締法2条1項)を示した上で、4人の自宅から、預金通帳、債券、領収書、郵便物、パソコン、ネットバンキングカード、フラッシュメモリーなどを押収した。隠金庫を探したものの、いずれの自宅にも見つからなかった。宝飾品など家族の財産もすべて調べられた。
銀座7丁目のiBフロンティアの事務所には誰もおらず、妻から連絡を受けたジョーカーが赤坂から直行した。事務所前には国税局がリークしたのか報道陣が集まっていた。ジョーカーはテレビカメラや記者が差し出すマイクを押しのけて銀座セヴンスターズビル11階に上がった。後から査察官たちが空段ボールを持ってついてきた。事務所を開けると査察官10人が捜索を始めたが、ガランとした室内には、大きな会議テーブルと、黄緑色のネットが特徴的なバロンチェア(オカムラオフィス)が10脚あるだけだった。拍子抜けするほど書類がなく、デスクトップ代わりのMacBookProが4人分あるにはあったが、ユーザーを特定しておらず、ハードディスクも空だった。データはすべてクラウドにあったのだ。それでも査察官たちはわずかにある郵便物や書籍を調べ始めた。書棚の大半を占めていたのは理事4人各々の著書や寄稿した雑誌、出演したTV番組や講演会のDVDだった。現金の類は一切なく、会計帳簿は銀座のスマート公認会計士事務所が保管していた。
ジョーカーは主任査察官の黒川隼人の査問に応じた。
「iBフロンティアの善方さんだね。後で立会人として質問顛末書(国税犯則取締法10条)にサインをもらえるか」
「ええ、かまいませんよ」
「査察の目的はわかっているね」
「いいえ」
「問題となっている中央電力からの除染物の賠償金の件だよ。令状に書いてあっただろう」
「それが何か。きちんと申告しているはずですが」
「全額か」
「もちろん」
「彦星の件は」
「それは関係ないってことになったでしょう」
「経堂はタイで逮捕したが、10億円が出ないんだ」
「誰のことですか」
「レサシアン・コンサルタンツの渋川だよ」
「ああ、そうですか。偽名に騙されるとは僕としたことが。まさか、その10億円をここで探そうっていうんじゃないでしょうね。だったら令状にそう書くべきでしょう。お門違いもいいとこだ。1円のキャッシュもないですよ。銀行との取引は全部ネットだからね」
「それは調べてからだ。経堂の10億円は仮想通貨として引き出されてるんでね。使用されたIPアドレスも間もなく特定されるだろう」
「いいですよ、どうぞ、お好きなようにお調べください」
「10億円は出なくても、叩けば埃くらいは出るんだろう」
「それはそうかもしれませんね。泣く子も黙るマルサですから」
「帳簿は押収することになるが、かまわないか。帳簿がなければパソコンだ」
「データはパソコンじゃなくクラウドにありますよ。パスワードを教えましょう。べつに見られて困るデータはないですから」
「サーバも押さえる」
「クラウドには特定のサーバもないですが、お好きなようにどうぞ。ところで誰のチクリですか。10億なんてはした金は口実で、何かほかに狙いがあるんでしょう」
「それはない」
「まあ、いいですよ」
「くれぐれも書類やパソコンに触らないで。あと、スマホも置いて」
「フェースブックやツイッターくらいはいいでしょう。みんな知りがってる」
「電源を切ってくれないか。そうでないとスマホも押収するよ」
「わかりました。言うとおりにしましょう。押収してもべつにかまいませんよ。開ける時は指紋認証ですからね」
ジョーカーは諦めたように手にしていたスマホの電源を切って、テーブルに放り出した。実はスマホは4台持っていた。法人ビジネス用、個人ビジネス用、政治家用、風俗用である。間違えないように機種はバラバラ(アップル、ソニー、サムソン、シャープ)だった。意外に使っていなかった法人ビジネス用アンドロイドスマホを使うふりをして放棄してみせたのだ。
渋川が詐取した10億円は見つからなかったものの、それは本命ではなく、i4の4人各々に所得税、iBフロンティアに法人税の申告漏れが認められ、脱税もしくは避税の総額が1億円を超えていたことから、東京地検特捜部に告発(国税犯則取締法12条の2)された。特捜部は逮捕状(刑法199条)を取って4人の身柄を拘束した。4人はただちにモトケン(元最高検察庁検事正)の弁護士長谷部剛三を団長とする15人からなる弁護団を組織した。弁護団は有罪無罪を争わず、国税当局との妥協点をさぐり、重加算税(国税通則法68条)、延滞税(同60条)などの交渉に入った。結局4人に所得税2000万円から1億円の追徴、法人に法人税2億円の追徴となった。即日追徴額を納付したにもかかわらず、特捜部は4人の脱税罪(所得税法238条、法人税法159条)の起訴を見送らず、身柄が東京拘置所に移された。弁護団は4人に起訴事実を認めさせ、保釈金各1億円で保釈を取った。これらの訴訟の経過は報道されはしたが扱いは小さかった。4人それぞれの出自から官僚時代のエピソードまでを興味本位に掘り下げるワイドショーや週刊誌もあるにはあったものの大きな話題にはならなかった。三宮重正とジョーカーの関係は封殺された。メディア界全体に圧力がかかっていたのである。
保釈された4人の代わりに弁護団が会見を開き、iBフロンティアの業務に違法性は一切なく、脱税摘発は権力側の陰謀ではあるが、復興事業及び除染事業関係者に多大なる迷惑をかけた社会的責任を痛感し、国税庁の課税処分に従ってすでに納税し、検察の刑事処分請求も争わないという一般社団法人iBフロンティア理事4人(代表理事は定めていない)連名の声明文を発表した。
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