29 偽カノ

 「社長、大学の友達だって子が来てるわよ」楢野が意味深な顔でHANASAKAの社長室に入ってきた。雑務がさらに増えたため、柊山はやむなく居心地の悪い社長室に楢野とともに居ることが多くなっていた。

 「追い返してくれ」

 「結構いい子よ。今カノじゃないにしても元カノじゃないの」

 「そんなのいねえ」

 「別れ方も大事なのよ」

 「だから違うって。適当にあしらっといてくれ」

 「じゃあ、会社には来ないように言っとくけど、火に油かもよ」

 「脅かすなよ」

 楢野が言ったとおり、女は諦めなかった。会社の前で花崎社長が出てくるのを何時間もずっと待っていた。ピンクのニットにジーンズとスニーカー、遠目にも大学生というのは本当らしかった。顔はいわゆる狸顔(愛嬌のある丸顔)だが、十人並以上だった。美人過ぎるツンデレよりモテ顔だ。

 「ほら、あの子よ。ほんとに知らない子なの」

 「知らん。あっちも気づかないだろう。俺を知らんてことさ」確かに待ちに待った柊山を見ても、女は詰め寄って来なかった。

 「なるほど、それも変ね」

 その晩、深夜になってアパートに戻ると、待ち伏せていた女が飛び出してきた。昼間会社に来た女だった。ずっとつけていたわけじゃあるまいし、どうしてここがわかったのか不思議だった。

 「祐介、見いつけた」

 「誰だよ」

 「しらばっくれる気なの。私から逃げられると思ってんならムダよ」

 「知らんものは知らん」

 「ここが家なの。普通のアパートじゃん。社長だからもっと大きい家かと思った」

 「オヤジの家は津波で流されたし、俺は家なんてどうだっていいし」

 「そっか。じゃ、しょうがないね。だけどなんで静岡に戻んないの。部屋はどうすんの」

 「ああ、忘れてた」

 「ウソばっかり。ひどいよ。あたし、ずっと祐介の部屋で待ってたのに」女は泣き出したが、いかにもウソ泣きだった。

 「しょうがねえな。中入れよ」

 「いいの? じゃ、お邪魔しまあす」

 柊山はリビングにしている8畳の洋間に据えたラブソファ(2人掛ソファ)に女を座らせ、自分はダイニングの椅子を持ってきた。毎日飽きずに通ってくる楢野のおかげで、部屋はこぎれいに片ずいていた。

 「妹が寝てっから静かにな。津波で心が病んでんだ」

 「いろいろあったことは認めてあげるけど、あたしにもメンツがあるよね」

 「どうしてほしいんだ。できることはしてやるよ」

 「してほしいことなんてない。社長辞めて大学に戻ろう。あんなにお父さん嫌ってたのにどうして会社継いだの」

 「悪いけどおめえのこと、ほんと知らないんだ。馴れ馴れしく俺の人生に介入してくんなよ」

 「あたしのこと知らないんなら、あなたこそ誰なの」

 「花崎祐介だよ」

 「ふざけないでよ。じゃ、これを見て」

 女はニットを脱ぎ出した。下はブラだけだった。

 「おい、何する気だよ」

 「黙って見てて」

 「おまえ、まさかヤリマンか。俺はそういうのは」

 「これ忘れたの」女はブラをずりあげて、乳房の下についた傷を見せた。

 「花崎にやられたってことなのか」

 「あなたがワイングラスを投げたでしょう」

 「俺は女をキズものにするようなまねは絶対しねえ」

 「あなたじゃないのね」

 「なんのまねか知らねえが、俺じゃねえ」

 「あなた、ほんとは誰なの。まさか、祐介を殺して入れ替わったの」

 「何言ってんだよ、テレビドラマじゃあるまいし。とにかく服を着てくれ」

 「祐介じゃないって認めるのね」

 「そろそろみんなに気づかれるころだわ」

 「じゃあ、誰なの」

 「それは言えないが、祐介じゃない」

 「そう、わかった。ていうか、最初からわかってたけど」女はブラを戻しただけで、疲れ切ったようにソファに座りこんだ。「タバコ吸ってもいい」

 「好きにしろ」

 「ありがと」女はマルボロメンソールに火を点けて一服した。

 「おめえの正体も言えよ。祐介の彼女じゃねえよな。胸の傷も関係ねえだろう」

 「なんでそう思うの」

 「さっき泣いたとき、クソ演技だと思ったから」

 「バカでもないんだね。同級生ってのはほんとよ。祐介はその気なかったけど、あたしは付き合ってもいいと思ってた」

 「ほんとの彼女はいたのか」

 「知るかぎりじゃいない。ていうか、あいつ、女に興味ないんじゃないかって噂もあった」

 「とかよ」

 「だって、女っ気皆無だったもの。それかよっぽど惚れた女がどっかにいたかね」

 「それはねえな。惚れた女がいたって、日常の処理は必要だろ」

 「言うねえ。じゃやっぱBLだったか」

 「さあな。オカマだってエッチはすんだろ。ま、どうでもいいわ。それよか、誰に彼女役を頼まれたんだ。誰かが俺の身辺調べに大学に行ったってことだよな」

 「言うわけないでしょう。じゃ、もう帰ろかな」

 「ちょっと待てよ。さっき俺が祐介を殺して入れ替わったって言ったよな。誰にそんなこと聞いた」

 「言葉のアヤよ。べつに誰も言ってない」

 「ほんとならどうする」

 「しゃべれば殺人罪で逮捕ね」

 「さあ、どうかな。しゃべれるかな」

 「脅かすつもり」

 「これだけの仕事、1人でやってるわけじゃねえからな」

 「脅かしてんじゃん」

 「ほんとに彼女だってことにして、たまにデートすっか」

 「それって逆ナンしてるつもりなの」

 「おめえの方から仕掛けたんだから、買ってやんよ」

 「べつにそれでもいいけど、安くないからね」

 「その脱ぎっぷりからして、風俗やってるよな。大学生ってのはほんとなのか」

 「どういう言いがかりよ。学生が風俗やったらダメなの。そういう法律あんの」

 「めんどくせえから店を通さずに会うか」

 「ワルなのね。お店にばれたらやばいよ」

 「彼女とやるのに店通すかよ」

 「もう辞めるよ、就活もあるし。ねえ、今夜泊めてよ。なんか、帰るのめんどくさくなった」

 「ここはダメだ」

 「彼氏なんだからいいでしょ」

 「妹がいるっつったろ。心を病んでるんだ」

 「ほんとの妹じゃないんでしょう。なんか、あんたら、怪しいね」

 「病気ってのはほんとだよ。それよか、おめえの雇い主、誰だよ」

 「言えないに決まってる」

 「楢野だろ。昼間からどうも変だった。ここも教えてもらったのか」

 「わかってるなら聞かないで。どう報告すればいいの。本物の花崎君でしたって言ったほうがいいの」

 「二重スパイなんてやめとけ。偽者だったけど、本物として付き合ってくれって頼まれたって言えばいい。それなら信用する」

 「なんか面白そうなことしてんのね。あたしにも噛ませてよ」

 「名前と携帯教えとけ」

 「やっと聞いてくれたね。名前聞かれないのって、けっこう屈辱。未雪、本名よ。学生証も見せようか」

 「じゃあ、未雪、今日は帰れ」

 柊山は静岡までのタクシー代を与えて未雪を追い出した。

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