10 儲け話

 市役所と安全不動産以外には誰にも番号を教えていないはずの買ったばかりのiPhoneが鳴動した。表示された番号は080から始まっており、市役所からではなさそうだった。恐る恐る通話ボタンを触った。

 「花崎さんのお電話でよろしかったですか」

 「そうすけど、誰すか」

 「ああ、私ね、レサシアン・コンサルタンツの渋川龍一と申します。マルハナ斎儀社さんからお電話番号をお聞きしたんですが、今、ちょっとよろしいですか」

 「あ、はあ」

 マルハナ斎儀社に携帯番号は教えていない。安全不動産から神崎に伝わったなと察した。

 「相談と言いますのは花崎土木のことです」

 「オヤジの会社のことはわかんないすよ」

 「お父様が行方不明でいらっしゃるので、いずれ花崎さんがすべて相続なさることになるんじゃありませんか」

 「そうかもしんないすけど」

 「今のうちにいろいろ準備をしておいたほうがよろしいと思いまして」

 「なんとかコンサルってのが、なんの用なんだ」

 「私どもは、市のコンサルタントをさせていただいております」

 「うさんくせえ会社だな」

 「会社ではなく非営利法人でございます」

 「よくわかんねえけど、どうしたいんだよ」

 「花崎土木の社長になれば、資産だけではなく負債も承継することになります。ですから、今のうちに会社の内容を知っておいたほうがよろしいのかと」

 「資産とか負債とか、わかんねえよ」

 「お電話では詳細を申し上げられませんが、おそらく今般の震災で債務超過に陥ったかと。つまり、会社を清算しますと借金が残るということになります」

 「いくらくれえなんだよ」

 「そうですね、5億円くらい足らないかと」

 「それを俺に払えってのか」

 「それをご相談したいんです」

 「どうすりゃいいんだ」

 「いろいろ方法がありますので、とにかくお会いしてご相談しませんか。今どちらですか」

 「榛原だけど、これから掛川に帰る」

 「でしたら、1時間後に掛川駅前のフレンズという喫茶店ではいかがですか」

 「いいよ、じゃ、そこで」

 たかだか100万円の義捐金のために花崎の名を騙ったら、さっそく5億円の借金を返せってか。もしかして、これが神崎の魂胆だったかといまさらに気付いた。それで親身になるふりをして、さんざん遊ばせたんだ。借金てのは、たぶんマルハナ斎儀社から借りてんだろうと思った。もうバックレるしかない。だが、考えてみれば5億円なんてどうせ返せっこない。渋川がわざわざ連絡してくるのは、単純に金を返せというのとは違う話かもしれない。金を返せって言うなら、ヤクザか弁護士(柊山の経験では似たようなもの)の出番だろう。ないものはないって言えばいいことだし、いつでも花崎の名前は捨てられると割り切って、柊山は渋川を待ってみることにした。


 渋川が指定したフレンズはすぐにわかった。田舎にありがちな昭和の臭いのする純喫茶だった。年季の入ったビニールレザーのソファはスプリングが完全にへたれており、ところどころ擦り切れの補修の跡すらあった。コーヒーはドリップの沸かし直しで、自慢そうに作っている割には香りが飛んでしまっており、味もひどく酸っぱかった。昭和に流行ったモカ系ブレンド(本物のモカ・マタリはもっとすっきりした味で、ワインの香りがする。一時期輸入禁止で入手困難になった)に似せているのだろう。

 約束の時間を30分過ぎたとき、007が着るようなネイビーのダブルスーツにモノグラム(ヴィトン)のアタッシュケースを下げた、いかにもヴェンチャービジネスマンという見た目の短髪・眼鏡の男が入店し、顔を見知っていたかのように、まっすぐ柊山に向かってきて対坐した。

 「なんだ、花崎って、おめえかよ。たまげたなあ」いきなり経堂はため口をきいた。

 「あんた誰すか」

 「俺だよ」経堂は眼鏡をいったん外した。伊達眼鏡だったようだ。

 「はあ」

 「名前は言わねえ聞かねえだったからな」その言葉でやっと津波泥棒に付き合った中年男だと気づいた。

 「そんな訛ってましたっけ」

 「郷に入らば郷にしたがえだかんな」

 「すんません、覚えてねくて」

 「まあいい。それにしても奇遇なもんだ。おめえが、花崎の倅とはなあ。渡りに舟とはこのことだ」

 経堂は柊山の名前を知らなかったので、花崎の名を騙っていることに気づいてはいないようだった。

 「俺にどうしろってんすか」

 「社長が行方知れずになった以上、おめえ花崎土木の社長になんだろう。女房とは離婚してて、息子も行方不明、娘が1人助かったものの生きるか死ぬかで、正直弱ってたんだわ」

 「家のこととかわかんねえんで」

 「親が社長だってことくれえ知ってんだろう」

 「ちんけな土建屋でしょう」

 「そうでもねえだろ。花崎土木っていったら、県内でも名の通った建設会社だぜ」

 「興味ないすよ」

 「そうはいくか。ちょっとおめえに相談あんだよ。次期社長としてよ」

 「ほんとに会社のことはわかんないすよ。だから社長なんかなるつもりもねえし」

 「そうはいくか。ばらしてもいいのかよ。おめえが津波泥棒だってこと」経堂は声をひそめた。

 「あんたらと違ってなんも盗んでねえでしょう」

 「車のダッシュボードから財布抜いたよな」

 「それは…」

 「社長なるにせよ、大学残るにせよ、身辺きれいなほうがいいだろう。前社長いろいろあった以上なおさらな」

 「そんなこと言いに来たんすか。俺、べつにびびんないすよ」

 「聞きてくねえんだな、オヤジの不祥事」

 「どうでもいいすよ」

 「いろいろあんぞ。社員を暴行とか、女子社員を強姦まがいに愛人にしたりとかな。女房には3人逃げられてんな。子どもはおめえと妹さんの2人。ほかにも愛人の隠し子がいるらしい」

 「そんなとこまで調べたんすか。田舎の土建屋の社長なら、女子社員全員愛人なんて、珍しくもねえ話でしょう」

 「なあるほど。一番でっけえの産廃の不法投棄だがよ」

 「借金5億あるってのはそのことすか」

 「会社傾いたから不法投棄なんかやったんだろうな。花沢に騙されたとか言ってたらしいけんな。それで犬猿の仲だわ」

 「なんか話が違うな。マルハナの女がやってる店に結構通ってたって」

 「神崎春夏のことか。あれもともと花崎の女だわ」

 「なんでそんな詳しいんすか」

 「餅屋は餅屋ってか」

 「それで花崎土木どうなるんすか。マルハナに乗っ取られるとかすか」

 「最後まで聞けや。社員は離散、社屋も機材もみんな津波に流されちまった。花沢から借りた15億は債務保証してっから、おめえが背負わされることになるぜよ。騙されねえように一応教えてやるけど、債務保証は相続しねえから、社長になんねえなら関係ねえよ」

 「5億じゃないんすか」

 「銀行からも15億借りてんよ。抵当に入れてる土地とかうまく処分できたとして5億は足らねえだろう。取引先もやべえし、売掛こげたら10億でも足らねえかもな。花沢のは別だ。これははなっから返しようがねえな」

 「それじゃ20億じゃないすか」

 「会社がつぶれたら民亊再生(民事再生法21条1項再生手続開始)の申し立て、社長のおめえは自己破産(破産法15条1項破産手続開始)になんだろうな。そうなりたくなかったら、相続放棄(民法915条)か限定承認(民法922条)をしてもいいけど、面白くねえだろ。せっかく社長なれんのによ」

 「どうせつぶれる会社の社長なってもしょうがねえでしょ」

 「会社ってのはな、一度つぶれてもまた戻るもんだ。30億の会社なら30億に戻せる。それだけの甲斐性があるってことなんだ」

 「よくわかんないすけど、どうしろってんですか」

 「俺信用してくれんなら、わりいようにはしねえ」

 「泥棒を信用しろってんですか」

 「おめえは仲間だろうよ。そんでよ、さっき言った不法投棄現場をよ、貸してもらいてえんだ」

 「ゴミの現場すか」

 「市のガレキの置場に貸すんだよ。それならゴミが埋まってたってなんも問題ねえだろう。好い土地ねえかと捜してて見つけたんだ」

 「いくらになるんすか」

 「ほんとなら価値のねえ土地だよ。二束三文で買っちまおうと思ってたけど、おめえが社長になんなら話が違うわ。青井さん、あの爺さんだけどよ、あんときの4人の絆は血より濃いって言われてるしよ、市にそれなりの賃料払わせるわ。現場のオペも花崎土木で請負えばいい。そうすりゃ1億や2億になんだろう」

 「ぜんぜん足らないすね」

 「それで終わりじゃねえよ。こんだけの災害だ。人手さえありゃあ、土建屋の仕事はいくらでもあんだ。ここで会社畳んじまうのもったいねえよ」

 「俺社長ムリすよ」

 「青井の爺さん覚えてっか」

 「なんかやたら仕切ってた爺さんすよね」

 「今、爆発した原発にいんだけどよ、あそこやばすぎんから、専務にでも常務にでもしてくれよ。ああ見えて頭切れんだ。ただお飾りの社長になってくれりゃいいんだ。あとは爺さんと俺とでうまくやってやっから」

 「マルハナの差し金じゃなかったんすか」

 「正直言うとよ、つぶさないで、上手く貸した金回収する方法考えてくれって依頼されたんだよ。こっちは土地を借りたい、あっちは大口債権者ってことでよ、利害が一致したわけだわ。マルハナが買うって手もあったけど、それだと貸した金チャラになる(民法520条債権の混同)だろう。後は社長を誰にするかってことだったけどよ、倒産したも同然の会社を赤の他人は継がねえだろ。そこに渡りに船でおめえ見つかったってことなんだよ。それもマルハナの埋め場に居たとはビックリだわ」

 「こっちもビックリっすよ」

 「社長なんかいねくてよかったんだけど、おもしろくなってきたぜ。やっぱ爺さんは見えてんわ。四人は腐れ縁だからきっとまた会うってよ。クズの四人組だからクズフォーだってよ。fフォーならぬkフォーだわな」

 「どうしたらいいのか、ほんとにわかんねえし」

 「花崎社長の認定死亡が認められるまでは(実際には不特定多数が死亡した広域災害で警察署が行方不明者の死亡報告をすることはない)、何もしねえでいいよ。それまでに妹さんもダメなら、相続人おめえ1人だよ」

 「認知してない隠し子ってのは相続できないんすか」

 「なるほど、それはあるけどな。誰もわざわざ探さねえだろう。よしんば名乗り出てきても相続が終わってれば後の祭りよ。死後認知(民法787条)の裁判起こして、それから相続回復(民法884条)、相続開始後認知者支払請求(民法910条)、遺留分減殺(民法1031条)の裁判てことになるかもな」

 「めんどくせえってことすね」

 「そういうこと。おめえは花沢んとこの店の女と適当に遊んでればいいよ。雪乃っつったかな。ソープ上がりのいい女じゃねえか。そのほうが神崎も油断する。その間にいろいろ根回ししとくから」

 「ほんとになんでも知ってんすね」

 「言っとくけど、今度の仕事は半端じゃできねえぞ。お国が相手だからな」経堂は上機嫌で立ち去った。

 花崎が偽者だとは露ほども疑っていなかった。しかし、プロの嗅覚で早晩気がつくだろうと思った。

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