2 命拾い

 柊山成也はゴミ山の上に寝て日向ぼっこをしていた。古い不法投棄現場だということはわかっていた。大宮の地回りヤクザ小野沢組に転がり込んでチンピラをしていたころ、さんざん不法投棄をやらされたことがあったからだ。ユンボ(バックフォー)のオペ(運転)も見よう見まねで覚えた。高校もろくに出ていないチンピラにできることといったら、風俗紹介所の店番かクスリかゴミかAVの助監督(実質パシリ)くらいしかない。どれもやったが、ゴミが一番あがりが良かった。一晩オペをやれば2万円もらえた。見張りは1万円だ。

 ゴミといっても産廃はプラスチックが多いので、やわらかくてあったかくて気持ちがいい。日の光を吸収していったんあったまると、空気が多いのでなかなか冷めない。埋めたばかりのゴミなら紙くずや畳が腐って発熱もする。温泉卵ができそうなほど湯気が出ている不法投棄現場も珍しくない。そのかわり有毒なガスも出るから、人だけじゃなく鳥も犬も近づかない。臭いことは臭いが、慣れればそれも懐かしい臭いだ。

 ついさっき警察官に職質を受け、とっさに蹴りを入れて逃げてきた。当然追いかけられたけど、なんとかふりきってここまできた。顔は見覚えられただろうけど人定(名前)はとられていない。しらを切れば大丈夫だろうという自信があった。それでももうここらにはいられないという予感がした。かまいやしない。この地になんの未練もないし、仕事は選ばなければどこでだってみつかる。今度は大宮みたいな田舎じゃなく池袋か歌舞伎町か川崎に行きたいと思った。

 突然地響きがして、ゴミ山が大きく揺すられた。地震だった。大きいと思った。最初はドスンと地盤が下がって、それから前後左右にぐらりぐらりと大きく揺れ出した。地球をたらい回ししてるみたいな揺れ方だった。立ち上がるどころか、滑り落ちないようにゴミにしがみつくのが精いっぱいだった。揺れは何分も収まらず、むしろどんどん大きくなっていった。やばいなと思った瞬間、ゴミ山がクレバスのように割れて落ちた。上からゴミが崩れてくる。いよいよやばいと思った。

 揺れが収まったときには生き埋めになっていた。ゴミはすかすかなので息はできた。残土の山なら死んでただろう。ゴミ山でよかったと思った。あせって這い上がろうとするとスニーカーが脱げた。いったんスニーカーに足を戻し、慎重に頭上のゴミをかきわけた。

 なんとか這い上がったとたん揺り返しが来てまた穴に落ちた。

 「手、貸してやるよ」上から男の声がした。追ってきた警察官かと一瞬ひやっとした。誰だってかまわない。とっさに手を伸ばした。

 引き上げてくれた男を改めて見た。知らない男だった。自分より10歳くらい上か。見るからにヤクザっぽい。

 「おめえも逃げてきたのか」

 「え、まあ」

 「ここも安全かどうかわかんねえが、下にいるよかいいだろう」

 「なんのことすか」

 「津波がくんだよ。もっと遠くに逃げてかったが時間がねえ。もうすぐくっど」

 「そうすか」

 「ほらみてみい。海が盛り上がってる」

 海岸線は数キロも先だったのに、松林で見えないはずの水平線が見えた。水平線じゃなく津波だった。その直後、松林が津波に飲み込まれ、背後の住宅地が一瞬で水没した。

 「見たか。松の木の倍以上あったろう。20メートルはあるな。こりゃほんとにやべえ」

 「逃げてくる車がありますね」

 「おう、たしかに」

 「逃げきれますかね」

 「知らん。こっちが助かりゃどうでもいいわ」

 フルスピードで逃げていた車が農道の交差点で衝突して大破し、そこへ次々と後続車が追突した。万事休す。渋滞する車列は次々と津波に飲み込まれ、木の葉のようにくるくる回って水中に消えた。たった2台だけがぎりぎりでゴミ山のふもとまでたどり着き、それぞれから男が1人ずつ飛び降りて這い上がってきた。すぐに津波が追いつき、乗り捨てたばかりの車に根こそぎになった松の木が衝突してぐちゃぐちゃにつぶれた。間一髪だった。水位がどんどん上昇し、ゴミ山の半分が水没した。幸いゴミは水を吸うので津波の勢いをいなしてくれた。残土の山だったらあっという間に崩れ落ちてしまっただろう。

 「ほう、助かったわ」車を乗り捨てた男の一人が、ゴミ山の頂上まで辿り着いた。小柄な爺さんだった。

 「まだ、安心できねえぞ」少し遅れて登ってきた中年で色白の男が言った。「もっと水かさが増せばここもおしめえだわ」

 「そんでも車ごと流されるよかよっぽどましだわ」

 二人は先客の二人とゴミ山の頂上で合流した。挨拶は交わさなかった。

 「まるで海になったみてえだな」先客のヤクザ者が水没した街を見下ろしながら言った。

 「お、引き波になったぞ。とりあえず助かったわ」後からきた中年の男が言った。

 確かに津波が引き始め、流された家屋のガレキを海に持ち去っていった。まるでポセイドンだ。逃げ遅れた海水があちこちで池を作っていた。

 「津波は二波、三波があるんだ。まだ安心はできねえ」爺さんが言った。「だれかスマホか携帯かなんか持ってるか。そしたら津波警報がどうなってるか見てくれ。電話はおそらくつながるめえ」

 「ありますよ」柊山が初めて口をきき、スマホを確認した。「マグニチュード9.1、静岡の震度は7、津波警報は静岡は10メートル以上、到達予想時刻は10分後っすね」

 「もう到達したじゃねえかよ。見終わったら電源は切っておけよ。いつ充電できるかわかんねえ。ほかの連中もな」

 「ああ、そうすか」言われたとおり柊山は電源を切った。

 「じいさん、勝手に仕切ってんじゃねえよ」ヤクザ男が不満そうに言った。

 「こういうときは年寄りの言うことを聞くもんだ。俺は神戸の震災も宮城の震災も経験したんだ。いま静岡がどうなってるか想像がつく」

 「どうなってんだよ」

 「何万人か死んだな」

 「ほんとかよ。北日本の震災のあと、いろいろ税金使って対策したんだろう」

 「そんなもん土建屋の儲けんなっただけわ。本気でやっちゃいねえよ」

 「爺さんのご高説はとりあえず聞いとくけどよ、これからどうすりゃいい」

 「まずは津波警報が消えるのを待つか。5時間もすりゃあ落ち着くだろう」

 「真夜中になっちまうじゃねえか。食い物はどうする」

 「我慢するっかねえ」

 「そんあとは」

 「下はどろどろで、どこが道かもわかんねえから、夜明けまではここにいたほうがいいな」

 「それからはよ」

 「あんたらカタギじゃねえなら、水が引けば一稼ぎできるよ」

 「どういうこったよ。爺さん聞かせろや」ヤクザ男は身を乗り出した。

 「火事場泥棒ならぬ津波泥棒だわ。宮城のときは流されたATMだの金庫だのがごっそりやられたわ。いいブツにあたれば何百万、いや何千万かになる。そうでなくても流された車には財布くれえはあるだろ。あと女の指にゃあ」

 「指輪か」

 「海水を飲んでっから指が膨れてて切るしかねえ。ナイフがなければガレキから包丁を探せや」

 「あいにくとナイフを手放したことはねえ」ヤクザ男はポケットからジャックナイフを取り出して見せびらかした。「爺さんは何を狙うんだ」

 「これだよ」爺さんはピッキングの針を取り出して見せた。「手提げ金庫くれえなら造作もねえ。ただし錆ねえうちに開けちまわねえとな」

 「味なまねをするじゃねえか。そっちのおめえらはどうすんだ」

 「ATMってのはいいすね。あのへんのGSに農協のATMがあったはずだわ」中年男が言った。

 「なんだ、おめえもそれなりだな。そっちのてめえはどうする」

 「俺はいいすよ」柊山は手を振った。「金なんていらねえし、探すのめんどくせえし」

 「おめえだけ仲間に入らねえわけにはいかねえ。顔を見られてっからな。金がいらねえなら見張りをやれや。そしたら駄賃くれえはくれてやる。おめえもこんなゴミ山にいたところを見るとカタギじゃねえんだろ」

 「名前も素性も言いっこなし、聞きっこなしなら、仲間になってもいいっすよ」

 「いいこと言うじゃねえか。そういうことにしよう。俺たちおたげえに名乗らねえ。街であっても知らん顔だ」

 相談がまとまると4人は無言になった。それぞれに明日の津波泥棒の計画を立てていたのだ。

 日がすっかり暮れてあたりが真っ暗になると、あちこちに火事の炎が見えた。爆発音も聞こえた。工場が燃えているようだった。どんなに大きく燃え上がっても消防車が出動している様子はなかった。あたりは静寂に包まれていた。火事の炎以外には360度見渡しても一切の灯りが見えなかった。停電しているのだ。柊山はときどきスマホの電源を入れて津波警報を確認した。警報は北海道から九州沖縄まで出たままだった。死者は数千人と出ていた。そんなに少なくはないだろうと思った。

 「ああ、ちくしょう。腹が減って寝れねえわ。こんだけ海水があんなら魚もいるんじゃねえか」ヤクザ者が言った。

 「なにのんきなことを言ってんすか。魚がいたって煮るための火も水も鍋もねえし、刺身にするにしたって醤油もワサビもねえし」となりに寝ていた柊山がうんざりした口調で答えた。

 「おめえこそ、のんきなことを言うじゃねえか。だけど案外となんでも下には落ちてんじゃねえか。何百軒も家が流されてんだからよ」

 「あったとしたってみんな泥の中ですよ」

 「ちげえねえな」

 「眠れなくても寝た方がいいすよ」

 「おめえ俺と同業なんだろう。どうだズボシだろう。ハグレモンは匂いがすっから」

 「ぐれてはいましたが、いまはカタギっすよ」

 「とかよ。この津波でよ、会社ごと流されちまったんじゃねえのか」

 「大きなお世話っすよ」

 「なあ、行くとこねえなら、俺の組来ねえか」

 「組ってのはなんすか。ヤクザならやめときますよ」

 「そう言うけどな、こういうときヤクザは忙しいぞ」

 「なんで」

 「人工(にんく)集めはヤクザの仕事だろうが。何するのも人要るかんな」

 「どこの組なんすか」

 「三島の戸井田一家よ。津波で三島もやばいかもしんねえけど、こんなときでねえと親分の役に立てねえから」

 「破門されたんじゃないんすか」

 「あんで知ってんだよ」ヤクザ者が驚いた顔で柊山を見た。

 「なんとなくね。あんた代貸しにもにもなれねえ半端者ってとこでしょ。いまどきのヤクザは武闘派じゃダメっすよ」

 「この野郎、大人しく聞いてりゃ。舎弟にしてやろうってのによ」

 「破門されたら二度と敷居は跨げねえんでしょう」

 「まあそうだけどよ、背に腹は代えられめえ。この災害でみんなチャラだわ」

 「そう願えたらいいすけどね」

 「おめえ、親御さんとかどっかにいんのか」

 「誰もいません」柊山は意地になったように言った。

 「なら、かえってよかったな。いねえなら、心配もいらねえ。なあ、いっそ東京に行こうぜよ。なんか、おみゃあ気にいってんだ」

 「興味ないすよ」

 「そういう意味じゃねえだろう。気色わりい」

 ヤクザ者はゴミの上で寝返りを打って静かになった。

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