3 地獄絵図
夜が明けた。ゴミ山の眼下には変わり果てた世界が広がっていた。思井川の河口の住宅地は跡かたもなく消え去っていた。住宅は基礎から上が丸ごと流され、校舎や老人ホームや公営住宅と思しきコンクリートの建物はボロボロの外壁だけが残るスケルトンになっていた。海岸からゴミ山までは数キロはあるのに、河口の漁港にあった漁船や根こそぎになった海浜国有林の松が間近まで流れ着いていた。水没して湖のようになった田んぼにはガレキが散らばり、炎上した工場や住宅、爆発した車がそこここでまだ黒煙や白煙を上げていた。空には自衛隊の大型タンデムローターヘリ・チアヌークCH47、中型の警察ヘリやドクターヘリ、小型の報道ヘリが飛んでいるのが見えた。地上には救助隊は来ていなかった。防潮堤はあちこちで崩れ落ち、道路は水没し、どこが道路かすらわからなかった。
「どうする」ヤクザ者が言った。
「俺はATM一点狙いだ。GSの赤い屋根が見えるだろう。あそこまでいく」
「爺さんは」
「ATMは重すぎるわ。俺は軽い金庫を探す」
「おめえは」
「食い物と水を探すよ。水は自販機にあんだろ。食い物は冷蔵庫とか流れてれば」柊山が答えた。
「おめえ案外かしこいな。まずは食い物だ。それからATMを目指す。そのあとは川っぷちに行ってみるか」
「あんたは何をねらうか聞いてねえ」爺さんが言った。
「俺は手当たり次第なんでもだが、車から財布を探すのがいいんじゃねえか」
「車には仏さんがいるぜ」
「かまいやしねえ。女なら犯ってもいい」
「そんな大口たたいていざとなったら足がすくむぜ。悪りいことは言わねえ、仏さんには触んなよ」
「話が決まったら出発だ。泥棒は俺たちだけじゃねえぞ」ヤクザ者の掛け声で4人はゴミ山を降りた。
下はいきなり地獄絵図だった。ガレキの中に老若男女を問わぬ水死体が何百体と引っかかっていたのだ。どの死体も泥人形のように見え、近くまで行っても死体だという実感がわかなかった。4人は凄惨な水死体を間近に見たショックで無言になった。死体の着衣のポケットには財布があったかもしれないし、指には指輪があったかもしれないが、だれも触ろうとしなかった。
かろうじて道路だったとわかる場所を選んで海岸に向かって進んだ。窪みに溜まった海水がビシャビシャと跳ね上がった。海岸が近づくにつれて水かさもガレキの量も死体の数も増していった。
泥に半ば埋まった自販機を見つけて水は確保できた。食料は見つかりそうになかった。
被災した自動車が何百台も泥に埋まっていた。何百回転もしたのだろう、ぐちゃぐちゃにつぶれていて車種もわからなかった。車内もドロドロで死体があるかどうかもわからなかった。車上狙いをすると宣言したヤクザ者もさすがに手を出そうとしなかった。
1時間ほど泥の中を進んでGSにたどり着いた。給油用の鉄骨の櫓だけが残っていて、事務所は跡形もなく流されていた。ATMもなかった。遠くに流され泥の中に埋まってしまったか、それとも引き波で海まで持って行かれてしまったのだろう。
「すげえことになってるな。GSにはコンビニもあったんだよ。それもまるごと消えてら。食い物があるかと思ったのによ。この櫓がなけりゃ、ここがどっかもわかんねえや」中年男が言った。
「ATMまだ探すか」ヤクザ者が言った。
「もう少し水が引かねえとだめそうだな。あきらめんよ」
「じゃあ、川っぷちに行ってみっか」
ヤクザ者を先頭にまた歩き出した。川が近づくと浸水が深くなり、どんどん歩きにくくなった。それでもなんとか崩れた堤防までたどり着いた。
「すげえ。川んなかに家が建ってるわ」柊山が言った。
「建ってるんじゃなく、流れ着いたんだろう。鉄骨プレハブだから壊れなかったんだ。積水ハウスかなんかだろうよ。俺はハウスメーカーの代理店にいたことあっから」中年男が自慢そうに言った。
「食い物があるんじゃねえか」ヤクザ者が言った。
「行ってみるか」爺さんが言った。
流されてきた住宅は川っぷちに引っかかっていたので、崩れた土手を降りれば容易にたどり着けそうだった。
4人は川の中の住宅に侵入した。屋内はぐちゃぐちゃだったが、奇跡的に浸水はしていなかった。とくに2階は無傷だった。人の気配はなかった。爺さんとヤクザ者は2階の寝室で女物のアクセサリーなど金目の物を物色し、中年男は1階のキッチンで食べられそうなものを探した。柊山はメンズのジーンズを見つけて濡れたズボンを履き替え、バックパックを拾って着替えに使えそうなスエットの上下を詰め込んだ。金には興味がなかった。
小一時間ほどでそれぞれの探し物を終えて4人は引きあげた。お互いに何を拾ったかは言わなかった。中年男は気前よくキッチンで見つけた食パンを仲間にわけた。
「それじゃ学校にでも行ってみっか。ここらで流されてねえのはそれくれえだ」ヤクザ者が言った。
「小中高とあるけど」中年男が言った。
「高校がいいだろう。今どきの高校生なら金持ってる」
「いくらなんだって津波が来る前に逃げただろうよ。先生もバカじゃねえ」中年男が言った。
「学校にはろくな金庫もねえだろ。それよか信用金庫か農協探そうじゃねえか」爺さんが言った。
「爺さん、銀行の金庫開けるつもりか」ヤクザ男が言った。
「銀行ってのは営業中は金庫を開けてあるんだよ」
「津波が来る前に閉めたに決まってんだろう。さすがに頑丈な金庫だから津波にも流されていねえだろ」中年男が言った。
「行ってみなけりゃわかんねえ」
「じゃ、銀行探すか」ヤクザ男が言った。
「高校がいいな」柊山が言った。
「なんで。JKが好きなのか」ヤクザ男がちゃかすように言った。
「高校は上にあんだろう。上流のほうが被害が少ねえみたいだから、流されていない家もあるんじゃないか」
「なるほど、そういうことなら次は高校に決まりだ。おめえは口数が少ねえが言うことはいちいちもっともだわ」
ヤクザ男を先頭に川の上流にある思井川高校に向かった。少しだけでも高台にあるせいか、浸水したものの流されていない住宅も現れた。泥に埋まっていない被災車両もあった。4人は一棟一棟、一台一台金目の物を物色しながら高校に近づいた。死体にも目が慣れ、ヤクザ者と中年男は車内の死体から財布を抜き取り始めた。爺さんはいくつか小さな金庫を見つけてこじ開けた。しかし中身はたいてい通帳で、まとまった現金はなかなかないようだった。柊山は見張りに徹して盗みはしなかった。
高校に到着した時は日が暮れかけていた。高台にあるというのに4階まで窓が破れてスケルトンになっていた。30メートル級の津波だったってことだ。校庭には被災車両や漁船やガレキに混ざって死体が流れ着いていた。もちろん生きた人気はなかった。
「ここが最後だ。日が暮れるまで探したら解散としよう。ここに泊まってもよし、どっかに行くもよしだ」ヤクザ者が言った。
4人は思い思いに校舎の中や校庭に流れ着いた車両の物色を始めた。
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