謀災

石渡正佳

1 密談1 20XX年12月24日

 日本の平均的な大企業は、従業員1万人、売上高1兆円である。利益率を10%として、1人1000万円の利益を上げている。これに給料の1000万円を加えると、1人2000万円の付加価値ということになる。勤務日数250日で割ると1日8万円になる。大した稼ぎではない。全身整形のキャバ嬢やデリヘル嬢なら軽くその倍は稼いでいる。

 本書の主人公たちは、2年間に4人で2000億円稼ぎ出したので、平均的な大企業のサラリーマンの1250倍稼いだことになる。ちょうど1日5千万円である。1日5千万円の稼ぎも、バブル経済時代の不動産トレーダーや証券トレーダーには珍しくなかっただろう。

 「イングランド銀行をつぶした男」の異名を持つファンドマネージャーのジョージ・ソロスは、ポンド危機で20億ドル(約2000億円)稼いだと言われる。日本の詐欺史上最大と言われる豊田商事事件の被害額も約2000億円である。マイケル・ジャクソンの遺産は約1450億円と言われたが、死後に約2000億円に増えた。世界一の金持ち(ビル・ゲイツ級)の資産は桁違いの10兆円超である。

 本書の主人公たちが実在するとすれば、ビル・ゲイツには及ばないものの、ソロス級あるいは豊田商事級の金儲けの天才たちということになるだろう。もちろん本書にはゲイツ級の天才も登場する。

 2000億円の稼ぎ方を伝授する本書の価格は、せいぜい2000円である。2000億円稼ぐには1億冊売らないといけない。


 東京銀座8丁目ジャガービル13階のレイナは、エントランスに指紋認証システムを採用している完全会員制クラブだ。入退店時に仮面を着用し、入口と出口の導線を異にして、客同士のニアミスを防止していた。かといって個室にはせず、熱帯魚水槽や大型プランターで巧妙に他のボックスを覗けないレイアウトにしながら、ワンフロアのサロン的雰囲気にこだわっていた。

 4人の男が、中央の白いバッファローレザー製1人掛けソファ4脚を花弁型に配置したボックス(センターボックス)に陣取っていた。そこが彼らの定席だった。申し合わせたようにグッチのダークスーツを着たこの4人が、これから2000億円作ることになる。

 彼らの会話を盗み聴きしてみることにする。どの発言が誰かは定かには聞こえないし、仮面を着けたままにしているので、顔立ちもはっきりと見えない。しかし、ドラマのキャスティングでもするのでなければ、そこは重要ではない。

 「おっと、不覚にもワインが切れてるな」

 「オーパスワン、ガヤときたんだ。ロテとしてはコンタドールあたりだな」

 「フランスは外すってことね」

 「コスパが悪すぎ。民間人は予算にシビアにならんと」

 「アメリカは外さないのにか」

 「カリフォルニアは同盟国のよしみだ」

 「コスパなら、我らの定番、議事堂エチケットのカレラ・ジェンセンがいいんじゃないか」

 「いつから定番にしたんだ。それにあれはパーラメント(国会)じゃなくカレラ(石灰窯)だろう」

 「議事堂にも見えんだろう。我らにとっては議事堂でいいじゃんか」

 「どっちでもいいけど、カレラを空けるぞ」

 どうやら4人は揃って相当のワイン党のようだ。大理石の丸テーブルには、ピノ・ノワールとは思えない濃い口のカレラ・ジェンセン(通称カリフォルニアのロマネ・コンティ)のボトル、シャトーバカラ(ワイングラス)が4脚、チーズ主体のオードブルが一皿、そして何よりランジェリー姿の女性キャスト4人が、ソファと同じ白いレザー製のスツールにかけていた。そんなカテゴリーがあればだが、レイナはランジェリー・ワインバーなのだ。4人とも手足がすらりと長く、肌の露出を気にせずに背筋を伸ばして堂々としていて、いやらしい違和感がない。全員がモデルエージェンシーの研修生という触れ込みだ。4人はロングアイランド・アイスティのロングカクテルグラスを手にしているものの、ほとんど口をつける気はない。口当たりよりもずっと強い酒なのだ。キャストがこれを好むのは、どうしても飲みたくない時、ウーロン茶で偽装できるからだった。

 15分ごとにキャストはチェンジしている。密談に夢中の4人は、どんな美女が隣に座っても関心がない様子で、胸元を覗くでもなく、声すらかけない。しかし、聞こえないふりをしていた名前が記憶に残れば、閉店(朝4時)間際になって、近くのイタメシか寿司屋に誘うつもりだった。他の客が先にアフター指名を入れていても、センターボックスには事実上の先取特権(民法303条類推適用)があった。

 「そんな極秘レポート、ほんとにあるのか」

 「北日本大震災発災の2年後、まだ与党だった民友党が、会計検査院法改正(省庁からの渡り禁止、告発権限付与、定年延長)の見返りとして作成させたものだ。事務総長の判断で内閣には提出せず、お蔵入りになったんだ。復興交付金20兆円のうち10兆円がムダになったという幻のレポートだ」上擦った声がプライドの揺らぎを感じさせる。

 「MOF(財務省)の東京廃都シミュレーション以上のケッサクだな」

 「どうやって手に入れたんだ」

 「俺が和泉首相の筆頭補佐官だったこと忘れたのか」

 「政権交代であえなく全員更迭ってことだったっけ」

 「おいおい、民友党に抜擢されたおかげで干されたのはお前らも同じだろう」

 「塞翁の馬ってことだよ。だからこそ我らi4(アイフォー)ここにありだろう」ようやく固有名詞が聞こえた。i4とは、インテリジェンス・フォーという意味。自らこう呼ぶとは、いささか驕った4人である。

 「内容的にはさもありなんだが、ほんとにそれ、BAJ(会計検査院)が作ったのか。俺には信じられん。ガセじゃないのか」

 「ガセかどうかなんてどうだっていい。重要なのは使えるかどうかだ」

 「間違いなく使える。この国のムダの構造は、あのころとなんにも変わっていないどころか、ますますひどくなってる」

 「ムダの構造って、次の本のタイトルか」

 「ムダをリダンダンシー(冗長性)と言い換えたのも今は昔か」

 「ムダ=余裕=利権ということだろうな。この極秘レポートは利権の虎の巻ってところだな」

 i4を自称する4人の男は、どうやら揃って元官僚のようだ。顔を見せないだけでなく、名前も伏せ、互いを呼ぶときには、マスター、スペシャル、テクノ、ジョーカーというニックネームを使っていた。今後の展開のために、4人の素性を明かしておこう。

 マスターは、美稔崇(みねんたかし)、元経済産業省官僚で、旧経済企画庁系、首相補佐官経験者だ。ブリュッセル(ベルギー)の欧州連合日本政府代表部(外務省)に出向経験がある国際派で、4人の精神的なリーダー、49歳である。ディベート能力は霞が関で随一と言われた。原発推進派だったのに、退官後は脱原発派に転向した。

 スペシャルは、笹塚信一郎(しのつかしんいちろう)、元農林水産省官僚で、退官時には北海道農政事務所長だった。4人の最年長、52歳である。奇をてらわぬ重厚さがモットーで、金銭に対する嗅覚が鋭く、悪徳官僚を絵に描いた人物と思われがちだ。しかし実は生粋の農林官僚で、柳田國男(遠野物語で知られる文学者・民族学者、同時に農務官僚で、貴族院書記官長を経て、史上最後の枢密顧問官となった。明治の官僚作家として森鴎外と双璧)の信奉者だった。

 テクノは、拓海法尭(たくみのりあき)、元国土交通省官僚で、旧運輸省系だ。4人の最年少、45歳である。実家は曹洞宗の寺で僧職も持っている。ひょうきんな性格で、i4のムードメーカーを引き受けていた。現役官僚時代は、一休さんと呼ばれていた。武田信玄を崇拝し、座右の銘は風林火山。

 ジョーカーは、善方秀吉(ぜんぽうひでよし)、元環境省官僚で、旧環境庁系だ。他の3人が東大卒(マスターが経済学部、他の2人は法学部)なのに対して、唯一、京大卒(大学院工学研究科)、48歳である。4人の中でも、ジョーカーの奇才は圧倒的だった。その反面、慎重さを欠くきらいがあった。またi4きっての伊達者で、ポケットチーフを忘れず、ミドルロングの髪をブリーチし、美女とワインこそ人生の糧と称していた。

 4人は、10年前の民友党和泉内閣時代に、横串(省庁横断組織)として内閣府に設置された『未来日本委員会』(通称ミニコ)のメンバーで、抜きん出た情報分析力から、いつしかインテリジェンス・フォー(i4)と呼ばれるようになった。インチキ・フォー、イカサマ・フォーと陰口をきかれることもあるにはあった。ミニコの主眼とするところは、脱アメリカ、脱交付金、脱東京、脱GDPの4脱だった。ちなみに民友党の綱領では、これに脱官僚を加えた5脱になっていった。自由民衆党の政権復帰を機にミニコは解散し、4人は揃って退官、『一般社団法人iBフロンティア』を設立し、それぞれにSPA(スーパー・ポリティカル・アドバイザー)として活動し、レイナを例会の会場にしていた。

 ちなみにレイナのオーナーは、元郵政省(現総務省)事務次官で、モバイルキャリア世界首位のメディアフリーダム社日本法人シニアアドバイザー、情報通信業界の妖怪と呼ばれる三宮重正だった。旧大蔵省資金運用部解体と郵政民営化の影の立役者であり、現役官僚時代にはミスターアンチ大蔵省の異名を持っていた。退官後は無類のワインコレクターとしても知られるようになり、好事家にコレクションを公開するため、15年前に『Reina』を銀座に開店した。レイナはスペイン語で女王の意味であり、レイナ・デ・カステーリャ、モンテ・ラ・レイナなど、スペインでは昔も今も、ワイン蔵元の名前に好んで用いられる。レイナは完全会員制で、本会員の同伴または紹介があること、上限額のないプラチナカードかブラックカードを有すること、仮入会から3か月以内に3回来店することが本入会の条件だった。階下のワンフロアをワインセラーとして丸ごと借り切り、停電時の空調のための自家発電装置を備えるという徹底ぶりだ。「ワインは刺身、ウィスキーは干物」が座右の銘で、ウィスキーコレクターを小成金とバカにしていた。三宮がジョーカーの外叔父だということは、周知の秘密である。

 「せっかく虎の巻があったところで、何年も待たされたらかなわんよ。1週間前に富士山が5度目の小噴火、いよいよ大噴火間近か、それとも東・南海トラフ連動地震かという巷の噂しきりだけど、こういう予測は当たった試しがないよな」

 「根拠もなくi4を招集したんじゃない。3か月以内に50%、1年以内に80%の確率で、マグニチュード9クラスのプレート境界型地震が起こる。富士山大噴火は50年以内に20%、箱根を含むカルデラ噴火(破局噴火)は100年以内に1%だよ」断定的な口調は、唯我独尊的性格を表している。

 「それがほんとなら、なぜ、気象庁は発表しない」

 「正式の予知ではないんだ。庁内のプライベートな研究グループが、民間システムの予測を追検証した結果だよ」

 「早海メソッドとかか」

 「さすがだな。早海博士が見逃している予兆を国土地理院の未公表DBで再検討したところ、ドンピシャってわけだ」

 「未公表DBってなんだよ」

 「海底GPS」

 「あちゃー、それまじやばいな。で、被害は」おどけたリアクションは、それくらい知ってるという反語的表現。

 「被害額はまあ、内閣府の想定内ってことになるかな。北日本大震災の10倍以上の未曽有の災害だ。東海だけで、被災家屋は500万棟、死者は20万人を超える。30メートル級の津波の直撃を受けて名古屋の半分が壊滅、日本経済の生産力は30%ダウンする。自動車産業への影響はとくに深刻だ」

 「前の震災以来、こんなに備えてきたのにか」

 「備えっていっても、中途半端なものばかりだし、何でもかんでも全国一律ってのが気に食わん。それでいて自治体がごねると、あっさり譲歩するし、シッチャカメッチャカだよ」

 「夜か昼かで人的被害は相当変わるよな」

 「夜の想定だ。昼間は計算が難しい」

 「逃げる時間が30分もあれば人命には十分なんだけど、日本人はパニックにならないのがかえってなんだな」

 「経済的損害はどうよ」

 「ストックは10%、GDPは瞬間30%やられる。復興特需もあるから、年間じゃマイナス5から10%成長だろう」

 「今からじゃ、何をやってもムダか」

 「どう転んでも物的被害はおんなじだ。防潮堤を1メートル高くした程度でなんも変わらん」

 「30年確率と100年確率の差って、1メートルなのか」

 「やっぱまた原発もやばいのか」

 「ここだけの話、中央電力には御幸崎原発の予防的停止を勧奨してるんだけどな」苦々しい声、俺が現役ならと言わんばかり。

 「言うことを聞かないのか」

 「賠償の要求を検討してるんだ」

 「国家存亡の危機だってのに、たかが原発1つ止めるのにいちいち賠償ねえ」

 「電力も自治体も、原発といえばタカリ癖がついてるんだ」

 「前回の事故の後、全部国有化しときゃよかったものを」

 「我らのIB(インテリジェンス・ビジネス)のベースとなる復興事業はざっとどれくらいになるかな」

 「官民合わせて全半壊家屋1棟あたり1億円の復興事業だと見といたらいい。500万棟なら500兆円だ」

 「そんな金がMOF(財務省)にあればいいけどな」

 「それくらいどうってことないだろう。財投(財政投融資)がいくらあったと思う」

 「約400兆円」

 「そのリベートってロッキード事件(1976)の比じゃないよな」

 「トゥービッグ・トゥーライト(大きすぎて暴けない)だな」

 「郵政民営化(2001~2007)でGS(ゴールデンサクソン金融グループ)にごっそり持ってかれたやつ(GSの仲介で旧大蔵省資金運用部資金のほぼ全額が米国債として運用されるようになったという意味)だな。この際、当時の閣僚へのキックバックも含め、利息をつけて返してもらおうよ」GSが政界に撒いた巨額のリベートの一部は三宮重正にも還流し、レイナのワインコレクションにも使われたようだ。ジョーカー以外は、その詳細を知らない。いや、うすうすは知っている。

 「裏金やリベートはいかん。我らはフェアな報酬以外はもらわない」マスターの高潔さは官僚として類を見ない。それだからこそi4のマスターなのである。

 「i4の目標としては、500兆円の1%(シェア)の1%(ギャランティ)として、各自500億円、合計2000億円か」

 「シェアは5倍高すぎ、ギャランティは5倍低すぎだけど、結果、それくらなら妥当な目標じゃないか」

 「復興予算から2000万円かすめたら横領罪(刑法252条1項)だろうけど、2000億円かすめたらどうよ」

 「乱世の英雄」

 「それは2000億をどう使うかだな。どう稼ぐかじゃない」

 「そりゃそうさ。政府政治家官僚自治体のムダ遣いをとがめるために2000億円拝借するんだ。それをムダ遣いしてはいかんよ」


〈i4の推定現在高〉

 0円


 この密談から10か月後の20XY年10月31日、ハロウィーンデーの午後5時30分に、東・南海トラフ連動地震が発生した。マグニチュードは速報値で9・1、確定値で9・2。最大波高35メートルの津波の来襲で、静岡県から高知県までの太平洋沿岸の中核都市が全滅、名古屋も市街地の3分の1以上を失った。被災建物(全半壊)は505万棟、死者・行方不明者は22万人。被災難民は517万人。複数の原発が被災し、とくに津波の直撃を受けた中央電力御幸崎原発1号炉、4号炉、5号炉がメルトダウンし、日本で2度目のレベル7原子力災害となった。北日本大震災の10倍を超える大災害に、東京証券取引所は3日間休場した後、7日間連続の全銘柄ストップ安、日本国債はトリプルCマイナスに格下げ、公定歩合は3%台に上がり、日本経済はデフォルトの危機を迎えた。

 国家存亡の危機だが、i4の4人にとっては願ってもないビジネスチャンスが訪れたことになる。果たして4人はこの機に乗じ、ほんとうに2000億円を作り出せるのか。それがこの小説の半分の眼目である。ただし、詐欺は禁じ手である。法律が、この小説における利権ゲームの唯一絶対のルールである。この小説の残り半分の眼目は追って知るべし。

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