始まりで終わる
天池
始まりで終わる
満点の星空が草原と美しいコントラストを成していた。僕はここで寝っ転がって眺めていたいと思ったのだが、ミヨコさんは高台へ行ってみようと僕の手を引く。
高台というのは岩で出来ていて、灯台の様なかたちをしている部分で、草原から続いている小さな丘の上にある。高台に座って眺めてみると、広い星空は無限になって、少し向こうに光の海が見えた。
僕は明日あそこへ行ってみようと言ったが、ミヨコさんは今夜の内に行けるところまで行ってみようと言う。けれどもう少し、ここで星を見ていたいわと微笑むので僕は同意した。そのまま僕達は殆ど密着して座っていたが、しばらくするとミヨコさんは眠ってしまった。僕は途端に寒さを感じた。ミヨコさんを起こさない様にしてコートを脱ぎ、二人を包み込んだ。とても暖かかった。風はなかった。
そのまま、僕も眠ってしまったらしかった。初めは二人寄り添ってバランスを取っていたのだが、夜が過ぎる内ミヨコさんが優勢になっていた。体を四十五度程倒して僕は目を覚ました。朝が来ていた。僕は急いでミヨコさんを揺さぶり起こし、しばらく朝焼けを眺めた。彼女が起きたときの弾みでコートが後ろへ飛んでしまったが、立ち上がるまでそのままにしておいた。
僕達は少し急いで海を目指した。丘を降りると光の海は見えなくなり、そして目的地は思っていたよりもかなり遠いらしいことを悟った。
「行けるところまで、行ってみましょ」
彼女はそう言った。
しばらく草むらと岩しかない大地を歩き続けていると、奇妙なものを見つけた。
それは縄だった。先端に円を作る様にして細工がしてあり、もう片方の先は木の枝に括り付けてあった。僕は怖くなった。そのとき、この世界は異常なまでに静かであることに気が付いた。僕が小さく動くたびに、鼓膜にぎしぎしという音が響く。振り向くと、ミヨコさんはそこにいなかった。
僕はどうすれば良いのか分からなくなった。周りには木と草むらと岩しかない。音すらここには存在していないのだ。
僕は海を目指そうと思った。あの綺麗な光の海へ行けば、何か分かることがあるかもしれない。そうして僕はまた歩き始めたのだったが、進めば進む程、先程の縄のことが思い出された。戻りたい、と思った。進む。戻りたい。進む。戻りたい。それでも進む。けれども戻りたい。やがて夜になった。しかし空は分厚い雲が覆っていて、綺麗な星も月も見えなかった。
眠くならなかったので、僕はそのまま歩みを続けた。しばらくして朝が訪れた。分厚い雲の隙間から射し込む光が、僕と草むらを照らした。海はまだ見えない。僕は早くこの単調な視界から逃れたかったが、道は果てしなかった。その内意思もなくなって、僕の足はただひたすら同じ動きを続けるだけになった。
しばらくして、丘が見えた。その丘を静かに登ると、目の前に偉大な海が広がっていた。潮風が僕の前髪をもぎ取り、額を絶え間なく撫でた。
海の水は冷たくて、透明だった。遠くから見ればあんなに光り輝いていたのに、触ってみれば紛れもない水である。水から離れ海辺の岩に腰を下ろすと、左にミヨコさんがいた。
「どこへ行っていたの?」
驚いて僕は尋ねた。
「ずっと横にいたわ。あなたが気が付かなかっただけよ」
彼女はそう言った。
「それよりも、見て欲しいものがあるの。行きましょ」
彼女が僕の左手を急に引くので危うく転びそうになったが、僕はそのぬくもりに安堵した。
彼女はそのまま、小走りで僕をどこか誘った。潮風が僕達の髪をゆらゆらごわごわ揺らした。ミヨコさんがどこまで行ってもスピードを落とさないので僕は少し息を切らして「どこへ向かっているの?」と尋ねた。彼女は「世界の真実よ」と答えた。
しばらく進むと彼女は急に停止して、散らかった髪の毛を整えながら言った。
「ここよ」
僕は呼吸を整えながら彼女の指さす方を見た。
それは穴だった。まるで海の入口の様に、水面にぽっかりと穴が開いている。息を吐く間もなく彼女はまた僕の手を引いて、穴の中へ恐れもなく入って行った。
海の中は暖かかった。そして暗かった。足元も、左右も、上も何も見えない。今歩いているのが通路なのか、それとも海の内部に無限に広がる空洞なのか、それさえ分からないので頼りになるのはミヨコさんの右手だけだった。これまでかなりの距離を走って来たのに、ミヨコさんは信じられない体力を見せる。僕は手をうっかり離さない様注意しながらなんとか付いて行くのが精一杯だった。どこまで行っても彼女は止まる気配を見せない。先程の様にどこかで突然止まるのだろうか。それにしても、こんな暗がりで何も見えないのに何でそんなに自信満々に進めるのだろう? 考えても答えが出る筈もなく、次第に僕は思考する体力も失っていった。
二人の足音だけが響く海の底。僕はたまらなく怖くなって、彼女の右手をもう片方の手でも掴み、紐を引っ張る要領で彼女の腕を伝い、その腰へ抱きついた。
「どこへ向かっているの?」
僕に発することの出来る言葉はもはやこれのみである。彼女はようやく止まって、「もうすぐよ」とだけ言った。
「このままでいさせて」
「それじゃ進めないじゃない」
仕方がないので僕はまた彼女の右手を左手で捉えた。
もう一度進み始めてしばらくすると、黒は紺になって、すぐに青となり、濃は淡へと変貌した。淡い青色の部分はほんの少しで、その先はまた真っ暗闇だ。
その青色の円の真ん中で彼女は止まり、額の汗を拭った。
「ここはどこなの」
「世界の始まりよ」
僕は周りを見渡した。やっぱり何もない。どうしようもない暗がりが取り囲んでいるから、僕達がどこから来たのか、今となってはもう分からない。淡い青は上の方まで続いているが、その果ても境目も、ここから確認することは出来なかった。
「世界はここから始まったの。海も、木も、太陽も、この円が広がる様にして生まれた。そしてここは世界が終わる場所でもある。私達が星の美しさに何を感じて、海の水の冷たさに何を思ったとしても、最後に行き着く場所はここでしかないのよ」
僕は何も言うことが出来なかった。
「この地面の向かい側にね、もう一つ円があるの。世界が終わるときには、今度はそっちの円が大きくなって全てを覆い尽くす。そのときまでここにいましょう?」
とても美しい場所だった。内側から見れば、この場所はたった二色で出来ている。二といえば、僕達にとって根源的な数字だ。
やがて世界は終末を迎え、僕は彼女の右手にキスをした。
始まりで終わる 天池 @say_ware_michael
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