わがままな貴女が好きだから

荒野豆腐

わがままな貴女が好きだから

「かばん、われわれは腹ぺこなのです。早くカレーを作るのです」

 博士は小さな体でフフンと大きく胸を張ってかばんに命令します。

「今日も食材は先に用意しておいたのです。早く取り掛かるですよ」

 助手の私もそんな博士に調子を合わせて催促します。

 博士は椅子にちょこんと座ると、待ち切れないぞと言ったふうにスプーンをぎゅっと握りしめ、足をプラプラとさせます。これは博士が「りょうり」を待ってる間にするちょっとした習慣のようなものです。

 見ていて大変かわいらしいのですが、それを直接本人に言うと「なんですか、からかっているのですか」とむくれてしまいます。

 なので、私はそう言いたいのをぐっとこらえて隣で見守るだけに留めます。

「二人とも、できましたよ〜」

「今日はちゃんとお前が作ったのですね、かばん」

「以前サーバルが作ったものはとても食べれたものではなかったので」

「うう…」

「サーバルちゃんだってどんどん上手になってるんですよ。火も少しずつ扱えるようになりましたし」

 かばん、少しサーバルには甘過ぎはしないでしょうか?私もあまり人のことを言えた身ではないのですが…。

 カレーの美味しそうな匂いに博士は目をキラキラと輝かせます。

 私も思わずよだれが溢れてきました。さっそくいただくとするのです。

 スプーンでカレーを一すくいして口に運ぶと早速口の中に辛さが広がります。額に汗を浮かべながらそれを我慢してモグモグと口を動かすと、今度はジャガイモのホクホクとした食感がやってきました。

「おいしいです。さすがはかばんといったところなのです」

「よかった、おかわりも用意してあるのでたくさん食べてくださいね」

 額に浮かんだ汗をぬぐいつつ、ちらっと博士の方を見てみます。

 博士はまだスプーンが手になじまないようで、手のひら全体でスプーンを握るように持ってカレーをすくって食べています。

 見ていて大変微笑ましいのですが、服がカレーで汚れてしまわないかちょっとハラハラします。博士の場合はシミが付いたら特に目立ってしまいますからね。

(前の博士だったら考えられなかったことなのです…)

 フーフーしながら美味しそうにカレーを食べる博士を見ながら、私は昔のことを思い出していました。


「―博士。博士?」

「おっと、すっかり没頭していたのです。どうしたのです、助手?」

「いえ、読書も結構ですが、たまにはお散歩でもされたらいかがかと思いまして」

 博士が賢くて偉いのは今も昔も同じですが、昔の博士は今と比べてだいぶ物静かで、来客さえなければ一日中図書館にこもって本を読んでいるような方でした。

「そうですね、では図書館の近くを一回りしてきますか」

「それもいいですが、たまには他のフレンズに会ったりしてみては?」

「なぜなのです?」

「なぜって…」

 理由を答えようとして私は言葉をつまらせてしまいました。博士は言外に「自分が他のフレンズに会いに行く必要性はないだろう」と告げていると察してしまったからです。

「助手。島の長である私が他のフレンズと会うのはどういう時かわかりますか?」

「何か問題が起こった時です、博士」

「つまり、私が会いに行く必要がないということは物事がうまく運んでいるという証拠なのです。それが望ましいことなのです」

「ですが博士…」

「長の仕事はあくまでフレンズが困った時、揉め事が起こった時に解決に当たることです。特定の誰かに肩入れすることは避けるべきで、そのためには必要以上に他のフレンズと関わることはあってはならないのです。それに、そもそもフレンズはそれぞれに合ったなわばりの中で静かに暮らすべきなのです」

 博士は「この話はおしまい」と言うようにパタンと本を閉じてしまいました。


 明くる日。目を覚ますと私はびっしょりと冷や汗をかいていました。

 そんな私を心配げに博士が見つめていました。

「助手、助手、大丈夫なのですか?ずいぶんとうなされていたのですよ」

「博士…」

「今日はこうざんちほーに生えている薬草を取ってきてもらいたいと思っていたのですが、気分が優れないようなら私が行くですよ」

「いえ、大丈夫です。行けます。別に具合が悪いところもありませんし」

 気が付くと私は制止する博士を振り切って図書館を飛び立っていました。

 博士を外出させる絶好のチャンスを不意にしてしまったことに気づいたのはもう少し後のことでした。

 こうざんちほーに着いた私は、ものはついでにとアルパカのもとを訪ねることにしました。

「あ、いらっしゃあい!…ってなんだ、助手かぁ…」

「なんだとはご挨拶ですよ、アルパカ。挨拶ついでに一応お茶を飲みに来てやったのですよ。リラックスできるやつを淹れるのです」

 どうぞぉ、と差し出されるが早いか私はお茶をすすり。

「熱っ」

 熱すぎて舌を火傷しました。賢い私にあるまじき失態です。

「助手、何かいつもより不機嫌そうに見えるよぉ。何かあったの?」

 フーフーとお茶を冷ましている私にアルパカがそう尋ねてきました。

 いやそれ、出会い頭にお前に失礼なことを言われたせいなのもありますからね。

「大したことじゃないのです、ただちょっと嫌な夢を見ただけです。それでちょっとお茶でも飲んで心を鎮めようと思いまして」

「そっかそっかぁ。そういうことならどうぞゆっくりしてってぇ」

「ではお言葉に甘えさせていただくとするのです」

 …アルパカはのんびりしすぎたヤツだと思っていましたが、こういう気分の時の話し相手には最高ですね。

 それからしばらく私たちは世間話に花を咲かせました。おかげで私は大変リラックスした時間を過ごせたのですが。

「そういえばつい昨日カフェの宣伝をしに麓に下りた時に聞いた話なんだけどね―」

 何気なくアルパカが口に出した言葉に私は思わず背筋が凍り付きました。

「―失礼、今何と?」

 半ば無意識の内に私は羽根を広げ、アルパカに詰め寄っていました。

「えっと…だからぁ…」

 アルパカは一変した私の様子に戸惑ったかしどろもどろになりながら。


「最近パークに大きいセルリアンが出没してるんだって」


 じゃあ今朝見た夢は…?いや、まさか。そんなはずがあってたまるものですか。

「まだ倒されていないのですか」

「うん、へいげんちほーの方に移動しているのを見たって子もいて…ってちょっと助手!?」

「お暇するのです。お茶、おいしかったですよ」


「―ハア…ハア…!急が…ないと…!」

 心臓が早鐘のように鳴るのは決して単に全速力で飛ばしているからではないでしょう。

 私の頭の中で今朝夢で見た光景がフラッシュバックします。

 懸命にセルリアンに抵抗するも袋小路に追いつめられる博士。セルリアンに飲み込まれ、助けを求めるように手を伸ばすも、その手を取る者は誰もおらず…。

「―っ!?」

 目の前には生い茂った木々が迫っていました。構うものかとと減速せずに突っ込むと無数の枝葉で顔も体も傷だらけになりました。

 ですが、今の私には痛みを感じている余裕などありません。

 森を抜けた私は、博士がいつものように出迎えてくれることを願いつつ図書館に飛び込みました。

 ですが、図書館はひどい有様でした。

 足元には本が散乱し、その中には白っぽいふわふわとしたものが散らばっていました。

 震える手で白いふわふわを掴むとそれは羽毛で…。

「そんな…博士…博士…博士ェ!」

 私は叫びながら階段を駆け上がりました。目の前にハンターの姿が映ります。

「待つんだ助手、博士はもう―」

「そこをどけぇっ!!」

 ハンターを振り切り奥の部屋に飛び込むと。

「助手、帰って来たのですか」

「…っ!博士、その姿は…」

 一見普通に椅子に座っているだけに見える博士ですが、その体からはサンドスターの粒子が霧のように立ち込めていました。

「自分の消えていく姿なんて見せたくなかったのですが…」

 誰も部屋に入れないようにヒグマに頼んでおいたのですがね、と博士は苦笑いをします。

「ああ、セルリアンならヒグマがきちんと退治してくれましたよ、ほんの少し手遅れだったようですが」

「いやです!…そんなの…まだです、まだ何か手立てが…」

「今から火山に行ってサンドスターの塊でも採ってきますか?それとも私を火山まで連れていきますか?いずれにせよ結果は同じでしょうが」

「それは…」

 博士に言われるまでもない話です。今から私が火山に行って帰ったところで時間切れ、ならばと博士を抱えて飛べば今度は飛ぶ速度が確実に落ち、加えて外の風に当たることで博士の体の分解はさらに進むことでしょう。それくらい、言われなくても分かっていたのです。言われ、なくたって…。

「でも…だって…そんなのあんまりです…。あんまりにも、ひどすぎます…」

 胸が締め付けられるように痛み、博士の顔を見ていられなくなり、私は俯きました。

 こらえきれなかった涙が目から零れ落ち、雫が床を濡らします。

「顔を上げるのですよ、助手。その気持ちだけで私は十分なのです」

 それでも私が動けずにいると博士はゆっくりと私に近づき、華奢な腕で私を抱き寄せました。

「ごめんなさい…何もできなくてっ…!」

「助手は何も悪くないのです。私がちゃんと助手の忠告を聞いて他のフレンズと仲良くしていれば図書館に来た誰かが助けを呼んでくれたかもしれなかったのです」

 博士は優しい手つきで私の頬を撫でました。

 嗚呼、その手すらも次第に分解が進んでいきます。

「どうやらお別れの時間が近いようです」

「そんな…博士がいないと私は―」

「約束です。これからはもっと自由に生きるのですよ。それからもし―」

 もしもですがと博士は言い添えて。

「もし、次の私が博士としてここへ訪れたなら、その時はまた同じ過ちを繰り返さないように助手、お前に導いてほしいのです」

「わかりました。約束…しますから…」

 私の返事を聞いて博士は満足そうに目を閉じました。

「ありがとう、助手が優しくて本当に良かったのです。ミミちゃん…願わくば次もお前と…一緒…に…―」

 刹那、窓から一陣の風が吹き込みました。

 辛うじて原型を保っていた博士の体が散り散りになっていきます。

「ああ…そんな…待って、まだ話したいことが…」

 かつて博士を構成していたサンドスター粒子が風に乗ってどこへともなく運ばれていきます。私はよろよろと追いすがりましたが、伸ばした両手はただただ空を切るばかりでした。

 後に残されたのは小さな白いフクロウが一羽だけです。そのフクロウはクリクリした瞳で私を見ると一声「ホウ」と鳴きました。

 その瞬間、私の心に張り詰めていた最後の糸が切れるのを感じました。

「うう…ああ…うあああああああ…」

 声も限りに泣き叫ぶ私をフクロウはじっと見つめていましたが、やがて音もなくどこかへと飛び立っていきました。


 それから数日間の記憶はほとんどぼやけています。ひょっとするとずっと椅子に座って呆けていたのかもしれません。

 その後ようやく心が落ち着いてきた私は、博士の分も長としての仕事をしていました。

 ある日、私が図書館前の草むしりをしていると目の前に小さなフクロウが降り立ってきました。

「このフクロウは、もしや」

 よく見ると、そのフクロウの体にサンドスター粒子が集まっていくのがわかりました。

 フクロウの体はサンドスターの光に包まれ、羽根は縮み、手足が伸び、ヒトに近いシルエットに変わっていきます。

 そしてその手に私とお揃いの杖が現れました。

 虹色の光が立ち消えた後、そこには見慣れたフレンズが佇んでいました。

「博士…」

「あなたは誰ですか?…そして私のこの体は一体…」

 …そうでした、「博士」と私はでした。

「私はワシミミズクのフレンズのミミちゃん、あなたの助手です。あなたの体はサンドスターという物質の働きでフレンズとして生まれ変わったのですよ。さ、詳しい話は図書館の中でしましょうか」

 私はとまどう「博士」の手を引っ張って図書館に連れて行きました。


「ここがどこなのかも私が何者なのかもわかりましたが、私にはまだ聞きたいことがあります」

 パークのこと、フレンズのこと、セルリアンのことを話し終えた私に博士がそう切り出しました。

「あなたは私のことを時折「博士」と呼んでいましたが、それは一体どういう意味なのですか?」

「えっ、私「博士」って言ってましたか?」

「自分で気づいていなかったのですか…。そういえばさっき会った時も自分のことを「助手」だと言ってましたし」

「あ…つい以前のクセが」

 これはちょっと…いやかなり決まりが悪いですね。

「コホン、フレンズの成り立ちとセルリアンのことについて先ほどお話しましたね」

「えっと、フレンズは動物がサンドスターによって「かがやき」を得て生まれ、セルリアンはフレンズを捕食することで「かがやき」を奪う。「かがやき」を奪われたフレンズは元の動物の姿に戻る、でしたよね。…あれ、それって一度フレンズになったことのある動物がもう一度フレンズになることもあり得るのではないのですか?」

「ええ、お察しの通りです」

 この頭の回転の早さ、あなたはやっぱり―。

 一瞬の沈黙の後、躊躇いがちに博士は口を開きました。

「私も今より前にフレンズだったことがある。そしてあなたと親交があった。そうですね?」

 参りました。うっかり大ヒントを与えていたとは言え、やっぱりあなた相手に隠し事はできませんね。

「あなたと私は…はそれぞれ博士と助手としてパークの長を務めていたのです。あなたがいなくなってからは私が一人で長をしていましたが。なので―」

 この先を告げるべきか少し迷いました。ややこしいようですが今の博士はまだ「博士」として生きると決まったわけではないのです。そして、これから先どうするのかは博士自身の意思で決めるべきだからです。


「―もう一度博士として、私と一緒にパークの長をやってくれませんか?」


 それでも私は私自身の願いを伝えることにしました。それに対する博士の答えは―。


「―お断りします」


「…えっ」


 即答でぶった切られました。

 いやちょっと待って、確かに無理強いはしませんがもうちょい考える余地が―。

「って言ったらどう思います?」

「ん”な”っ”!”?”」

 思わず椅子から転げ落ちそうになりました。

 しかし、今ので私の心に火が着きました。上等です、こっちだって伊達に長やってるわけじゃないって所を見せてやりましょうとも。ええ、私のワシ的部分を発揮してやるのです。

「ほーう、けものが真面目な話してるのにそういう態度を取るんならこっちにも考えがあるのです」

 様子が変わった私に博士が怯えた表情を浮かべましたが、フフフ、もう遅いのです!

「ふざけたことを言うのはその口ですかあ~?」

 私は素早く腕を伸ばすと博士の頬っぺたをつまんで引っ張ってやります。

「ふはー!ほへんははい!ははひて!ははひてふははいはほへふ!!(うわー!ごめんなさい!放して!放してくださいなのです!!)」

「フハハハハ!暴れたって無駄なのです!私の方が力が強いのですよ!」

 そうこうしている内にお互いになんだかばかばかしくなり、気が付くとわれわれは笑っていました。

「プッククク…何笑ってるのですか、おかしな助手ですね」

「ウフフ…博士の方こそ笑っているじゃないですか、変な博士」

 あれ…?今確かに私のことを助手って…。

「私に一緒に長をやって欲しいとのことでしたね」

 博士はにっこりと笑って言いました。

「言われた通り長をやるとするのです。とはいえ分からないことだらけですので、そのへんよろしく頼むのですよ」

「はい!これからよろしくお願いします!」


(この後博士がりょうりの本を見つけて、ヒトのフレンズが来たらりょうりを作らせることにして今に至る…と。)

 回想を終えた私は改めて博士と交わした約束を守れているのかを自身に問いかけてみます。

 おそらくその答えはイエスでしょう。

 今カレーを食べている博士は幸せそのものといった様子で、以前の博士が抱えていたような影は微塵も感じられません。

 ですが、今の博士が幸せそうに見えるのは博士自身の力によるものであり、私はほんの少し助力をしただけです。

 なんたって私の博士は誰よりもかしこいのですから。

「…なんですか助手、私の顔をじっと見て。私の顔に何かついているですか」

「そうですね、ほっぺにカレールーがついているのです」

「なっ…」

「ふふっ、博士は子供っぽくてかわいいのです」

「むー!なんですか!からかってるのですか!」

「うみゃー!ケンカはダメだよぉ!」

「ふ、二人とも落ち着いてくださーい!」

 ああ、かばんとサーバル、お前たちには本当に感謝しているのです。

 おかげで今日も図書館は賑やかなのです。

(…きっとこれから先どんなことが待ち受けていようとわれわれならきっと乗り越えられるのです)

 博士に胸をポカポカと殴られながら私はそんなことを考えているのでした。

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