第2話 Rise ーライズー

 そこは、「めし屋」と呼ぶのがふさわしい場所であった。


 表通りから外れた裏路地の一角に暖簾のれんを掲げるその店は、店の大きさも、ともす灯りの色も、昔ながらの「我が家」というものを思い出させる。


 そこでは店主が一人、やってくる客を迎える。カウンター席が主なスペースで、入ってすぐ脇に、小ぶりの机と椅子が一揃えあるだけだ。


 店主は寡黙な人物である。よわいは50半ばといったところか。がっしりとした体格の、禿頭とくとうの男である。 


 客は二人。入り口から見て左奥のカウンターに、男が並んで座っている。そのうちの一人、分厚いメガネをかけた男がポツリと話し出す。


「米は……至宝だな」


 もう一方の男は表情一つ変えず、もくもくと箸を動かしている。その左手には大振りの御飯茶碗があった。


「戦時中、米は超がつくほど貴重な食物だったそうな。食べ物が不足していた当時にあって、この輝きを指して『銀しゃり』と呼んだのも、なるほど、うなずける」


 そう言って自らも米を口に運ぶ。そして一粒一粒を文字通り噛み締める。


 この男、名を米沢九郎よねざわくろうという。まがりなりにも一企業の一社長である。年は30半ば。20代後半でち立ち上げた、いわゆるベンチャー企業が、やっと軌道に乗り始めていた。


「昨今は五穀米だとか雑穀米だとか、あえて米以外の穀物を入れる場合も多い。あわひえといった、日本で古くから食されてきた穀物がよく入れられる。まさに食の原点回帰だ。そういえば最近よく目にする発芽玄米。これは玄米−すなわち胚芽を残した米だが−を水につけておき、発芽したものをいう。発芽することで酵素が活性化し、天然アミノ酸の一つ、『GABA《ギャバ》』が増加する。そう、『GABA』だ!」


 米沢は、地底を走るマグマのように熱く、しかし静かに、再び口にする。


「『GABA』だ」


 隣の男は最後の米粒をかきこんでいる。


「「GABA』……」

「いいよ! 分かったよ! 気に入ったのかよ! 何となく音がいいもんな! 声に出して言いたい日本語じゃないけど、そんな言葉だよ!」


 隣の男は堰が切れたようにしゃべりだした。今までの沈黙は、相当な我慢を強いられたようである。


 この男、名を畑山耕士郎はたけやまこうしろうという。米沢の高校時代からの知己である。米沢とともに今の会社を立ち上げ、現在は専務の役職についている。ついでに、社長である米沢の無茶振りや暴走を、たしなめる係でもある。


「さらにいうと、お前の米に対する情熱も愛着も薀蓄うんちくも分かったし……あ〜……それ以上に相口あいくちさんが大好きだってことも分かってるよ」


 そう言われて米沢は狼狽する。


「なっ! ばれて……いたというのか!?」

「わからいでか! いつもいつも相口くん相口くんって、みんなが必死こいて仕事しているときに堂々と話しかけるじゃねぇか! 少しは時と場所を考えろ! 俺はいつパワハラかセクハラで訴えられるのかと、ここ数日ヒヤヒヤしっぱなしだ!」


 畑山は肩で息をしながらまくしたてると、水を一気に飲んで冷静さを取り戻した。


「なあ、おい。この際はっきり言うけどさー、あんまり脈ねーんじゃねーの? 相口さん、いつもいつもお前の会話を疎ましそうにしているようだし。なんつーか、心のこもった返事があったためしがない、だろ? だとしたら、やっぱりお前がいつもしていることは、パワハラかセクハラ以外のなにものでもないと思うんだよ。いいかげん諦めて……」

「コウよ、それは杞憂にすぎない。古代中国、『杞』という国の人間が、空が落ちてきやしないかと悩みすぎてノイローゼになってしまったという故事そのままに、必要のない心配にすぎない。彼女はな、ただ少し、そう、ほんの少しだけ、シャイなだけなのだよ」

「ああ、そうだな。俺、お前のそういう年中無休でお花畑な頭、嫌いじゃないんだ」

「……褒めているのか?」

「もちろん」

「ふむ。だが、まあ、そうだな。確かに相口君も、多数の視線に晒されながら愛を囁かれるのも不本意ではあるのだろう。ここはお前の助言にしたがっておくか」

「うん、なんかもう、それでいいや。結果的に直してくれるのなら」


 畑山は知っている。米沢が表面では阿呆なことを言っていながらも、至極真面目な男だと。やると決めたことは絶対にやり通す男だということを。そしてその一本気な性格のため、会社設立の影で、いかに辛酸をなめたかということを。何せその全てをともに見てきたのだ。なるべくなら本人にはハッピーエンドを味わってもらいたいが、あのクール女子を見ている限り、その期待は持てそうにない。


(あいつは会社の支柱だが、どうも頭のネジが飛んでいるところがある。加えて相口さんも俺の見る限り貴重な戦力だ。辞められるにしろ、訴えられるにしろ、会社にとっては大打撃になること間違いない)


 そう思いながら、自分は結構な人でなしだと、畑山は自嘲気味に笑った。一会社員の気持ちより、会社そのものを優先するとは……


「そういやさ、お前、相口さんのどこがそんなに好きなの?」


 全てだ! みたいな答えが返ってくるかと思いきや、意外にも米沢はコトンと茶碗と箸を置いて、すぐには話さなかった。


「うまく言えないが……」


 と前置きして、米沢は淡々と話し出した。


「『ブレンド米』というものがある。単一品種で袋詰めされる『ブランド米』に対して、複数の銘柄を混合した米だ。実はな、『ブランド米』の種類が少なかった時代、ほとんどの米屋は『ブレンド米』を作っていた。何も悪さをしようというわけではない。『ブランド米』が入ってくる量がどこもかしこも限られていたのだ。そこで、その限られた量をブレンドし、いかに美味しいご飯として販売できるか、これが米屋の腕の見せ所だったのだ」


 相変わらず、本人はいたって真面目な語り口だ。


「だが、米の表記基準が改められたり、販売の自由化による価格競争で、そういったことは行われなくなった。今では『安価だが少々低品質な米』としての評判が一般的だろうか……」


 米沢は涙を流した。それが、何のための涙か、知るものはいなかった。


「しかしな、俺は思う。『ブレンド米』は『ブランド米』の代用品ではないと! 『ブレンド米』は、米屋の誇りと、未来を託された米なのだ! 『ブレンド米』は、何かに代わるものでも代わられるものでもない!」

「よく分からんけど分かったから座れ」


 激昂する米沢は、椅子から立ち上がっていた。どうもこの男、感情が高ぶると立ち上がる癖があるらしい。


「相口君はな、そんな『ブレンド米」のような存在なんだ」


 肩を落として座る米沢。

 脈がないことを薄々感じていたのだろうか……

 だとしたらやはり悪いことを言ったか、と少し後悔する畑山。

 二人の男の時間はしばし止まる。


 が、そこへ、二つの茶碗がそれぞれの目の前に置かれる。


「うちも『ブレンド米』だよ。料理にあった米を、と思ってな」


 店主であった。逆光で表情が読み取れないが、笑っていたように思う。


「米だけはある。腹一杯食っていけ」


 そう言って店の奥に消えていった。


『おやっさん……』


 二人の男は泣いた。訳も分からず涙を流した。店主の広い背中がそうさせたのか、米の美味さゆえなのか、それは誰にも分からない。

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