第16話 先生が教えてくれたんです
先生の教えを咀嚼して、俺なりに導きだした言葉。
樹と咲は、どう受け止めただろうか。
不安になって二人のことを見やったら、咲の薄く色づいた唇からその日初めて言葉が漏れた。
『ビッ、クリした……。あたしも、ハルのことだから三人で続けたいって言ってくれるのかなとは思ってたけど……まさか、あの馬鹿ハルに賢く論理的に説得されるなんて想定もしてなかったよ。どうせ根拠もなく、頑張ればどうにかなる! の一点張りなんだろうなぁって思ったりしてゴメン』
『格好良く決まったと思ったのに、酷くない!?』
悔しくて『うがーっ』て唸ったら、咲も樹もケラケラ笑いだした。それまで触れたら割れそうなほどに張りつめていた空気が一気にゆるやかになって、気づいたら俺も笑ってた。
場に流れ出した柔らかい雰囲気が、三人の心も溶かしだしていく。
咲はくすくすと笑った後、徐々にその愛嬌溢れる笑顔をひそめていった。それからいつになく真面目な顔つきをして、一度、浅く息を吐き出す。
ややもして、その吊り目気味の瞳に強い意志がゆらめいた瞬間、咲はついに本心を吐き出す覚悟を決めたのだと察した。自然と肩が強張る。
『あたしもね、ずっと考えてたんだ。このまま解散して二人が別の人とライヴに出ている姿を目の当たりしたら、後悔するんじゃないかなって。でも、どんどんキツくなっていく練習に心が悲鳴をあげてたのもホントだったの。特に、この前の練習日は、クラスで仲良い子たちが放課後にみんなで新しくできたパンケーキ屋さんに行こうって話で盛り上がってて……ホントはあたしだって行ってみたいのに、あたしはいつもドラムばっかだって思ったら、なんか、むしゃくしゃしてきちゃって……。二人とも、八つ当たりしちゃってゴメンね』
変に言い訳はしない。でも、自分が悪いと思ったことはきちんと謝る。
咲らしい、誠実な謝罪の言葉だった。
中学時代から、根がとてもまっすぐな子なのだ。
樹も、真剣に咲の紡ぎだす言葉に耳を傾けていた。
『でも、ね……ハルが、そんなあたしと、それでも一緒にバンドを続けたいって言ってくれて、凄く嬉しかった。ありがとう。ホントはね、許されるならこれからも二人とバンドを続けていきたいんだよ。でも……友達とのパンケーキも捨てきれなかった中途半端なあたしが、バンドだけにひたむきな二人にそんなずうずうしいことを言える権利はないよなって思っちゃったんだ。実は、ちょっと前から、二人ほどの楽器の腕があればいくらでもあたしより上手なドラマーと組めるんだろうなって悩んでたこともあって……それで、いつか二人に見放されるくらいならっ、自分から立ち去ろうって……っ』
女子にしては少しだけ低めのハスキーボイスは、本音を曝け出す不安にひどく掠れていて。涙交じりのその声は、直接、胸倉をつかんでくるようだった。
いつも陽気にふるまっている彼女の裏に隠れていた、か弱い本心。
きっと、根が真面目過ぎるからこそ、咲はここまで思い悩んでしまった。
ほんっとうに、バカな奴。
こんなに追い詰められる前に、ちゃんと、こうして腹を割って話してくれれば良かったのに。
だって、中学時代から三人で積み上げてきた絆は、そんなに脆くないだろう?
それに、俺らは咲が思っている以上に咲の腕を認めているし、誇りにも思っているんだよ。
そう口にしようとした時、
『咲のドラムは、他の誰にも負けてねーよ』
樹が、俺の胸に渦巻き始めていたものを読み取ったかのように、今までむっつりと引き結んでいた唇を開いて、言葉を発した。伏せられていた咲の瞳が、驚きに瞠る。
『ハルだけじゃない。俺も、咲のドラムが好きだ。そりゃ、技術的な部分では中学時代からやってるやつにはかなわねーかもしれねえけど……お前は、誰よりも、楽しそうにドラムを叩くだろ? 心の底から楽しんでドラムを叩いてる咲を見てると、こっちも気分がノッてくるし、胸がスカッとする』
樹が、尖った八重歯を見せながら、ニカッと笑った。
『それに俺、ハルに言われて、ようやく一番大事なことに気が付いた。きっと、どんなにドラムが上手い奴がメンバーに加わったとしても、咲の穴は埋められね-んだろうな。たしかに演奏レベルは上がんのかもしれねえけど、そいつと俺らの曲の趣味が合うのかも分かんねーし、そもそも気が合うかすら分かんねえ。その点、好きなバンドが一緒だったところから始まった俺らが選曲で揉めたことは、考えてみれば一度もなかったな。それに、中学時代からの腐れ縁だから性格も知り尽くしてる。いままで当たり前すぎてあんま意識したことなかったけど、これって、一緒にバンドをやっていく上で一番大事な͡コトだ。失う前に気づけて、本当に良かったぜ……ありがとな、ハル』
ただ上手い演奏をできれば良いわけじゃない。
最高に気の合う仲間と、全員が心から好きだと思っている曲を演奏できること。
これこそが、何に替えてでも守っていくべき奇跡的で尊いものだった。
今、俺たち【スリースターズ】の心は、紛れもなく同じ方向を向いていた。
『さて。新歓ライヴまでもう時間ねーし、そうと決まれば、早速、作戦会議すっぞ!』
*
あたたかに降り注ぐ日差しに、しっとりと汗が流れる。
アンプから流れ出して未だに空気を震わせている音の余韻に、ああ、楽しい時間って本当にあっという間に終わってしまうなぁと、早くも心が淋しく傾き始める。
視界の端には、全力投球で歌いきった樹が息を整える姿があって。身体を少し後ろに振り向ければ、肩で呼吸をしながら、やりきった清々しさに安堵している咲の姿が映った。
また、この三人で、ライヴに立てたんだ。
胸が、じんわりと熱くなる。
『以上、スリースターズでした! 皆、聴いてくれてありがとう!』
堂々とした樹の締めくくりの言葉を皮切りに、先程までの俺たちの演奏に負けないくらいの大きな拍手が鳴り響いて、目頭が熱くなる。
俺たち、やりきったんだ。
最近少し慣れてきてしまって色褪せつつあったライブ後の光景が、再び、虹色に輝きだす。
いつも以上に眩しくて、愛おしくて、胸がいっぱいだ。
ぼんやりと夢見心地で、想像以上に沢山集まってくれた大勢の観客を見渡しながら、心は浮かび始めているたった一人の姿を求め始めていた。
先生。
田上先生は、見に来てくれただろうか。
いくら地上を見渡しても、ほころぶ花のように美しく可憐なあの人は見当たらなくて、心が地面にめり込みそうなほどに沈みそうになった、その時。
向かい側の校舎の空き教室の窓辺にもたれかかったその人が、春のひだまりのようにあたたかい微笑を浮かべて、ひっそりと俺らに視線を注いでいた。
そのことに気づいた瞬間、これ以上にないくらいの幸せで心が甘く満たされていく。
ねえ、先生。
先生が熱く哲学を語ってくれたから、三人で再びライヴに立てました。流石にたった数日間で新曲を完成させるのは無謀だったから、今回は今までにやった曲をアレンジして、より格好良く仕上げる形に落ち着きましたけれども。
そう言ったら先生は、『大げさすぎるわ。私が語ろうと語るまいと、天野君はライヴに出ていたんじゃないかしら』ってそっけなく言うかもしれない。
でも、先生の話を聴く前の俺は、やっぱり咲の言う通り『三人で頑張れば、どうにかなる!』という根拠のない精神論を語ることくらいしかできなかったと思います。
先生の教えを受けたからこそ、それよりもずっと深い部分で、二人を納得させられたんです。
人は、それぞれ全く異なる価値観を持っている。
どれだけ気の合う人と一緒にいても、多少の諍いは必然的に起きてしまう。
でも。
だからこそ、多少のすれ違いぐらいで絶望する必要は全くないのだと、先生が教えてくれたんです。
今度、田上先生とあのカフェで会ったら真っ先にそう伝えよう。
大気を揺るがすような拍手の中、遠くでひっそりと見守ってくれている先生のしとやかな笑顔を胸に、その時が来ることを待ち遠しく思った。
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