第十話 疑心の戦場

 王国領キャスリー近郊きんこう――。


 早朝の澄み切った空気をかきまぜながら、神星王国軍は丘陵地帯に軍を進めていた。

 三万の大軍が、街道を進む様子は圧巻の一言だった。


 帝国軍は西の街道から軍を進めている。


 そして放っていた斥候せっこうが三キロの距離に敵を補足した。

 フリードリッヒは見晴らしの良い開けた街道脇に、本陣をたてた。


 敵の総勢は一万にも満たないという報告だった。


(こんな小勢で我々に挑もうというのか。

愚かな。

所詮は、小勢力か)


 このまま王国軍だけで揉み潰すことが出来るだろう。


 その時、兵士が本陣に現れ、副官のコンラッドに耳打ちをする。


 コンラッドが呟く。

「ご苦労。下がれ」


「どうした?」


「将軍。ひとまずこちらへ」


「分かった」


物見ものみの兵が、敵軍の位置がおかしいと」


「おかしい?」


 コンラッドは数十名の護衛と一緒に近くの丘へ上がった。

 そこからなら、ここ一帯の地形を目にいれることができる。

 街道に異端者の軍があった――のだが。


「な、何だ、あれはっ……」


 フリードリッヒは思わず呟いてしまう。


 敵軍は、帝国軍に対して無防備な横っ腹を見せるように着陣し、神星王国軍と対峙たいじする格好だ。

 まるでこの戦場には自分と、神星王国しかいないかのように、帝国への備えなど微塵もない。

 このままいくさとなれば、敵は帝国に柔らかな横腹をたやすく食い破られ、多大な出血を強いられる。


「連中は戦を……」

 思わず呟いたが、“あきらめたのか”――それは言葉にはならなかった。


“親愛なるヴァラキア総督殿

 以前からの申し合わせの通り、王国軍のことはよろしく頼む

 あなたの永遠の友 ロミオ・ド・アリエミール”


 あの書状の文面が脳裏のうりぎったのだ。


「戻る」

 フリードリッヒは馬首を返し、本陣に戻った。


 そして本陣に戻るなり、「あの女を呼べ!」と叫んだ。

 すぐに兵士に挟まれ、マックスが現れた。

 水しか口にできない環境で、少なからず女の顔には疲労の色があった。

 それでも切れ長の双眸の光は強い。


「お前の仲間たちはこの戦を、諦めたようだぞ」


「へえ」

 女は生意気な笑みを浮かべる。


「もうしらを切ることはやめたのか?」


「ここまできたんだもん。

あんたらは負けるわ」


「おい、貴様、将軍の御前だぞっ!」

 兵士が女の後頭部を殴りつける


 女はひざまずくような格好になり、顔を歪めながらも、その不遜ふそんな目つきをやめない。


「あんたたちは、負ける。私たちと帝国に挟撃きょうげき――」


 兵士が激昂げきこうする。

「貴様!」


「やめろ。お前たちは下がれ」

 フリードリッヒは兵士たちを下がらせた。


「……兵士の教育がなってないないわよ」


女狐めぎつね

お前たちは本当に五万もの大軍を相手にして勝てるとでも思っているのか。

お前の仲間は、帝国に対して無防備だ。

そのまま帝国が攻めれば、軍は算を乱して潰れる」


「そのまま帝国が攻めれば、でしょう?」


「ずいぶんと余裕だな。

攻めないとでも?

帝国は我々と同盟を組んでいる」


「そう思うのなら、そのまま戦えば良い。

私をこうして呼んだのは、怖いから、でしょう?

あなたの疑惑はどんどん大きくなっている。

今にもあふれだしてしまいそうなほどに……」


「帝国がお前達と組む理由はなんだ?

何の利益がある?」


 マックスは笑う。

「決まっているじゃない。

私たちがあなたたちに負け、西方四州が吸収されれば、神星王国は前と同じ勢力を取り戻す。

でも私たちと今の王国領を分け合うことになれば、帝国は広大な領地を手に入れるこができるし、大陸随一の大国になれる。

帝国が本心であんたたちと同盟が組みたいとでも?

嫌なのは、向こうも一緒よ」


 フリードリッヒは獰猛どうもうな笑みを見せる。

「よくも回る口だ。

そんなにペラペラしゃべるのは、お前が俺に疑心ぎしんを植え付ける為だけに行動していると宣伝しているようなものだぞ」


「今さら隠し立てをする必要はないわ。

私の言葉を信じていないんだったら、別に私が何を話そうが何も変わらないじゃない」


「何も感じないのか?

仲間が危機にひんしているというのに」

 フリードリッヒは剣を抜き、マックスめがけ振り下ろす。


「将軍!」

 コンラッドが叫ぶ。


 剣は首筋ギリギリのところで止めた。

 それでも女は真っ直ぐにフリードリッヒを見つめることをやめず、身動ぐこともしなかった。


 フリードリッヒは一瞬、ぞくりとする。


(薄気味の悪い女だ)


「敵は何を考えて、あんな少数でわざわざ両軍を迎え撃った?

勝算があるのだろう。

別働隊による奇襲か、陥穽かんせいか」


「どうしてそんなことを知りたいの?」


「味方の損害は少ないに越したことは無い。

お前が話せば、損害は小さくて済む」


「良いわ。教えて上げる」


殊勝しゅしょうだな」


「この軍が私たちの軍に食らいついた瞬間、帝国があなたたちの横っ腹を――」


 フリードリッヒは剣の束で、女の顔を殴りつけた。

 マックスがふっとび、地面を転がる。

 顔を上げた女の頭から血の筋が流れる。

 すぐには立ち上がれないようだったが、それでもその目はフリードリッヒを見続けている。


「女、お前は……」


 そこに、兵士が現れる。

 兵士は本陣の様子にぎょっとしたようだ。


 コンラッドは言う。

「どうした」


「……て、帝国から伝令が来ましたが、いかがしましょう」


 フリードリッヒはマックスを見下ろしたまま言う。

「通せ」


 伝令が姿を見せた。

 一礼し、告げる。

総督そうとくからでございます。

かねてからの手はずどおり、先槍さきやりほまれを、とのことにございますっ!」


 マックスは微笑んだ。

「先槍の誉れを譲られるなんて素晴らしいわね」


(帝国は先槍の誉れを譲るのは、今度の戦いはあくまで神星王国軍のものだから、と連中は言った。

あんなことを騎士たる者が軽々かるがるしく口にするようなことか?)


 異端者どもと帝国が手を組めば、王国軍と同等かそれ以上の兵力だ。

 それに前後を挟まれれば、壊滅は必至ひっし


 馬車の件もまた、脳裏によみがえる。


 女の笑みと、声が脳裏を駆け巡った。


 フリードリッヒの沈黙に、帝国の伝令は不審ふしんがる。


「……将軍。お答えを」

 コンラッドが沈黙に耐えきれず、そう口走った。


 小さく息を吸い、フリードリッヒは伝令を見る。

「アンドレアス殿にお伝えくだされ。

敵勢は横っ腹を帝国軍に見せております。

まずは帝国軍が進めば、敵は壊乱いたしましょう。

先槍の誉れは結構だと。

今は一刻も早い異端者の駆逐を優先したいと」


「……はっ! うけたまわりましたっ!」

 伝令は本陣を飛び出していった。


「将軍。……よろしいのですか」


「帝国軍が異端者に食らいついたのを見届け、両軍を包囲殲滅する」


「将軍!

味方を討つので御座いますか!?」


「帝国は敵だ。

昔から、今も、そうだ」


「この女の言うことを信じると!?」


「ではなぜ、帝国は自らが有利な位置にいながら、我が軍を先に進めようとする。

背後を衝かれれば、我が軍といえども耐えきれぬ」


「そ、それは」


「馬車の件はどうだ」


「……しかし」

 コンラッドは目を伏せた。


「二万の軍をもって敵軍を包みこめ。

そして十二分に帝国兵を本陣より引き離したところで、残った兵八千をもって帝国本陣を突けっ。

帝国本陣への攻勢はお前に任せる」


「か、かしこまりました」

 コンラッドは血の気の失せた顔つきで、命令を復唱した。


 はは、とマックスは笑う。


 フリードリッヒは女を一瞥いちべつする。

「お前の目の前で、仲間の首をねていやる。

お前は最後だ。

味方の血に染まりながら死ぬが良い」


                    ※※※※※


 帝国軍本営。

 アンドレアスは伝令からの言葉にうなずき、フランツを見た。

 顔には苦笑が浮かぶ。

「騎士のくせに戦を知らぬ、と思われたかな?」


 フランツは迫り出した壁のような堂々とした体躯を身動みじろぎもさせず、答える。

「どう思われようが、それこそどうでも良いこと。

戦で首級くびをあげれば、優劣はおのずとつきます」


「そうだな」


 愛息、フランツはまさしく自分の生き写しだとアンドレアスは思う。

 ただフランツは時に血気に走るところがあり、危なっかしい。

 

(エリキュス……)

 自分では無く、小さな舞台小屋で女優をしていた可憐かれんな妻に似た息子。

 十歳の頃に教団へ入り、それからは一切会ってはいない。

 妻とは手紙のやりとりをしているようだったが、アンドレアスは職務でほとんど家にいなかった。


 血を分けた息子ながら、遠い存在――。

 その分の愛情もフランツにいってしまった、そんな気がする。


 そしてその息子と戦うことになろうとは。

 それも、エリキュスの所属する軍は、帝国軍に剥き出しの横っ腹を見せて、守りを固めているという様子がない。

 それに罠の匂いを感じて、念入りに斥候をとばしたが、伏兵はないらしかった。


「――父上。

あれは、自分で選んだのです。迷いはないでしょう」


 フランツは、まるで心を読んだように言った。


「そうだな。

戦場いくさばともなれば、親も子も関係無い。

勝つか負けるか、死ぬか生きるか――それだけよ」


 そこへ伝令が飛び込んできた。

「神星王国が動き出しました。およそ二万の軍勢かと」


 敵軍との距離は、帝国軍の方が近い。


「一万五千を出せ」


「出し過ぎでは?」


「力量は数では決まらない。

どのような状況にも耐えうるようにしたい。逐次ちくじ投入のような愚は犯さない」


 フランツはうなずき、伝令に伝える。

 伝令は復唱し、駆け去った。


 そして軍が出立する。

 その動きを、アンドレアスとフランツは護衛と供に小高い丘から見下ろす。


 帝国軍が真っ直ぐ、敵軍の脇腹を突く。

 瞬間、何かが起こったような気がするが、それが何かを見極みきわめる前に、神星王国軍の大軍が駆けつけた。


(もうおしまいだろう)

 そう思った次の瞬間、目をみはる。


 王国軍は軍を大きく両翼に伸ばし、帝国軍を背後より襲ったのだ。


「あ、あれはどういうことだ!」


 アンドレアスは声を上げた。

 しかしフランツを含め、誰もが唖然あぜんとして答える声はなかった。

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