第九話 疑心の足音

 フリードリッヒは捕らえた女の元へいく。

 女は荷物置き場にされている幕舎の中で、手を背中に回した上で、縛り付けられ、転がされている。


 フリードリッヒが幕舎に入ると、女がはっと顔をあげる。

 その目の中にはびがある。

「ねえ、助けて!

本当に私は知らないんだからさ!」


 副官のコンラッドが告げる。

「本当のことを言えば、解放してやる。

が、嘘だと判断すれば、首をねる」


「わ、分かったわ!

何でも聞いて!」


 コンラッドは言う。

「あの書状に関してだ」


「だ、だから、私は何も知らないんだって」


「お前は聞かれたことにだけ答えれば良い」


「……わ、分かったよ。

そんな怖い顔、しないで」


 媚び。


「我々は異端者の軍と戦うことになる。

異端者どものことは知ってるだろう」


「ま、前の王様でしょう……?」


「そうだ。

そして我が軍は、帝国と協力して異端者を討伐するために出陣している。

この書状にあるヴァラキア総督というのが、その帝国であり、ロミオというのが異端者のことだ」


「あ、あんまり難しいこと言われても分かんないよ。

ねえ、お腹すいたんだけど――」


「お前が麦の袋を受け取った男というのはどんな風体ふうていをしていた?」


「……中年オヤジ。

別に怪しいところなんて何もなかったわ」


「あくまであの書状に関しては何も知らない、そういうことだな」


「そうよ!

何度も言ってるじゃない!」


「ならば馬車が止まった時、どうして逃げ出した。

何もやましいところが無ければ、逃げる必要などない」


「盗賊だと思ったの。

ここ最近、そういうのが多いじゃない」


「女、名前は?」

 それまで黙っていたフリードリッヒが言う。


「マックス」


 フリードリッヒは鼻で笑う。

「こんな下らない書状で我々の心を乱せると思っているのなら、それは浅はかというものだ。

このような策はろうするだけ無駄だぞ」


「ね、ねえ、あなたがここの軍隊で一番えらい人なんでしょう。

何でもするから。

縄をほどいてくれた、あなたが好きなこと何でも……」


「ふざけたことを言うな!」


 フリードリッヒはマックスの胸ぐらをつかみ、持ち上げた。

 女の顔が苦しげに歪んだ。


「このまま首の骨を折って殺してやっても良いんだぞ」


「た、……すけ……っ」


 フリードリッヒは女を投げ捨てた。

 マックスは地面を転がり、ゲホゲホとせながら、仰ぎ見てきた。


「不敵な目つきだな。

そんな目をする奴が、何も関係無い、一般人だと?

よく聞け。

お前たちがどんな策をろうそうとも、我々はお前ら異端者を皆殺しにしてやる。

それまでは生かしてやる。

仲間が目の前で血まみれになるのを目の当たりにし、絶望に落ちろ」


 フリードリッヒはたち上がると、幕舎を出た。


 コンラッドが言う。

「……あの女、本当に間者なのでしょうか」


「あまりにも都合が良すぎるとは思わんか?

離間りかんは基本で、我らと帝国の関係はもろい」


「……しかし」


「お前は甘いな。あの女から目を離さないよう兵に言っておけ」


「かしこまりました」


 本営に戻ると、使者が書状を手にしていた。

 それは帝国に送った書状の返事である。


 内容は二つ。

 行軍を一日送らせることと、乗合馬車のりあいばしゃの行方についてである。


 乗合馬車を検問けんもんした兵士によると、他の何も問題のなかった連中はそのまま送り出したのだという。

 馬車は帝国が本営をおいた西側の街道を進んで行ったと言っていた。


 帝国の方でも不審な馬車に関しては調べてあるだろうから、何か分かったことがあればと思ったのだ。

 無論、乗合馬車と具体的には言ってはいない。

 何か歩哨ほしょうの検問に引っかかったものはなかったか、と聞いたのだ。


 行軍を送らせることには了解との返事があった。

 しかし検問には何も引っかかっていないとあった。


 フリードリッヒは顔をしかめた。

「コンラッド、どう思う」


「乗合馬車を見逃すとは思えないのですが……。

別の道を通ったのでしょうか?」


「いや、西の街道には二万の野営をしているんだぞ。

夜襲に備えて歩哨ほしょうの数を増やし、広範囲に広げているはずだ」


「ただの馬車だからと、あえて何も書かなかったのでしょうか?」


「このあたりには戦の気配が濃厚だ。

頻繁ひんぱんに通行人などいるわけもない。

そうであれば、馬車を止めたくらいのことは伝えてきても良いはずだ」


「では、意図的に何も伝えていないと?」


 フリードリッヒはだまる。


「将軍。あの女はいかがいたしますか。

もう一度……」


「……いや。あの女からは何も得られんだろう。

今は女一人のことなど捨て置け。

ともかく、今は異端者を討伐することだけを考えろ」


「しかし、

もし、異端者共と帝国が本当につながっているとなれば……」


「心を乱すな。

敵につけいる隙を与えるな」


「……も、申し訳ございません」


 しかしフリードリッヒの表情は強張っていた。


                   ※※※※※


(まったく。あの馬鹿力……っ)

 マックスは鈍い痛みを覚えながら、身動ぐ。

 縄目はきつく打たれて、逃れることはできない。


 あの男は、信じないと言っているが、心からの言葉ではないだろう。

 

 あの男が抜け目ないなら、馬車の行方を探らせているはずだ。

 そしてこれほどの大軍を任される将軍は、抜け目ないはずだ。


 神星王国にとって対ロミオ戦は、いかに帝国を出し抜くかにあるはずなのだ。

 無能な男を指揮官にえ、帝国に助けられてファインツを制圧――というのは最悪の展開だ。


 馬車はもちろん、他の乗客もマックスの部下だ。

 敵の本営の位置はすでに把握している。

 だからこそ馬車には帝国の方へ向かえと命じてある。

 無論、そのままいけば検問に引っかかるだろうから、途中で馬車を物陰に隠し、要員は速やかに退去させるよう命令していた。


 あの男が馬車の行方を探れば、神星王国と帝国の間に、一台の馬車という、“齟齬そご”が生まれる。


 馬車の行方など、些細ささいなことだ。

 だが、馬車の行方を探るような男であれば、心に何かしらのとげを生む。


 疑心暗鬼にさせるためにはそういう些細なことが必要だ。


 うつわ一杯に満ちた水が、数滴の水であふれるように。

 疑惑が根を張るのを手伝ってやる。


 だめ押しはデイランがやってくれるだろう。


(私は、その間、出来るだけのことをする)

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