第三十話 暴君の死

「おい! コルジェリ! これからどうするつもりだっ!」


 傭兵隊長仲間が叫ぶが、コルジェリ・ビントゥフの耳には届いていなかった。

 彼のきもは完全につぶれていた。

(あいつはなんだ? あ、悪魔か!?)


 戦場でまみえた男だ。

 全身を返り血で赤黒く染めたあの姿は、まるで世界の終わりお告げる喇叭ラッパと共に、地下深くよりやってくる地獄の王のようだった。


 部下を身代わりにしなければ、あの時、コルジェリは討たれていただろう。


 恐怖の後にやってきたのが現実だった。

 鳥肌を立たせるほどの非情な現実。


(負けた? 俺が? 負けたっ!?)


 多くの傭兵隊長が討たれ、コルジェリの部下も多く脱落した。

 周りのことなど構ってなどいられなかった。


 死にたくたい。

 その為だけに、とにかくあの平原から少しでも離れたかった。


「おい、どこかで態勢を立て直そう!

もう馬がもたんぞっ!」


 何度目かの仲間の声にようやく、視野が戻って来た。


 確かに死と恐怖に駆られて、逃げ続けてきたせいで、馬が泡を吐いていた。


「と、止まれっ!」

 コルジェリは馬を止めさせた。


 総勢で、四、五百人ほどしかいない。


「ほ、他の連中は?」


「分からん。どこかに落ち延びているのか……それとも」


 死んだか――。


 コルジェリは、まるで小石のように硬いツバを、無理矢理に飲み込んだ。


「どうする気なんだ。

お前、なんで、あいつを殺した」


 逃げるとき、コルジェリがしたことは、ヴェッキヨの側近、オーワンを斬り殺すことだった。


 あの時、コルジェリを支配していたのは戦場で出会った血まみれの男への畏怖いふの他にもう一つあった。


 この敗戦を知られれば、自分もあの豚野郎に異端者と断じられ、狂った住民たちに嘲笑われながら火あぶりにされてしまうという恐怖だった。

 敗戦を知られる訳にはいかない。

 それだけの気持ちで、あの震えていたオーワンを殺した。


「このままじゃ俺たちもやばい。

ずらかろうっ!

あいつらが来てからじゃ遅いぞ!」


 仲間もまた、民兵たちの恐ろしさを、骨のずいまで思い知ったようだ。


 コルジェリにとっての誤算はそれだった。

 確かに元ヴェッキヨの騎士も加わっているとは聞いていた。

 しかしあの強さはそれだけでは理由がつかない。

 どれだけ倒しても、連中は必死に陣形を維持しようとし、決して引こうとはしなかった。


 一度のぶつかりで崩れると思っていた楽観的な考えは呆気なくついえた。

 だからこそ予備兵力を投入せざるをえなかった。

 結果、それでも尚、勝てなかった。

 大負けだ。


(あれは農民じゃない。兵だ。どこからか兵をあいつらはかき集めてきたんだ。

この傭兵隊長、コルジェリ様が農民風情に負けるはずがねえっ!)


「おい、コルジェリ。平気か?

少し休んだらここを出よう。

帝国に行って……」


「いやっ……。まだやることがある」


「コルジェリ! 正気かっ!」


「うるさい、話を聞け!」


 傭兵仲間は黙った。


「あいつらも決して無傷って訳じゃない。

すぐにヴェッキヨの元へ行くことはしないはずだ。

つまり猶予ゆうよがあるはずだ」


「ゆ、猶予? なんのだ」


「今のオルンヅは守る兵なんざ、たかが知れてる。

大部分の兵は俺達と共に出て行ったんだからな……。

考えて見ろ。

オルンヅには財宝が腐るほどある。

どうせヴェッキヨの命はもう長くはない。

あんな連中におめおめと宝をくれてやることはない。

帝国に出向くんだったら、こっちだってある程度の土産を持っていった方が、待遇だって良くなるだろうさ」


 仲間の隊長もコルジェリの意図することを理解したらしく、脂下やにさがった顔をした。


「分かった。じゃあ、ファインツ《ここ》を出て行くのは、ちょっくら寄り道をしてからだ」


                   ※※※※※

 日が沈んだ。

 空には星がまたたく。


 ヴェッキヨは自室でうろうろと歩き回っていた。

「遅いっ! 遅いぞっ!

まだ、オーワンから連絡は来ないのかっ!」


 側近に怒鳴り散らすが、「いえ、まだ何も」と相手は首をすくめて答えるしかない。


(たかが農民風情に何を手間取っている!)


 舌打ちをし、窓際に寄り、城下を見る。


 と、赤いものが街の家々を覆っていた。


(あれは、なんだ?)


 目を凝らすと、それが炎であったと分かった。


 ヴェッキヨは側近へ告げる。

「おい、火事だぞ!」


 側近が驚き、窓際に近づく。

 街を炎が舐めていた。

 それも一軒や二軒ではない。区画単位で燃え広がっていた。


「いかがいたしましょう。傭兵共はほとんど出払っておりますが」


「とにかく人間をやって、火を消させるんだっ!」


「は、はいっ!」


(くそ。なんと言うことだ。

愚民どもの暴挙だけで頭が痛いというのに、火事とは)


 そうして側近が出て行くのと入れ替わりに、別の側近が入って来た。

「ヴェッキヨ様、大変でございますっ!」


(どいつもこいつも、報告が遅いぞっ!)


「火事であろう。とにかく住民を動員して、消火に……」


「違います! 傭兵共がっ……」


「おーい、失礼するぞーっ!」

 姿を見せたのはコルジェリだった。


「おお、お前ら、戻って来たかっ!

戻って来たということは、反乱は全滅させたかっ!

おい、どうなんだ?

オーワンはどこだ?

あいつを使わしただろう……」


「うっせよ、豚っ!」

 コルジェリは剣を突きつけてきた。


「ぶ、ぶたっ……。

な、なんの真似だっ」

 ヴェッキヨは怒鳴ろうとしたのだが、声が出なかった。

 身体が小刻みに震える。


「悪ぃな。あんたにはずいぶんとよくして貰った。

恩をあだで返すような真似をして申し訳ないんだが……俺たちの為に死んでくれっ」


「おい、誰か……。

こいつを止めろ……っ」


 側近に呼びかけるが、そいつは「ひいいいいい!」と叫びを上げて、部屋から逃げていった。


「お、おい、待てぇっ」

 動こうとするが、腰が抜けてしまい、その場に尻餅をついてしまう。


 コルジェリの笑みが大きくなる。

「お前、本当に人望がないんだな」


「ま、待て、落ち着け!

金はやるっ! だ、だから命だけは……助けてくれぇっ。

頼む……命だけはぁっ……」


「ふぅうむ。どうしたもんかなぁ」


「頼むっ! た、助けてくれっ……」

 ヴェッキヨはひざまずき、これまでアルスにさえしなかった、許しを傭兵にう。


「よし、決めたぞっ!

お前を殺して、お宝は総取りだ」


「え……」


 袈裟懸けに斬られたヴェッキヨは、床に仰向けに倒れた。


 みるみる絨毯じゅうたんあふれ出した血で染まっていった。


(この俺が、し、死ぬ、のか!?

俺は教団の司祭にして、王国の伯爵だぞっ! そ、その俺がぁっ……)


「おいおい、まるで溺れた豚じぇねえか。そんなにじたばたすんなよ。

血が飛び散んだろうが。

お前ら、貴重品をとっとと持ち出せっ!」


 上機嫌にコルジェリが指示を出せば、傭兵たちが次々と装飾品を持ち去っていく。

 これまで大枚たいまいをはたき、各地からかき集めてきた美術品の数々だった。


(死ぬ?

俺が……死ぬ……?

アルスよっ……お、お助け、下さい……神よぉ……――)


 言葉はもう紡げない。

 吐き出した血によってもはや、呼吸すらままならなかった……。

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